新・アドリアナの航海日誌

詩と散文、日記など。

今日

2011-06-09 23:07:36 | ポエム
                 ジャック・プレヴェール

        今日僕は仲間と散歩した
        たとえ彼が死んでいたとしても
        僕は仲間と散歩した
                  ロベール・デスノス
                  Etat de veille(覚醒),1936

今日
僕はロベール・デスノスと散歩した
1925年のように1936年のように1943年のようにドーフィーヌ通りを
 彼が猫たちのためにマザリーヌ通りから食べ物を探して歩いていたとき、
 彼が捕らえられ、連れていかれ、強制収容所へ入れられ、
戦争や警察や悪口雑言やチフスによって
殺される前と同じようにね

そう、僕は彼と散歩した
僕らは笑っていた
僕らはののしりあっていた
僕らはいつも意見が一致したわけじゃない
たとえ彼が死んでいたとしても
僕らは二人とも女みたいに人生を愛していた
それは決して同じ女じゃなかったが
いつも同じ人生だった
今日僕は僕の仲間と散歩した
僕の友だちとね
そして怒ったり笑ったりの、壊れた門やバラバラになった窓枠がたてる
 大さわぎの物音は
 舗道の敷石の上で跳ねていた
でもいつも友情の手の中にはそれらを修復する
いわばガラス職人のパテがあったさ
今日、1955年11月10日
僕は彼とサン・マルタン通りを散歩した
日の光はまだ消えていなかった
けれど雑貨屋のお店には早くも灯がともっていた
彼は狭い歩道の上パリの小物屋の前に目を奪われて立っている
ダイヤモンドより素晴らしい
その子どものようなまなざしは
ショーウィンドウを通り越して
それら素晴らしいガラクタの
先になると思い出になるような冒険に満ちた人生をはや語っていた
街の上には神々しい青空 雷の走りそうな青空 優しく熱狂的な青空 
礼服を着ていた雲たち
彼らは結婚式に行くんだ
今日
たとえ彼が死んでいたとしても
デスノスの結婚式に
ユキの結婚式に
たとえ彼が彼女からほんの少し遠くにいたとしても
たとえ彼女が彼からほんの少し遠くにいたとしても
僕らはあちこちの通りを廻りながら一杯やった
健康に乾杯
散りぢりバラバラになった人々の
消された人々の
再会した人々の
そして亡くなった人々の 
取り乱した人々の
ガラスのピラミッド 
葡萄の木の 砂の
かすかな思い出の
忘れられた不満の
そして二人はテーブルの下にいるか
またはテーブルについている
僕らはもはや探しあわないワインの中に理性を
蛇口から流れる水の中に葡萄の幸せな香りを探さないように

君に乾杯! ロベール
たとえ君が死んでいようとも
目覚めている君の夢に乾杯!




(ロベール・デスノス 1900年-1945年、フランスの詩人・ジャーナリスト・放送作家
藤田嗣治の妻だったユキと結婚。第二次大戦中、占領下のフランスでレジスタンスに参加し、1944年ゲシュタポにとらえられる。各地の収容所を転々とさせられ、チフスのためチェコスロヴァキアのテレジン収容所で死去。翻訳 左子真由美)

        
コメント
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