神楽

暇人です、文字ウチ書き間違え多、読み返すと内容変わるから読み返さない、読み方は皆様に甘えさせて頂きます。

乳ガンから~~~今!!

2019-09-04 22:10:43 | 私&独り言
私ね今から3年前にガンに成った時

コレでやっと解放される
そう思った・・・・

贅沢でわがまま・この上無いと思う・・・・・!

でも人それぞれに生きる事情が有り!!

私は全てを終わらしたら
消えたいと思いながら生きてきた・・・・・

諸事情も山積み
何が本当の事情なのか見極められ無い程に苦しくて!!

私の事情だから皆さんには全く関係ない事だけどね~

だから自分で癌だと気付いて半年放置した・ズルいでしょ

そんな年の最終日挟んで
年が開けた
私の計算では夏には・・・・

なのに春になりどうしても今年死ねない事情ができた・・・・

それとなく娘には話していたけどね・・・・・・
「もしお母さんがひとりで居なく成ったら、絶対探すな!!」
メチャクチャわがままな話し

娘は・・・言葉を足さずに
「解った、兄ちゃんはどうる?、必要ない!、だからお母さんが消えたら、役所が片付ける前に必要なモノは持って帰れ~」

娘は物言わず
「お母さんがそう決めたのなら、黙ってる・・・」

だったが・・・ひとつの事情により主治医に話した
「ちょっと胸触って!!」

私が主治医にそう話したので胸に手をあてた・・・・
「いつから知ってた!!」

私は
「去年の6月位、先生には言ったでしょ、死に水とってね~って!!」

主治医はいつもの私の冗談だと思っていたと話し頭抱えた
「なんでハッキリ言ってくれなかった!!」怒った

「とにかく検査する!、全部検査!!」かなり怒っていた
当然だよね・・・・・

それでも的確な検査内容を支持された!
不思議なのは2年前の4月だったけど

全てがトントン拍子に毎日が進んだ事だった

最初に行った乳ガン専用のクリニック
主治医が全て的確な支持を紹介状に書いてくれていた事

クリニックの医師がビックリ
そりゃそうだわ~
内科医からの紹介状だよ

ソレなのに外科的の専門用語がびっしりと書かれていたらしい

クリニックの医師は紹介状通りに検査をした
内容も凄くスムーズに進んだ

クリニックの医師に聞かれた
「コレを書いた医師は、本当に内科医なんですか?」

だから答えた!!
「元々は外科医だったらしいですよ~、乳ガンの手術も経験有りの先生です!」

クリニックの医師はソレ聞いて
「元々外科医と言うより、現役かと・・・」

私「今は呼吸器内科です!、でも腕は確かですよ!」

ソノ言葉にクリニックの医師は何度も
「本当に内科医・ですか?!」

紹介状に書かれていた事が
的確すぎたから

全ての検査を考える必要もなかったからだと話していた
私の検査は本当にスムーズに進んだ

最終的にドコの病院で治療をするか?の言葉に
私は「〇〇病院に行きたいのですが?」

医師もそこを紹介しようと思っていたようだった

でも本当にゴールデンウィーク前だから5月の後半に成るかも・・・・だったんだが

私は「大丈夫だと思いますよ!!」っと話していた

クリニックの医師は驚いていただって私の言った通り
本当に直ぐに近い形で予約が取れたからだ!

ゴールデンウィークの間の日に
1週間もかからない日を指定された!

だからクリニックの医師は
驚いていた!!
「〇〇さん、知り合いの先生とかいますか?!」

私はいません!と答えた
医師はホントにビックリ状態だった

だって診察予約は3日後だったから!!

そりゃビックリするわよな~
でも別にコネはないですよ!!
全て偶然ですから~~~

でだ治療してくれる病院に行き
担当医師が言った言葉は
ステージ4悪性転移有り

どうしたい・と聞かれ私は
「何もしなければ・・・、夏越せませんよね!!」と聞いた!

医師は
「そうやね、無理に近い状態ですね!、何もしなければ、腐ってきて全身転移で持っても、3ヶ月かな、ただしマトモな状態で生きれるのは、2ヶ月ないから!!」

私「ハッキリ言いますね!、でも私は好きですね!、ウダウダ嫌いだから!」

医師「だったら、どうしたい!?」

私「来年迄は生きたい理由が出来たから、年越し迄で良いから生かして欲しいかなっ!」

医師
「今年死ね無い!!、理由は?」

私「それ~話さなきゃダメですか!」

医師「そう言う訳じゃないけど、今出来る事は抗がん剤治療しか無いけど、受けるか?!」

私「年超せるなら、それで良いです!!」
で抗がん剤治療を始めた

免疫低下に伴い色々な副作用
味覚障害と体力低下・ソノ他
色々有った

吐き気は全くなかった
何食べても味が無い!
飲み物も味が無い!

当然髪の毛も抗がん剤打って
1週間で全て抜け墜ちた

食べ物は目つぶり口に入れられても味が無いから
口の中で何かがゴロゴロしてるだけの感覚に成った!

何を食べているか解らない
緑茶が飲めなく成った!!

それでもなぜだろうねッ
私は何も考えていなかったんだよね

・・・・・・・生きる事を
今更ジタバタしても生き物は必ず死ぬ!

今も昔も変わらずに
ただの風邪でも死ぬ人は死ぬ
生きる人は生きる

生死に関しては誰にも解らないでしょ!
だから私には不安や悲しみなんて気持ちは全く無かった!!

覚悟も必要なかった!!

人間って本当に不思議な生き物ですよね!

ステージ4・コレだけ進行してる・・・・・
医師には難しいと言われた

だから私は
「はい、解ってます!!、自分の身体ですから・・・・」

医師に聞かれた
「死にたかったんか?!」

その質問には・・・・
「自決は嫌だけど、病気なら問題無いでしょ!!」ッと答えた

医師は・・・・・
「なんでや!!、驚きも無く普通に話せる?!」

質問に・・・・
「自己判断でも解るモノ持って、今更何を驚く必要が有りますか?!、どうするかを全て自分で決めて生きて来ました、だけどどうしても今年は死ねない理由が出来た、ただそれだけの事です、いくら医師でもどう判断するかは、私の自由でしょ!」

医師「成る程ね、それだけの事が言える人に会ったのは初めてです」

私「でしょうね、患者は医師を先生と言いますよね、多分みんな医師は自分達より1段高い位置に属するモノと判断しているでしょうが、私は同等と考えているだけです!、ダメですか?、先生も1段高い位置から患者を見下げてるんですか?、なら私をぺーぺーの医師に担当変わって下さい、まだましなので、ぺーぺーなら私が急死しても文句言えませんからね、でも死んだら結局文句なんか言えませんけどね!(笑)」

医師「来年まで、その次はどする?、モット欲はないのか?」

私「そうですね~先生が治療出来ると判断したならまかせます、ただし私ワガママですから、先生次第ですね(笑)」

医師は少し笑いながら
「全力を尽くします」

私「なら頑張って下さい、私は頑張りませんから!、先生が頑張ってくれなければ、何もしようが無いですから、私は専門家の指示にしたがいます!」

医師「本当に頑固やな!!、こう成ったら、ステージ4から脱出まで持って行って、手術したるから覚悟しといて!!(笑)」

次病院に行っても医師は変わりませんでした

だから言ってやった
「ぺーぺーじゃないんだ~」笑われた

結果私はステージ4から脱出
手術OK と成り右乳房全摘

その時も言った
一緒に頑張ろうって言われたから
「私は寝てるだけ、頑張るのは先生と手伝ってくれる皆さんでしょ!!」

医師は
「やっぱり笑いながら、らしい返事やな~、少しは素直になれんか?」

私「無理!!私は本当の事を言ってるだけ、ウソ苦手なんで!!」

本当にステージ4から離脱
術後の放射線治療と科学療法も今年1月で終了

だが私の身体の中には今も癌細胞が有ります

どうしても取れなかった癌
今は寝てる
日々の生活の中で不便なのは
体力低下によりほとんど歩けない

100メートル毎に休憩の繰り返しそれと右手のシビレ

これはリンパの転移で沢山切ったから
右腕のワキ触っても麻痺していて何も感じない!!

針でつついたけど痛く無い!
右手のシビレも原因はココに有るようだね

だから重いモノ右手で持てない!!
う~ん持つ事も無いけどねッ

身体の中に有る癌細胞は3つぐらい有るけど今は冬眠状態

薬は飲んでる
あれから早いもので2年半近く

私は今も治療しながら
生きてる

どうやら私の(命)は天秤で(生)と釣り合ってるようです

今のところはね
不思議でしょ

もう良いかって思ってたモノが
まだダメだと否定された気分です

ドコまで癌細胞が冬眠するかは知らないけど・・・・・

今生きてまだまだ勉強しろッて誰かに言われてるような

そんな気持ちに成るのはなぜだろうね~~~


ではまたね~(*^^*)






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