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読書の森

歌は世につれ 世は歌につれ

昔、我が家にテレビが無くてラジオから流れる音楽(主に歌謡曲)を聞いてた時代の事です。
昭和30年代初めです。

何回も自慢げに申しますが、ウチの父は青春期(戦前)にこっそり出た地方ののど自慢大会で1等をとったとか(その時あの大歌手田端義夫がでたと聞いてますが、その人をおいて1等をとったのかどうかは判然としてません。歌手志望でしたが家で猛反論され諦めたそうです)、母は女学校時代、名古屋の学生とコーラス部にいたとか、歌が大好きな両親でした。

小学生の私の記憶にビッチリと戦前戦後の歌謡曲、ジャズ、民謡、ラテン、etcが詰め込まれてしまったのです。それ以降の歌より遥かに多くinputされてます。

かの五木寛之氏も歌がお好きなようです。丁度母と私の生まれた年の中間、1932年生まれで歌謡曲の好みが私とほぼ一致してるのです。

五木寛之氏が、太平洋戦争の末期惨すぎる母の死に遭いながら朝鮮半島を脱出した頃から、青春期に至る頃の好きな歌を紹介します。
(これは同時に両親と私の思い出の歌でもあります)

まず『国境の町』、当時の荒涼とした大陸はまさに国境の町だったのです。

「行方知らない さすらい暮らし
空も灰色 また吹雪
思いばかりが ただただ燃えて 
君と逢うのは いつの日ぞ」

この君とは、恋人とは限らず、家族や友人かも知れない、別れ別れの苦しみ、明日も知れない暮らしの苛酷さ、そんな想いが伝わってくるのです。

辛い時には、励ましや元気付けより、
「わかるわかるよ、自分もそうなんだ」という言葉だけで人は支えられると思います。
恥ずかしがったり遠慮しなくても良い場所で思い切り泣けるだけで、人は癒されて傷ついた心が助かる事がありますね。

上は五木寛之氏の学生時代の写真です。

昭和28年、彼はアルバイトしながら貧乏な学生時代を送ってました。
その時流れたラジオ歌謡が心に残っているそうです。

『雪の降る町を』
、、、
「雪の降る町を
遠い国から 落ちてくる
この思い出を この思い出を
いつの日か 包まん
あたたかき幸せのほほえみ」
、、、、


『雪の降る町』は幼い私が一番最初に覚えたラジオ歌謡です。

もっと幼い頃、自分の生まれ故郷(岐阜県)は冬は雪が積もり氷柱が軒に下がって、まるで別世界になりました。

9歳で上京して田舎と都会のあまりに違う点に強いカルチャーショックを受けたのです。
しかし、その大都会でも工場のラジオから流れる歌は変わりません。
『雪の降る町を』は両親と私だけで暮らした小さな田舎町の思い出を甦らせてくれました。
道いっぱいに雪が降った後は意外と辺りが暖かくなって、小さな私でもサックサックと雪を踏んで歩くと凄い冒険をしてるみたいでとても楽しかったのです。

今の私であれば、滑って転んで二度と起き上がれなくなるのが怖くてとても出来ないです。
ただ昔から、物語や歌に描かれた雪の大平原という風景が好きなんですね。
ポツンポツンと民家の橙色の暖かそうな灯りが見えて、必ずそこまで行くと暖かい暖炉とご馳走が待っている、そんな情景が好きです。


夢のようにそんな光景を思い浮かべるのです。

ダンディなさすらい人五木寛之氏も失礼ながらお年になられて、私も立派な婆さんになってしまいました。
時は留まる事なく、無情に流れていきます。


読んでいただき心から感謝いたします。

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