常識的に考えると、「母親は子供のために早起きをして朝ごはんを作る」のだろうが、私の母は常識が通用しないのである。
早稲田では「給食(学食)」と言うものはなく、お弁当を持って行くか、学内にある「売店」で菓子パンを購入するしかないのである、が・・・・。
「お弁当はとても無理だ!」と言う事で、パンと牛乳を買うお金を渡されるのだが、それはある程度仕方のない話である、が・・・・。
問題は、「毎日の朝食」なのである。
学校へは電車通学で、朝6時半に起き、7時15分に家を出るのだが、そのとき母は未だ寝ているのである。
要するに「朝ごはんを用意してくれる人がいない」のである。
8人家族だったので、何かしら前の日の残り物があり、結局それを食べて学校に行くのだが、暖かい時期はまだしも、寒い冬など大変であった。
今時の「ギャルママ」であれば話は別だが、これが「明治生まれの女」なのだからどうしようもないのである。
最も嫌だったのは、体育祭や文化祭のときである。
この日は学内の売店が休みになるうえ、普段は外の食堂で食べことも可能なのに、体育祭と文化祭の日に限っては「校門から外に出る事は禁止」なのである。
殆どの生徒は親が見に来ていて、昼は「家族と食事」と言う事になり、売店が休みでも関係ないのだが・・・・。
私の場合は親が来ることはなく、そのうえ弁当を用意してもらう事もできないのだから「昼食を食べる事ができない」のである。
親友たちは私の親が来ていない事を知っているため、「お昼は一緒に食べようぜ!」と誘ってはくれるのだが・・・・。
いくら誘われても、肝心の弁当がないのだからどうしようもない。
コンビニなどない時代だから、「どこかで弁当を調達する」と言う事もできず、このため、午前の部が終わる直前にみんなの前から姿をくらまさざるを得ないのである。
隠れる場所はトイレで、中から鍵をかけ、タダひたすら時間が経つのを待つのである。
しかし・・・・。
1年のときはばれなかったのだが、2年のときにばれてしまい、3年のときは親友のお母さんが、私の分としてお弁当を作って持ってきたのである。
2年のころには私の家の事情が同級生の間で知れ渡り、それを知った親友のお母さんが作ってくれたのだが、このときの惨めな気持ちは一生忘れる事は出来ないであろう。
早稲田では「給食(学食)」と言うものはなく、お弁当を持って行くか、学内にある「売店」で菓子パンを購入するしかないのである、が・・・・。
「お弁当はとても無理だ!」と言う事で、パンと牛乳を買うお金を渡されるのだが、それはある程度仕方のない話である、が・・・・。
問題は、「毎日の朝食」なのである。
学校へは電車通学で、朝6時半に起き、7時15分に家を出るのだが、そのとき母は未だ寝ているのである。
要するに「朝ごはんを用意してくれる人がいない」のである。
8人家族だったので、何かしら前の日の残り物があり、結局それを食べて学校に行くのだが、暖かい時期はまだしも、寒い冬など大変であった。
今時の「ギャルママ」であれば話は別だが、これが「明治生まれの女」なのだからどうしようもないのである。
最も嫌だったのは、体育祭や文化祭のときである。
この日は学内の売店が休みになるうえ、普段は外の食堂で食べことも可能なのに、体育祭と文化祭の日に限っては「校門から外に出る事は禁止」なのである。
殆どの生徒は親が見に来ていて、昼は「家族と食事」と言う事になり、売店が休みでも関係ないのだが・・・・。
私の場合は親が来ることはなく、そのうえ弁当を用意してもらう事もできないのだから「昼食を食べる事ができない」のである。
親友たちは私の親が来ていない事を知っているため、「お昼は一緒に食べようぜ!」と誘ってはくれるのだが・・・・。
いくら誘われても、肝心の弁当がないのだからどうしようもない。
コンビニなどない時代だから、「どこかで弁当を調達する」と言う事もできず、このため、午前の部が終わる直前にみんなの前から姿をくらまさざるを得ないのである。
隠れる場所はトイレで、中から鍵をかけ、タダひたすら時間が経つのを待つのである。
しかし・・・・。
1年のときはばれなかったのだが、2年のときにばれてしまい、3年のときは親友のお母さんが、私の分としてお弁当を作って持ってきたのである。
2年のころには私の家の事情が同級生の間で知れ渡り、それを知った親友のお母さんが作ってくれたのだが、このときの惨めな気持ちは一生忘れる事は出来ないであろう。