もっとも後書きには、
「人間の愉しみというのは、本来、人に言えない隠微な性質のものではないか。
幸福と面白いこととは違うという見解である。
この時注意しないといけないのは、富家の人は物質的に充足しても精神的に不幸であり、貧者はその反対に貧しくとも幸せーという常套的な図式ができやすいことだ。」
つまり、「面白いことを見つけるから幸福だとは限らない」という見地から、作品を味わっているのです。
個人的な愉しみは万人の愉しみとはならず、その苦さも交じった愉しみを密かに持てるのがオトナと言える、と田辺聖子さんはこの本をしめてます。
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さて歳だけ喰ってオトナと言えるかどうか分からない私は、ちょっとオドオドしてページをめくりました。
ところが、何の事はない、歳食っても煩悩が去らないオトナの方々のお話ばかりでございました。
例えば、田辺聖子の『嫌妻権』は妻のやる事なす事に繊細な(?)神経を傷つけられる中年サラリーマンのお話。
世間的にはごく常識的に見える寡黙な上司である。
「何も内側のホンネなど世間にしゃべることはないのだ」と思ってる。
しかし、流行ってた流行歌、都はるみの「北の宿から」の
「あなた死んでもいいですか」
など聞くと「どうぞどうぞご遠慮なく」と妻に言い出しそうな気がする。
本心をひた隠して平常心で勤めを続けるのは辛いものである。
そこで見つけたのが、「秘密の隠れ宿」と言っても、寂れた土地の「小汚い」アパートの格安物件、3畳一間の一室である。
ここを借りた彼は、仕事上の理由をつけては誰もいない部屋にいそいそ向かう。
ここでは細かい小言もうるさい世話も無い、自分の思いのままに振る舞える空間があるからだ。
「湯割りウイスキーを飲みつつ井村は思う。いや、孤独が好き、いうのんとちゃう。妻がキライというこっちゃねん」
ここ迄読んでこれは男の作家が書ける文章じゃないな、と思いました。
女性から袋叩きに遭うのが目に見えてるからです。
ご存知のように田辺聖子さんはご主人と仲が良くウマのあった夫婦でいらしたようです。
その田辺聖子にこの作品、と言っても何の不思議もない、ただただ面白い作品でした。
他にも傑作揃いの作品集で、又面白そうなのを(著作権に触れない程度に)紹介したいです。