日本三奇の一つと言われる
兵庫県生石神社の「石乃寶殿」
神代の昔
大穴牟遅(おおあなむち=大国主命)と
少毘古那(すくなひこな)の二神が
天津神(あまつかみ)の命を受け
国土経営のため
出雲の国より
此の地に座し給ひし時
国土を鎮めるに相応しい
石の宮殿を造営せんとして
一夜の内に工事を進めらるるも
工事半ばなる時
阿賀の神一行の反乱を受け
そのため
二神は山を下り
神々を集めてこの賊神を鎮圧したが
夜明けとなり
この宮殿を正面に起こすことができなかった
時に二神のたまはく
たとえ此の社が未完成なりとも
二神の霊はこの石に籠り
永劫に国土を鎮めんと
言明せられた
以来
この宮殿を石の寶殿
鎮の石室と言はれて居る所以である
(「生石神社略記」より抜粋)