(1965/アラン・レネ監督/イヴ・モンタン、イングリッド・チューリン、ジュヌヴィエーヴ・ビジョルド、ジャン・ダステ、ミシュエル・ピコリ/122分)
総合図書館でアラン・レネの「戦争は終った」を借りてきた。ずっと以前には家の近くのツタヤにもDVDが置いてあったんだけど今は見当たらない。双葉さんがその年の外国映画ナンバー1に選んだ作品で、<レネの作品としては大変わかりやすい部類>と評されていた。「ぼくの採点表」では☆☆☆☆★(85点)の傑作だった。
スペイン。戦前から1970年代後半まで続いたフランコ独裁政権下で、その迫害を逃れてパリに移り住んでいる民主化運動の活動家の数日間を描いた作品だ。一度目の鑑賞で大まかなストーリーは分かったし、フラッシュ・バック、フラッシュ・フォワード、そして主人公の意識下にある空想までをもフラッシュで挿入したシーンが多数みられ、それらのサスペンス効果が抜群な面白さだった。所々意味が把握しづらいシーンもあり感動的とまではいかず、二度目を期待したが意図不明が再確認されただけの印象になった。フラッシュ・ショットの多用は当時としては斬新な手法だったのではないだろうか。
主人公のカルロス・モラを演じたのは当時40代半ばの渋さ満点のイヴ・モンタン。カルロスも相応の年齢の男性なのだと思う。
そんなカルロスの内縁の妻マリアンヌを演じているのがスウェーデンのイングリッド・チューリン。売れない女流市民作家だが、自立は出来ている感じ。カルロスは亡命者なので子供はいない。マリアンヌはカルロスをディエゴと愛おしそうに呼んでいた。
二人のベッドシーンは男女の体の部分のアップ・ショットを編集した「二十四時間の情事」に似た雰囲気のもので、彼女のヌードも鮮烈で更に官能的だった。
映画の冒頭が、半年間スペインで裏活動をしていた主人公が仲間と共に車で国境を越えてフランスに戻ってくるシーンで、彼らの想定に無かった検問にひっかかるといういきなりのスリリングな場面だった。
調査官(若き日のミシュエル・ピコリ!)に提出したパスポートはフランス人協力者の写真を入れ替えた偽造パスポートだが、調査官は念の為にと男のパリの自宅に電話を入れるという。電話に出た協力者の娘は、機転が効くらしく、偽の父親にも普段の応対をしてくれて事なきを得た。彼女の名前はナディーヌ。
このナディーヌに扮したのが、若きジュヌヴィエーヴ・ビジョルドだった。
元々はフランス系カナダ人だが、この映画の四年後にアメリカに進出、「1000日のアン (1969)」で見事主演オスカーにノミネートされた。
パリに帰った後、カルロスはナディーヌを訪ねて礼を言う。その二日後にナディーヌがスペイン民主化を支援するグループに入っていることが分かり、その若い仲間たちともカルロスは知り合うことになる。嘴の黄色い連中にしか見えなかったが、帰国以来カルロスに尾行がついている事を教えてくれたのも彼らだった。
国境の検問の後カルロスは、マドリッドでは一斉検挙が始まっており、今仲間がスペインに入るのは危険だという認識になった。それをパリの指導者層に進言するが、上層部は迫っているメーデーのゼネストを成功させることが優先だと却下した。カルロスは近視眼的に成り過ぎていると批判され、しばらく休暇をとるように言われてしまう。
上層部への不満を漏らすカルロスにマリアンヌは引退をすすめ、スペインで穏やかな家庭を築く道をも願うのだが、先にスペインに入った仲間の急死が発覚、カルロスは再びバルセロナに向かうのだった・・・。
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フラッシュ・ショットについて書いておこう。
ナディーヌに助けられた後、何度もナディーヌの家の映像がフラッシュされ、若い女性の後ろ姿もフラッシュで複数出てくる。まだ逢ったことのない彼女の事をカルロスが想像しているという事なんだろうけど、ショットの分量が多過ぎ、しつこいという印象も受けた。
同じように捕えられた仲間のフラッシュ・ショットも何回も挿入されて、サスペンス効果は認めるが、あまりに出てくるのでこれが事実の映像なのかカルロスの想像の画なのかが迷ってくる。
ツイッターにも書いたけど、マリアンヌの『(あなたの)子供が欲しい』という台詞の少し後で、二人の住むアパートに子供部屋がありカルロスが入っていくとベッドに男の子が寝ているシーンがある。これも前後の関係から彼の空想の画だと思うが、結構曖昧で、しばらくどっちなんだろうと考えさせられる展開だった。男の子のショットがフラッシュではなくノーマルなカットだったのも判断が遅れた要因だと思う。
▼(ネタバレ注意)
そして、一番理解に苦しんでいるのが終盤の展開だ。
カルロスがバルセロナに向かった後に、ナディーヌの家に警察がやってきて父親のパスポートを確認する。そのやり取りによって、ナディーヌはカルロスが明確に官憲にマークされていることを知り、父親を通じて危険が迫っていることを知らせようとする。
カルロスにその情報が届くことはなく、車は国境に向かっている。
ラストシーンは(いきなりだが)マリアンヌがバルセロナに飛行機で向かう所だった。カルロスが今回の任務に先だち覚えたのと同じ合言葉を復唱しながら、搭乗口に向かう彼女。
これって何を示唆してるんでしょうかねぇ。
車のカルロスとマリアンヌのショットはオーバーラップされているので、時間差はそんなにはないと思われ、あのマリアンヌはカルロスを助けに行っているのか、又はカルロスの替りに抵抗運動に従事するようになったというのか・・・。曖昧だ。
▲(解除)
かくして、この映画の評価は★三つ半。
革新的な語り口は映画ファンには★四つでお勧めしたいけど、分からない部分が多いので一般的映画ファンには★半分減点にしました。残念!
フラッシュ・ショットは今も使われているけど、数少ない要所で使った方がその効果が上がるように感じますな。
カメラは「夜と霧 (1955)」以来組んでいるサッシャ・ヴィエルニ。
音楽はジョヴァンニ・フスコ。
1966年のカンヌ国際映画祭で、FIPRESCI(国際映画批評家連盟)賞とルイス・ブニュエル賞をW受賞。
1967年のアカデミー賞では脚本賞(ホルヘ・センプラン=原作者でもあります)にノミネートされ、NY批評家協会賞では外国映画賞を獲得したらしいです。
総合図書館でアラン・レネの「戦争は終った」を借りてきた。ずっと以前には家の近くのツタヤにもDVDが置いてあったんだけど今は見当たらない。双葉さんがその年の外国映画ナンバー1に選んだ作品で、<レネの作品としては大変わかりやすい部類>と評されていた。「ぼくの採点表」では☆☆☆☆★(85点)の傑作だった。
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主人公のカルロス・モラを演じたのは当時40代半ばの渋さ満点のイヴ・モンタン。カルロスも相応の年齢の男性なのだと思う。
そんなカルロスの内縁の妻マリアンヌを演じているのがスウェーデンのイングリッド・チューリン。売れない女流市民作家だが、自立は出来ている感じ。カルロスは亡命者なので子供はいない。マリアンヌはカルロスをディエゴと愛おしそうに呼んでいた。
二人のベッドシーンは男女の体の部分のアップ・ショットを編集した「二十四時間の情事」に似た雰囲気のもので、彼女のヌードも鮮烈で更に官能的だった。
映画の冒頭が、半年間スペインで裏活動をしていた主人公が仲間と共に車で国境を越えてフランスに戻ってくるシーンで、彼らの想定に無かった検問にひっかかるといういきなりのスリリングな場面だった。
調査官(若き日のミシュエル・ピコリ!)に提出したパスポートはフランス人協力者の写真を入れ替えた偽造パスポートだが、調査官は念の為にと男のパリの自宅に電話を入れるという。電話に出た協力者の娘は、機転が効くらしく、偽の父親にも普段の応対をしてくれて事なきを得た。彼女の名前はナディーヌ。
このナディーヌに扮したのが、若きジュヌヴィエーヴ・ビジョルドだった。
元々はフランス系カナダ人だが、この映画の四年後にアメリカに進出、「1000日のアン (1969)」で見事主演オスカーにノミネートされた。
パリに帰った後、カルロスはナディーヌを訪ねて礼を言う。その二日後にナディーヌがスペイン民主化を支援するグループに入っていることが分かり、その若い仲間たちともカルロスは知り合うことになる。嘴の黄色い連中にしか見えなかったが、帰国以来カルロスに尾行がついている事を教えてくれたのも彼らだった。
国境の検問の後カルロスは、マドリッドでは一斉検挙が始まっており、今仲間がスペインに入るのは危険だという認識になった。それをパリの指導者層に進言するが、上層部は迫っているメーデーのゼネストを成功させることが優先だと却下した。カルロスは近視眼的に成り過ぎていると批判され、しばらく休暇をとるように言われてしまう。
上層部への不満を漏らすカルロスにマリアンヌは引退をすすめ、スペインで穏やかな家庭を築く道をも願うのだが、先にスペインに入った仲間の急死が発覚、カルロスは再びバルセロナに向かうのだった・・・。
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フラッシュ・ショットについて書いておこう。
ナディーヌに助けられた後、何度もナディーヌの家の映像がフラッシュされ、若い女性の後ろ姿もフラッシュで複数出てくる。まだ逢ったことのない彼女の事をカルロスが想像しているという事なんだろうけど、ショットの分量が多過ぎ、しつこいという印象も受けた。
同じように捕えられた仲間のフラッシュ・ショットも何回も挿入されて、サスペンス効果は認めるが、あまりに出てくるのでこれが事実の映像なのかカルロスの想像の画なのかが迷ってくる。
ツイッターにも書いたけど、マリアンヌの『(あなたの)子供が欲しい』という台詞の少し後で、二人の住むアパートに子供部屋がありカルロスが入っていくとベッドに男の子が寝ているシーンがある。これも前後の関係から彼の空想の画だと思うが、結構曖昧で、しばらくどっちなんだろうと考えさせられる展開だった。男の子のショットがフラッシュではなくノーマルなカットだったのも判断が遅れた要因だと思う。
▼(ネタバレ注意)
そして、一番理解に苦しんでいるのが終盤の展開だ。
カルロスがバルセロナに向かった後に、ナディーヌの家に警察がやってきて父親のパスポートを確認する。そのやり取りによって、ナディーヌはカルロスが明確に官憲にマークされていることを知り、父親を通じて危険が迫っていることを知らせようとする。
カルロスにその情報が届くことはなく、車は国境に向かっている。
ラストシーンは(いきなりだが)マリアンヌがバルセロナに飛行機で向かう所だった。カルロスが今回の任務に先だち覚えたのと同じ合言葉を復唱しながら、搭乗口に向かう彼女。
これって何を示唆してるんでしょうかねぇ。
車のカルロスとマリアンヌのショットはオーバーラップされているので、時間差はそんなにはないと思われ、あのマリアンヌはカルロスを助けに行っているのか、又はカルロスの替りに抵抗運動に従事するようになったというのか・・・。曖昧だ。
▲(解除)
かくして、この映画の評価は★三つ半。
革新的な語り口は映画ファンには★四つでお勧めしたいけど、分からない部分が多いので一般的映画ファンには★半分減点にしました。残念!
フラッシュ・ショットは今も使われているけど、数少ない要所で使った方がその効果が上がるように感じますな。
カメラは「夜と霧 (1955)」以来組んでいるサッシャ・ヴィエルニ。
音楽はジョヴァンニ・フスコ。
1966年のカンヌ国際映画祭で、FIPRESCI(国際映画批評家連盟)賞とルイス・ブニュエル賞をW受賞。
1967年のアカデミー賞では脚本賞(ホルヘ・センプラン=原作者でもあります)にノミネートされ、NY批評家協会賞では外国映画賞を獲得したらしいです。
・お薦め度【★★★=今も斬新な語り口は、一見の価値あり】 
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