循環無端~cycle endless~

土を耕し野菜を栽培する。栽培した野菜を発酵作用等で加工し、食す生活を夢見ています。

創作・短歌 「旅」

2018年01月07日 15時52分24秒 | 徒然なるままに(日記)
・九時間もかかった旅も懐かしき窓も開いた売り子もおった

・各駅に停車しながら行く旅は見知らぬ人々出会いの旅よ

・ディーゼルの車両の人となりし時床に塗られた油が匂う

・ディーゼルの汽車登坂に移るとき音苦し気で目を覚まし居る

・婚前の旅をしたのは晴海からフェリー甲板空シャンデリア

・フェリー旅丸窓の外トビウオとイルカの群れに見入る我らは

・青函のフェリーの銅鑼の耳鳴りは四十年後も我に残れり

・わが記憶残れるものは廃線となる栃尾鉄道

・今は無き栃尾鉄道在りし日は愛唱されし「トッテツ」でした

・青春の最期の記憶佐渡島外海府ユースの大紡網漁

・中三で恩師とともに旅をした旅費ねん出は土方の稼ぎ

・自転車で百キロの距離自転車で友と走った恩師求めて

・初めての鳥羽賢島グルメ旅妻と食したエビ残酷焼き

・伊勢参りその記憶より門前の赤福旨し五箱も買った

・学生の旅の定番駅の中見知らぬ友と一夜の語り

・無謀なる学徒の登山企てし赤岳縦走今語り草

年頭に

2018年01月06日 15時26分50秒 | 徒然なるままに(日記)
 2018年(平成30年)がスタートしている

この5月には天皇が退位し、元号も新天皇の元で変わるようだ.
これまでも私はカウントしやすい西暦を使用している。

 15年間務めた特別養護老人ホームの仕事を平成6年3月に辞し、そして4月から岩木山常盤野の地に
無認可施設を開業してから法人設立後24年目ということになる。

 2000年には現在の法人が県知事によって認可され、2001年1月には現在の「であいの家あうん」が開設された。
 あうんがスタートして丸18年が経つことになる。

 紆余曲折があって法人は現在に至るが、その紆余曲折は未だに曲がりくねったまま続く。

 いずれにしても国の法整備の影響もあって、何度も何度もわれわれの弱小法人は荒波にさらされた。
措置制度から支援費制度、障害者自立支援法、障害者総合支援法などという経過をたどり、当初の知的障害者更生施設は
障害者の一元化ということで、知的を含め身体障害者、精神障害者、更にその中には発達障害者も混在化し、それまでの
専門性に加えて細分化された福祉の専門性が問われるようになってきた。

 あと2年で創立20周年を迎えることになるが、昨年は法人の制度改革が行われて、理事会と評議員会が分離されて、明確な
役割分担がなされてきた。評議員会がより一層理事会の業務内容を監視する形で、権限が付与されてきたのだ。

 理論的には理解できるが、現実の社会資源として、そのニーズにこたえられる専門性や福祉に造詣の深い方々がいるのか?
きわめて疑問である。優勝のボランティアとでもいえるような、それぞれの役員報酬…現実は日東2,000円程度もしくはそれに
交通費が付与される程度なので、お願いする側ですらご迷惑という心理が働くのである。

 きわめてそういう意味では、地域の方々との信頼関係を持てる法人もしくは理事長でないとその任に応えられる人は集まって
こないのではないかと思う。

 そのような中開設当初からの理事Iさんが癌が悪化して入院された。ステージが4だという。見舞いに行ってきたが、体力も気力も
自分の病気に集中するしかない状態でもあり、迷惑をかけられないので辞退させてほしいという。12月31日付で退任届が提出された。

 3月の理事会に間に合うように補充の理事を急きょ探すことになった。幸い評議員として当初から協力いただいている前職では後輩の
Tさんが引き受けてくれることになった。評議員の人数もお買ったので、異動しても不足しないのでこれで承諾を得るための理事会を
設定し、承認を得ることになる。その後2週間後に評議員会で承認を得れば、理事の補充が完了するのだ。

 20周年の前に2年間で解決すべきことなど、次年度の実施計画を検討することとなる。
 大きくは
 1.賃貸物件を可能な限り返還(8割実施済み)
 2.本部の建物修理修繕(屋根の修繕)
 3.浄化槽から下水道への転換
 4.グループホームの整備をいつにするのかの検討
 5.法人役員の若返りを図ること
 6.20周年記念誌作成に関すること
 

 個人生活に関すること
 1.昨年購入した古民家の有効活用(賃貸)
 2.獅子踊保存会の今後
 3.健康管理に関すること
 4.ブルーベリー畑管理と野菜畑の管理 



 
 
 

創作・俳句 「新年」

2018年01月06日 12時38分07秒 | ETUDE
・元旦や祖父の孫への松葉煙

・若水を汲みてコーヒー淹れにけり

・束になり賀状はポストに鎮座する

・小豆粥胃の腑を優しく包みけり

・自らが搗きし餅入る雑煮食う

・新たなる暦に書きし初仕事

・初夢や故郷の母を見舞いけり

・書初めや太く平和と書きにけり

・鏡餅みかんを先に食いにけり

・小寒や氷柱叩きてドレミファソ

・初電話賀状の遅れ詫びて居る

・燈明を雪の祠に点けにける

・新たなる日記に記す決意かな

・この年も自分ギネスを更新す

・佳きことも悪しきことをもこの一年

・散髪を終えてこころも凛とする

寒の入り(小寒)

2018年01月05日 17時19分39秒 | 徒然なるままに(日記)
1月5日(金)曇り2℃

 29日から正月帰宅していた娘たちは何とか風邪ひくこともなく、きょうまた元気に通所施設・あうんとグループホーム生活に戻った。
カミさんは私が1日と2日獅子の活動で不在だったこともあって、腰が痛いと訴えていた。

 そういう意味では、いつも娘たちと一緒の暮らしのあり方も考え直さなければならないと思う。無理することでもないのだ。
もしこういう時に娘たちのケアホームがなかったら、せいぜい短期入所で3日間程度しか利用できないか、もしくはほかの利用者が利用していたら
それすら難しかったことになる。重度障碍者のグループホームは当たり前のものにはまだなっていないのだという現実がある。
 失敗の多い自分としては、あの時でなければ作れなかったグループホームなのである。

 私の仕事始めは8日(月)からであるが、今日は娘たちを送っていた際に少しだけ顔を出して来た。まだ全員がそろっていない状態でもあったが、特別変わりもないようである。
また職員の異動もあって、職場の中はいろいろな事務までに時間のかかることでもある。

 山川さん、稲田さんと電話で年始挨拶をする。皆さんこちらに来るのを楽しみにしてくれている様子だ。
今年はどんな出会いと思い出が増えるのだろうか・・・。

 

 

 

 

創作・短歌

2018年01月05日 14時54分54秒 | 徒然なるままに(日記)
・雪国の凍れた後の道路ではガリガリガリと足音響きて

・寒の入り融けたる雪のまた凍る塩撒くトラック走り回って

・来るはずの賀状届かずアと気づくきみはこの世にもういないから

・小寒の裏庭に立つ柿の木の枝先の実を鳥のついばむ

・雨の後遠雷聞きし妻の言う雨返しよねきょうは雪かも

・ただ一人心のうちを赦す友師走のうちに遠き世に逝く

・無念なりやること数多残す友休む間もなく遠き旅路へ

・我妻はリンゴ農家に生まれたるなのにりんごを忌みつつ育つ

・さくさくとリンゴの皮をむきし時妻は鳥肌立つとこぼせり

・ガタゴトと特急北斗は揺れにけり昔年の友を思いし客車

・袰月の漁港の釣りを楽しめる宮さんと居た場面めぐりつ

・煙立つ煙突の家あちこちに薪ストーブのやかんの湯気よ

・犀星の望郷の歌を思いつつ苦き青春脳天をめぐる