家の中での存在感がやたら大きいだけです。
「下着洗うからみんな脱いで!ご飯食べてくださいよ、片付かないから」
子供は心得て要領良く避けてるが、夫は妻の指図がましい干渉ぶりに辟易としている。
一言口答えすれば、百位返って貶されるので、勢い無口になる。
何も言わないので妻は夫はそれなりに親愛の情を持っているのだとニンマリする。
(以上本文からの引用と自分が周りの夫婦を見て推測した話です)
あくまでも田辺聖子さんの拵えたフィクションですが、夫婦の機微をついているみたいですね。
いったいに、家でゴロゴロしたい夫と、夫と一緒に外へ出かけたい妻と、というのが昭和の平均的サラリーマン家庭の構図だったみたいですね。
甘ちゃんの私は、夫や子供に美味しい物作って食べてもらって、洗濯して、家を綺麗にして、別に贅沢しなくてもいいから、などと夢を描いていましたが、お互い家にいると、この『嫌妻権』の妻の条件に当てはまってくるようで、ゾッと致しました。
まあ有難い事に(╹◡╹)ゾッとする必要もなく、ずうっとおひとり様です。
先日買った週刊文春に、『おひとりさまの老後』の著書上野千鶴子さんとフリーアナウンサーの宇垣美里さんんの対談が載ってました。
「ひとりがいい」と気づき始めた、というタイトルです。
今、もし男性同士の対談でこのタイトルがついていたら、なんだかモテない男同士の強がりに見えてしまうのは古い考えですね。
ただ、一般にお爺さんよりお婆さんの方がひとりに強いのではないか、と思えます。
宇垣さんは鋭く怖い事を言います。
「いつでも離婚できるし自分ひとりの収入で家庭を支えることもできる、と思える。自立してないと怖いと思います」
上野さんが付け加えます。
「今の日本の労働市場は女の人がひとりで食べていける構造になってない」
つまり、選ばれた数%だと言うのですね。
以前は目を背けていた、「夫が妻から逃げたい話」「女の自立」の話を取り上げたのは、自分が実際に体験したからです。
亡母は明らかに亡父より仕事が出来る人で、仕事を持たない時は不甲斐ない夫と我が子(私)にエネルギーをぶつけておりました。
そこで耐えかねた夫はプチ家出(伯母宅)してます。その後亡母は資格の取得や職探しに熱中して仕事を得てます。
公平に見て私より遙かに事務方の仕事に長けてました。しかし、日本の職場の構造は安月給でおばさんをこき使うようになってます。
仕事の能力の無い私でも有難い職場に恵まれ家を持てたのは、時代の流れのお陰です。とはいえ、父亡き後母と暮らしていると、亡父の財産で暮らしていると周りは見てたようでございます。
脚の悪い私、ニートに見られてしまいました。「ええ、結婚したことホントに一回もないの!?」などと目を丸くされたり、
「それはかわいそうに」と宗教のお勧めをいただいたりしました。
考えてみたら、そこでバシッと「この家私が働いて貯めたお金で買ったのよ」と言えば良かったです。
女の見栄で、「実は学生時代に好きな人がいたんだけど、再会した時はもう妻帯者だったのよ」(半分ホント半分ウソ、何故なら複数でしかも友達関係でありますから)
と言ってしまうと、噂好きの方が「あの人愛人関係だったそうよ」と尾鰭をつけて下さいました。
あれもこれも、社会構造故でしょうか?
それ以上に、社会常識のない私の対応の間違いから生じたのだと反省してます。
なんて、つまんない話をしましたが、お陰様で少しは成長(婆さんですから当然)して、達観出来る境地になれました、お粗末。