先日、女流歌人の故河野裕子さんと夫君の歌人永田和宏京大名誉教授の歌碑の除幕式が法然院で行われました。
12年前に亡くなった河野裕子さんは生きていれば75歳、永田和宏さんは74歳です。
念のため、ご夫婦の苗字は戸籍上は同じです。
河野裕子さんとは言えば、お幾つになってもみずみずしい歌を詠むのでファンが多い方です。
辞世となる
「手を伸べて あなたと
あなたに触れたきに 息が出来ない
この世の息が」
夫君と子息が手を加えたと言え、この繊細なメロディのような歌に私はぐっと引き込まれてしまいました。
河野裕子さんの歌から哀しい程一途なものを感じてしまったのです。
「歌に恋する」という事があります。
この歌に恋したのです。
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/1c/52b03b4651d37941e2d6bc3eb6d9359d.jpg?1664009262)
法然院は学生時代の二人のデートの場所であります。
京大の生物学部の学生である永田和宏さんと京都女子大生の河野さんは、この哲学の道を寄り添って歩いて桜散る法然院に行ったのでしょうか?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/08/28af05755a583bd61db01d8a704002a8.jpg?1664009267)
この歌碑は永田さんが河野さんの日記歌などを編纂して『あの胸が岬のように遠かった』という本を出版したのを記念して、建てられたものです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/08/28af05755a583bd61db01d8a704002a8.jpg?1664009267)
この歌碑は永田さんが河野さんの日記歌などを編纂して『あの胸が岬のように遠かった』という本を出版したのを記念して、建てられたものです。
今だから話せるドラマチックな二人の恋を語った物語でもあります。
さて、この歌碑に刻まれた二人の歌とは
「われを呼ぶ うら若き声よ 喉仏
桃の核ほど 光りていたる」河野裕子
若々しい青年の夫君の姿が浮かびます。
そして、永田さんの歌は
「きみに逢う 以前のぼくに 遭いたくて
海へのバスに 揺られていたり」
「えっ、これは相聞じゃないのでは?」と思う歌です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/91/4f05277f5e6fb1219719d6a08e62ddf9.jpg?1664009272)
京都の下宿から(?)海に向かうとすると、ひょっとして若狭湾などと想像するのは邪道。
歌の意味として、密度の濃い歌詠みの夫婦の世界から遠い昔の海を想ったのかも知れません。そこは一人の世界です。
同じ仕事を持つ夫婦がお互いに深く向き合っているだけだと(夫婦の何かを知りえない自分が言うのはおこがましいですが)ちょっと地獄ではないでしょうかね。
とかそんな心理分析をされるのは、永田先生にとって心外だと思います。
むしろ、「逢う」と「遭う」を対照したところがこの歌の味噌と思いますね。
愛しい人には「逢い」、何が起こるか分からないものには「遭う」この使い分けができるのが歌の醍醐味かも知れません。
そして、一番私が感じたのはこの選び方に男性(夫)の思いが滲みでてる事です。
恋する若者の自分と巣を飛び出て自由になりたい男の自分の心理を描く歌、ちょっぴり男性のエゴを感じてしまいました。
それにしても、永田さんの心の中では河野さんと今も恋人同士なのですね❣️