戦争の記憶が新しい昭和30年代の事である。
海沿いの街の小体な飲み屋、数人の客が雑談していた。
外は、眩しい稲光。
雷鳴が轟き、激しく雨が降ってきた。
突然飛び込んできたびしょ濡れの女。
黒髪は顔に張り付き、濡れた服は身体の線を露わにしている。
無遠慮な男客はジロジロと女を見た。
そのような格好にも拘らず、若い美貌の女は輝いて見えた。
「おばさん、一杯ちょうだい」
女は慣れた調子で言った。
よく響くアルトの声。
世慣れた女将は、女と打ち解け、いつしか女は身の上話を始める。
その時代の話だから、戦争によって運命を狂わせた女の生きざまが語られる。
女将も客も、心を惹きつけずにはおかない女の話に聞きいるのである。
雨が小止みになった時、女将の心配する声に女はニッと笑うだけで、風の様に去って行った。
これは小学生の私が昭和30年代に聞いたラジオドラマである。
それは鮮烈に叩き込まれた大人の話で、戦争によって変わった世の無常に初めて触れた体験だった。
題名が『夕立ちの女』なのか、粗筋が上記の通りか、かなり曖昧な記憶しかないのは申し訳ない。
ただ、激しい通り雨の中で強烈な印象を残す女が、店に飛び込んだという部分の記憶は間違いないはずだ。
それにしても、ちょっと夜更かしして聞いた昔風のラジオから流れる物語の印象は凄いものであった。
戦争で全てを失い、荒んだ境涯にあっても、自分を失わない美女なんて言うと陳腐になるが、ドラマとはかくも魅力的なものかと思えた。
映像で見えないだけに、尚更想像力が掻き立てられた。
まだ、その時代テレビは普及していなかった。たまに見る映画のスクリーンの美しさは格別だった。
小さな白黒のテレビの世界は豊かで観る人を夢中にさせた。かっての茶の間の主役のラジオは忘れされた存在になってしまった。
モノに満ち足りていると見えないものが、欠乏した時見える事がある。
古びた音の悪いラジオは無限の想像力を誘ったのである。
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