先月、ヨーロッパチームが出た時に、チームからの写真をご紹介させて頂きましたが、その中の一枚の写真を見て思い出した事がありました。
この事について、アップするようにとの内的な促しがありましたが、今まで
心の中に溜めて来ました。
御心に間に合うようにと願い、アップしたいと思います。
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神様はイエス・キリストを遣わして下さり、十字架の贖いによって救われる人々を、御自身の為におこされました
。
イエス・キリストは神であられるのに
、人と同じ姿をとって地上に来られ、ご自身が罪の刑罰を受けて下さり、信じる者が救いを受けられるようにして下さったのです。
「キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。
キリストは人としての性質をもって現われ、自分を卑しくし、死にまで従い
、実に十字架の死にまでも従われたのです。」 ( ピリピ2-6~8 )
イエス・キリストを救い主として信じる者は、ひとりひとりが神からの召しを頂き、この地上にある時をもはや自分の為にではなく、神の御心の為に生きて行くのです。☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆
『聖霊によるのでなければ、だれも、
「イエスは主です。」と言うことはできません。』 ( 第1コリント12-3b )
「あなたがたはキリストのからだであって、ひとりひとりは各器官なのです
。」 ( 第1コリント12-27 )
「一つのからだには多くの器官があって、すべての器官が同じ働きはしないのと同じように、大ぜいいる私たちも
、キリストにあって一つのからだであり、ひとりひとり互いに器官なのです
。」 ( ローマ12-4~5 )
「私は、自分に与えられた恵みによって、あなたがたひとりひとりに言います。だれでも、思うべき限度を越えて思い上がってはいけません。いや、むしろ、神がおのおのに分け与えてくださった信仰の量りに応じて、慎み深い考え方をしなさい。」 ( ローマ12-3 )