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読書の森

文学部は落ちて教育学部に受かった話

本日健康上の理由により、blog作らないつもりでしたが、ブロ友さんの大学入学時代の記事を読んで刺激されて、記事を書いてしまいました。

見出し及び以下の写真は、年代順に大学時代のものをアトランダムに出したものです。過去記事との重複をお許し下さい。

何しろ半世紀以上前のものですから、私も婆さんになり、写ってる方もそれなりに年取ってらっしゃるので、プライバシーは保たれると存じます。
勝手に載せてごめんなさいませ🙏


私は幸い大好きな母校に合格できました。
でも第一志望は早稲田の文学部だったのです。どちらも得意な国文を外して教育学専攻を受けたのは、ひとえに倍率が低かった為でございます(いい加減です)。
入れさえすれば御の字と言う実に志の低い学生でございました。

私の熱い想い❣️が実ったのは大学受験のみです。もっとも文学部は落ちて教育学部に入学出来たのですが。
文学部に入学出来てれば、あの大好きな小百合さん(吉永小百合よ)と会えたかも知れないと、それが残念です。


これが1965年夏北海道旅行で湯野川温泉近くのユースホテルで出会った人たちとの写真。
この時初対面でしたがみんなと仲良く出来ました。黒一点の人、同志社大の4年で塩野義製薬に入社が決まった方です。
ちょうど小学時代の仲良しも塩野義に入ってて、とても親しみを感じました。


これは同じ1965年夏、体育の授業(水泳)で館山合宿の時。後ろは上級生です。

これが1966年夏サークルの房総夏合宿、「家族の人間関係」について現地調査しました。

これが、1968年春、今は消えた(建て替えた)第一学生会館の前でサークル仲間と撮ったもの。

これは同じ1968年白樺湖夏合宿の写真です。女の子が非常に多いでしょ。実は他校(女子大ばかり)の女子をウチのサークルの男子がスカウトしちゃったのですよ。
主にポン女でありました。

文学部に落ちて教育学部に受かったのは、文学部の方が全体的に偏差値が高かったからです。今もそれは変わりません。
同じように(専攻は違う)両方受けて教育に受かった子と話して、その子も同様の理由と分かりました。

さて、図々しい私は一人で(親の同行を断って見に行く)文学部の合格発表を見て落ちた事を確認。やたらお腹が空いて、先程の写真の学館の地下食堂で食べようと、勇躍文学部から学館地下食堂に向かいます。
さて、地下1階に階段で降り食堂(スゴックリーズナブル)に入った瞬間、見事に滑ってしまいました。
ところが滑った私を見てみんな笑うのよ(^^)
どうしてって、ちん丸くて嬉しそうな顔した子だったのでユーモラスに見え、とっても不合格と言う感じじゃなかったらしい。

どうも自分はこの頃からアクシデントが起きると(辛いと)笑顔になる癖があるらしい。
つまり
「泣くのは嫌だ!笑っちゃえ」です。これはNHK子供番組『ひょっこりひょうたん島』のテーマソングですよ!

泣くのは嫌だ 笑っちゃえ!でございます♪



読んでいただき心から感謝いたします。

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