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読書の森

卑弥呼の墓

今年5月、佐賀県神埼市吉野ヶ里遺跡で新たに広大な墳墓跡が発掘されたと言うニュースが入りました。

ひょっとすれば「邪馬台国の女王、卑弥呼の墓ではないか」素敵なニュースではあります。
しかし、今は
「今どき何が邪馬台国だ!
自分の命も危うい時代、歴史ロマンなど語れるか」
かも知れません。

もはや、現実をまともに見たくない私、歴史ロマンにやたら惹かれるようになりました。

日本列島の成り立ちはお隣の大陸よりかなり遅いです。火山の爆発や地殻変動によって大陸から分断された島だからですね。
なので、中国の後漢時代、紀元後1世紀に倭奴国が後漢に使いを出したと言う記録が最初のものです。
日本の弥生時代が明けて日本国の形が出来たと推察出来ます。
その頃の日本では男性の王が何人も出ますが争いを繰り返して国がまとまらなかったそうです。

そこで出現したのがシャーマン的な要素を持った女王卑弥呼で、邪馬台国を圧倒的な力で治めたと言われてます。
中国の歴史書『魏志倭人伝』に載っているのは、倭国の女王で生涯独身、年長けて(おばさん)、人前に顔を出さない、弟だけが唯一の男性として彼女の言葉を伝えた。鬼道を信じその占いが百発百中だったそうです。
争いを好まず外出もせず、周りにいるのは女性ばかり、政治方針を伝えるのは弟だけ、どんな容姿かどんな性格か全然伝わってません。生年も定かでないですが西暦247年に逝去したとされてます。
墳墓は広大で多数の奴婢が殉死して共に埋められているとか。

卑弥呼の治めた邪馬台国が我が国のほぼ最初の形になるのですが、邪馬台国がどの地方にあるのか?畿内か九州か、学者の間でも長く議論されてます。

卑弥呼が女性だと言う事は確かですので、歴史ロマンがお好きな方(例えば作家横光利一は小説『日輪』に描いた)は想像を逞しくしていたみたいですね。
又後世において卑弥呼は架空の女帝だとか言われてます。『古事記』にも『日本書紀』にも書かれてないからです。しかしこれらは卑弥呼の死後500年位後で書かれてます。卑弥呼の時代を知ってる訳はない。
神話でない日本の歴史はそれ以前にあったと思います。
大陸の著名な歴史書『魏志倭人伝』の記載は事実ではないかと。

『魏志倭人伝』では邪馬台国の在処も卑弥呼の生い立ちも全く分からないので、今回発掘するのが、もし彼女の墓だったら非常に興味深いものはあります。

天気予報などないし、例えば日照りが続くと農民は「雨乞い」の他手がない。
非常に六感の発達した老女が経験から雨天を予想すれば、民衆は「恵みの雨を降らせた女神」として崇めたのかも知れませんね。
その弟が彼女を神格化して政治利用したと思われます。

ともかく、卑弥呼さんは召使や数少ない肉親以外には絶対顔を見せないミステリアスな女王様だった事は確か。

勝手に想像力を逞しくするのはワクワクして面白うございます。




話は変わって、食べ物の話で珍しい加賀の胡瓜、太さが普通の胡瓜の二倍位あります。
宣伝も兼ねて売ってるので100円と非常にリーズナブルです。
冬瓜と同じように料理すると美味しく食べられるそうです。

皮を剥き種をとって甘辛く炊きました。市販の小海老のフライを一緒に炊いてみるとコッテリ美味しくなりました。
あっさり味が好きな方は胡瓜だけ炊くと冬瓜の煮物の様な味がします。

季節の変わり目気をつけて過ごしたいです。
どうか大荒れの天気が続かぬ事を祈るだけです。

追記:卑弥呼が実在したか否かは学者の間で諸説あります。『魏志倭人伝』の他、日本の史書に記載してない為、又古くからの神話を否定する説に抵抗を覚える向きも多いです。
ただ日本独特のの文字が確立したのは、卑弥呼の時代の後で記録が残せなかったと思います。卑弥呼亡き後自然災害で一族全て滅んだ事もあり得るし、天皇家に繋がるものとは考えられません。
『古事記』『日本書紀』は日本文化が確立した初期の歴史書です。
それより以前に中国文化は栄えてますので、『魏志倭人伝』の中身を信じて良いかと思います。

ただし、この卑弥呼像はあくまでも『魏志倭人伝』の記載などから私の想像したものです。学問的なものではないです。
異論のある方お許しくださいませ。



読んでいただき心から感謝いたします。

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