わたしにとって一時間の通勤電車の中は格好の読書タイム。しばしば疲れ切って本を読む気力もない時もあるけれど。
昨日茨木さんの「この失敗にもかかわらず」という詩を読んで、朝の通勤電車の中で泣きそうになってしまった。いや、
心の中は本当にオイオイ泣いていたのだった。 哀しくて泣くのではなく、励まされて。涙ぐみながら詩について考えた。
ことばの持つ力について。この力はどこから来るのだろう、と。鮮明なイメージ、忘れられないワンカット。易しいこと
ば。そして、決め手は書き手の位置からまっすぐに気持ちを伝えること。考えてみれば、心にはタブーは何もないのだか
ら。一番力を持つのは心底思っていることに違いない。ありがとう! 茨木さん、いい詩を残してくれて。「この失敗に
もかかわらず」というこの詩は、呪文のようにいつもわたしの背中を押してくれるでしょうね。
この失敗にもかかわらず 茨木のり子
五月の風にのって
英語の朗読がきこえてくる
裏の家の大学生の声
ついで日本語の逐字訳が追いかける
どこかで発表しなければならないのか
よそゆきの気取った声で
英語と日本語 交互に織りなし
その若々しさに
手を休め
聴きいれば
この失敗にもかかわらず・・・
この失敗にもかかわらず・・・
そこで はたりと 沈黙がきた
どうしたの? その先は
失恋の痛手ににわかに疼きだしたのか
あるいは深い思索の淵に
突然ひきずり込まれたのか
吹きぬける風に
ふたたび彼の声はのらず
あとはライラックの匂いばかり
原文は知らないが
あとは私が続けよう
そう
この失敗にもかかわらず
私もまた生きてゆかねばならない
なぜかは知らず
生きている以上 生きものの味方をして
もうすぐライラックの季節が巡ってくる。どこからか英語のリイダアを読む声が
聞こえて来はしまいか。
(いつの年かライラックの咲く頃に書いたものです。)
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