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読書の森

老後が心配( ・∇・)今から52年前のお話

爽やかな秋が「お待たせしちゃってすみません」とやってきたようです。
良かったです^_^

心地よい、爽やか、窓を全開、久しぶりの素敵に澄んだ風を受けてうっとりしてる私でした。

が、、、。
止せばいいのに、又昔話をしたくなってしまいました。この先スルーされたい方、ご自由にね。




昭和46年春、今よりずっと若いのに心は老後心配な高齢者みたいに老け込んだ私は、職安の窓口で必死に就職相談をしてました。

なにしろ4大卒の脚の悪い女子(障害者雇用など無い)なんて、殆どの企業が採用してくれない時代です。大卒女子が極端に少ない時代、つぶしは効かないし、プライドばかり高いし、脚が悪いので力仕事や外回りもさせられない、と言う事で戦力としての魅力は0ですからね。

ずっと借家暮らしだし、父の貯金ゼロ、仕事不安定、で結婚出来なきゃ働くしかない、このまま行けば安い時給しか入らない、その挙句歳とって生活保護?ゾッとしてきた(現代の話じゃなく昭和46年の話ですよ)。
何がなんでも職を見つけねばならないのです。

「あら、あなた新卒じゃないのね」と職安のおばさま。
「はい、情けない事に就職試験に全て落ちてしまいまして」
「でも、卒業は44年でそのあとブランクありますね。それからどうしたの」
「アルバイトで病院の受付やってたんですが病気になって」
「病院で勤めて病気になるって皮肉ですね。どんな?」
「肝炎です。完治しました(本当は別の病院で治療の為注射された時、注射針からB型肝炎因子が入ったらしい。それ以前なかったB型肝炎の抗原が陽性になったのです)」

職安の人、胡散臭そうに不安いっぱいの冴えない私を見た。

その時代、適齢期を「クリスマスケーキ」になぞらえてた。
当時の女性の平均結婚年齢は非常に若いです。クリスマスイブが12月24日で25日がクリスマス、つまりイブを過ぎれば晩婚(゚∀゚)と見られた。女の子は高卒後会社にしばらく勤め、結婚資金貯めて、お嫁に行くのが一般的だった!
「なんで永久就職(その頃の表現)しないのかね?」とその顔に書いてあるようだった。
しかし、さすが仕事熱心なおばさん、その一瞬見ただけで、すぐ私の仕事場を熱心に探してくれました。

厚いファイルを調べてましたが(もちろんパソコンなんて置き場所も無かった時代、紙の時代です)、にっこりとして
「ありましたよ」^_^
「ええ!どんなところですか」
「所長さんが障害を持つ人に理解が深い人格者でですね。あなたの前に一名女子社員採用してます」
「、、、(個人事務所なのだろうか?まあ贅沢言ってられない。正職員で雇用なんて滅多にないからね」

「履歴書持って行ってみます?」
「はい。ありがとうございます」
私は喜び勇んで、深く頭を下げました。

繁華街を抜け、お金持ちばかり住む緑の多い住宅街の一角に雇い主は住んでいました。
そこが住居兼仕事場らしい。

職安から渡された案内状と履歴書を出すと、貫禄のある中年のおじさんはチラッと私を見て鷹揚な笑みを浮かべました。

「じゃあ、早速今日から仕事覚えてもらおう」
私ビックリした。これ採用という事なの?

何にも履歴書確認してないよ、このおじさん。いや、この社長さん。



その後、机と椅子が一対置かれた小部屋で私はビジネス文書を書かされました。
顧客への依頼状でありました。
要件と相手先をメモされただけ、教育学部でビジネス文書の書き方など当然習ってませんが、誤字無いよう注意して書き上げた。
内容から察すると貿易関係の仕事らしい。
書き上げた後、誤字脱字がないか再確認して恐る恐る社長の提出。

それを見るなり、社長は笑い出した。
「なあにも知らないんだね。こんな手紙お客様は受け取らん。全然めちゃくちゃじゃ無いか(悪かったね。習ってませんから)ホントに大学出たの?」

そして何故かいやらしい目つきで私を見た。

そこに静かに入ってきたのは、グッと若い(10代に見えた)色の白い弱々しげな女の子でした。
黙って社長の側に立った。
もう一人の障害者の従業員ってこの人だろうか?どこが悪いのだろう。

「どうした?」
「おしっこ、、」( ・∇・)

私は聞き間違えたかと思って二人を凝視しました。
「しょうがないねえ」
ニタニタ笑って社長はトイレに同行する、その女の子とですよ。

いくら世間知に疎い私でも、彼女が知的障害者で、この独身男らしい社長が障害者雇用を名目として女の子を雇ったのが分かってきました。

「ああ、手を焼かせる」言葉とは裏腹な顔の社長にカーッとなった私は宣言しました。

追記( ・∇・)
別に痴漢行為をした訳では無いでしょう。女の子はトイレの始末してもらって申し訳なさそうな顔してましたしね。
多分自分一人でも十分できる美味しい仕事、何の理由か(後でこの人外国籍と分かった)独りで生活してる為、障害者の女子を雇って心を慰めてるのかなあ、と今は想像してます。
つまり、無条件で威張れるし、言う事聞く若い女の子がそばにいると楽しいから、じゃなかったのでしょうかね。
私ごめんだけど。

「すみませんが帰らせていただきます」
従業員の勝手な言葉に全然動じないこの人。
「ああ脚痛むのね。痛そうに歩くもんね」
「おしっこちびったり、ビッコ引いたり、俺も大変だ、、」

(バカにしないでよ!)
怒鳴りたくなってもじっと我慢して、虚ろな心を抱えて私は帰宅しました。
日が落ちてない外は充分明るかったけど、真っ暗な世界に見えた。

翌朝、職安に電話して「その職場は辞退する」と告げると「障害に理解のある雇い主なんて珍しい」とか諭されました。
しかし、目で見た真実を告げるのは惨め過ぎたのです。



その後二度と職安に通う事なく、新聞広告で応募した大手保険会社の試験に受かったのです。
保険のおばさん(お姉さん?)の需要は結構多かったですし、しばらく保険のイロハの研修を有給で続けられました。同期の女性いっぱいで結構面白かった。

不思議な事に大会社ほど障害に対する偏見は少なかったのですね。
ただし仕事は保険契約をいかに多く取るかでございますよ。
実地に入ると厳しいです。
やっと一件契約を取った後、又顧客フォローしなくてはならない。仲の良い同期が全てライバルになるかなりシビアなところでした。
さらに今後歩き続けてこの仕事に従事するのは難しいです。

そこで私は又新聞広告に目を凝らして次の職場を探すのでした。
いつか、きっと本当の正職員になって、きちんと自立して、その夢は実現してくれました♪
しかし夢が実現した後より、暗中模索の貧乏で冴えないモラトリアム時代が、今一番懐かしい時代となりました。


おまけです。
今日のおやつ。冷凍してある食パンの、バターと蜂蜜たっぷりかけたフレンチトーストです❣️

買った時、出来立てのパンで柔らかくて帰宅後こんな形になってました。
形は悪いですが、お砂糖もたっぷりのフレンチトーストは心もお腹も満たしてくれました♪









読んでいただき心から感謝です。ポツンと押してもらえばもっと感謝です❣️

コメント一覧

airport_2014
面白い、と言っていただけるのが何よりです。変な話ですが冥土の土産になります。
とか言って死ぬまでは、まあ日本人の平均寿命迄は生きたいのですが。
カテゴリーについてはその都度変えております。
又面白いと思われるblog作っていきたいです。
robita
初めまして。
とても面白い、と言っては語弊がありましょうが、気を引かれるお話です。
他の記事もいくつか、興味深く読ませていただきました。
こんなブログが同じカテゴリにあったのかと・・・、いや、ずいぶん前に読んだことあるかも・・・、その後訪問するのを忘れてしまったのだろうか・・などと思い巡らしました。
これからも楽しみに読ませていただきます。
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