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「世をあげてブラックボックスの時代に突入している」とは阿刀田高の言葉である。
これは大震災後の原発の崩壊について言ったものだが、この便利な世の中が一体何に囲まれているか、無知な人が多いと思う。
水も電気もガスも自然に無限に供給されるものではない。
水を汲み、火を自分でおこした不便な時代はあったのだ。
おそらくその時代の人々は身の回りにある事物の中身を熟知していた事だろう。
昔が良かったと言う訳では全然ない。
便利で生活し易く豊かな方が勿論良い。
ただ、何が便利で豊かにしているのか、何が私たちを動かしているのか、考えようとする人が皆無に近いのが怖い。
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ブラックボックスに囲まれて、ブラックボックスを守り袋みたいに思っている人がいる様な気がする。
しかし、誰かが作ったブラックボックスの中に適応過剰なのは人間性を失くしていく気がする。
まあ、長い歴史を少し齧じると、一般庶民は自分を取り巻く制度に熟知している事は先ず無かったのが分かる。
つまり、庶民が、自分を統治する側を常に意識するのは時に危険があると上は考える。
庶民は無知でいた方が世の中上手くいくと本気で考える政治家の方が、歴史上遥かに多いと感じる。
つまり、ブラックボックスを作っておいた方が人民を簡単に統括出来ると考え易い。
ただたとえ、ブラックボックスに囲まれていたとしても、一人一人が自分の脳内をブラックボックスにならない様に冷静にコントロール出来る世の中が望ましい。
様々な刺激、外部からの軋轢の中で、上手く適応出来、判断出来るのは個々の脳である。
大切な人々を思いやる気持ちを持つのも、元はと言えば脳の働きである。
ブラックボックスの思いのままに動くに人間に脳とは一体何なのだろう。
あまりに独自性を持つのも問題だが、ブラックボックスに操られている状態は情けない。
ブラックボックスのノウハウを理解出来なくても、今の世の中ブラックボックスに囲まれている事だけは自覚していたい。
(╹◡╹)
言うまでもありませんが、ブラックボックスとは情報機器、機関とイコールではありません。
辞書の意味としては、中の構造が分からないままに使う電子装置を指してます。
この場合、原発などの様に上から与えられた便利な物と捉えてます。
ただし、便利な物イコール善とは限らないと私は思っています。