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読書の森

王丸勇『英雄医談』徳川家康の場合

以前紹介した古本、『英雄医談』、徳川家康が医学に非常に興味を持っていた事に触れました。
この方は相当な頭脳の持ち主で、策略家であると同時に目標を定めて絶対に諦めない実行力があったそうです。
彼の功績に関する文献が多く残ってますが、何故か一般には「狸親父」だとか「忍耐力」とか、豊かな才知と関係のないイメージが強いみたい。

多分今に残る肖像画のイメージが強いのでしょうね。
上の肖像画は、負け戦の後もあって一国の城主なんて決して見えない。小太りでおっさん的風貌の持ち主です。
下々の丈夫そうな女性を好んでいっぱい側室にしたそうで、つまり心も身体も丈夫な子供を産ませたかったらしい。
全然ロマンチックじゃない方だけど、今の日本国の基礎固めを凄まじい実行力で成し遂げた。

著者は精神科医だけに爆発的高揚感による活動力を持ちながら、部下の進言には融通よく適応する点で、太り型の体型もあって躁鬱気質と判断してます。
確かにそうだ、と思います。
天才的頭脳の持ち主だが癇性で神経鋭敏そのままの織田信長様と相当違います。

家康は実学に非常に関心があって医学書を好んで勉強して健康づくりに励んだとか。
上の写真は常に身辺に置いていた薬物調剤の参考書です。自分で常用薬を調合してたそうですよ。

当時としては長命(数えの75歳)ですが、晩年自身の診断を誤ります。
食当たりで虫のせいだと自前の薬で済ませていたのが実は胃癌(?)だったらしい。
ただし最後まで意識がしっかりしてたそうです。

ここで著者は、要領も頭も抜群に良い家康も晩年は歳のせいで怒りやすくやたらと感情的になったと例を挙げて言ってます。
動脈硬化じゃないだろうか?とか。
それは米食の摂りすぎとしょっぱい香の物の摂りすぎとか分析してる。
流石の家康さんも粗食で食べ過ぎをセーブしてた中年を経て隠居してから気が緩んだのでしょうか?

元気で頭のしっかりした当時高齢者だった家康さんの健康法と症状分析は非常に面白く今日の高齢者も参考になると思います。
「健康年齢」が重要視されてる現代、その角度から徳川家康さんを考えると興味深いです。

注:
ちなみに江戸時代初期の庶民は乳幼児の死亡率が非常に高い事もあって平均寿命が20歳に満たなかったそうです。
ただし、60歳を超える老人もいて多分裕福な環境の良さもあり70代以上の寿命の方も多かったとか。



読んでいただき心から感謝します。 宜しければポツンと押して下さいませ❣️

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