未だ産声を上げてない方もいらっしゃるのではないか、と思います。
実社会で活躍する殆どの人が男性、平均寿命が65歳位(ちなみに女性は70歳位)、定年が概ね55歳の時代です。つまり、退職してから10年程の短い期間が人生の黄昏という訳ですね。
「晩節」とは終末期を指すのでなく、社会人としての終わりの時期です。「晩節を汚す」という言葉がありますが、本著の主人公は全てその晩節を汚した人ばかりなのです。
松本清張という人は、一貫してリアリストです。美しい風景描写やロマンに憧れる心情が描かれていても、現実の社会を観察する目は覚めてます。
例えば『筆写』に於いては、家族に疎まれた薄汚いものぐさの老人がお手伝いの女性に春情を感じる顛末をこれでもかとリアルに描いてます。この老人はなんと未だ72歳。
又『駅路』では銀行を定年退職した謹厳実直な男の一途な恋の意外な結末、それは老人の財産目当ての周到な犯罪が絡んでいます。このお話も現実に起こりそうです。
昭和30年代は非常に老人が少ない時期で、60歳を過ぎると隠居と世間から見られてます。老人の生々しい振る舞いは軽蔑視されてます。
松本清張はこの時代風景を背景にして、実社会からリタイアする男たちの実態をかなり残酷に描写してます。
残酷ではありますが、緩いアナログ社会の事、懐かしい人情や風物の描写が印象を柔らかげてくれます。
逃げ道のある社会だったのでしょうね。
私は、黄昏時夕餉の匂いが漂う町を歩くのが大好きです。
昨今の物騒な世の中で、結構怖いものはありますが、こういう時鬱陶しいけど防犯(監視?)カメラの整備してる場所は安心して歩けます。
カメラの事考えなければ、晩夏の住宅街の夕餉時の匂いは昭和30年代とさして変わりがないように錯覚してしまいます。
本著の書かれた頃、確か清張さんは杉並区の住宅街にお住まいだった筈、50代で会社を退職された時期です。
いかにも落ち着いた大人の眼で描かれている小説ですが、実は清張さんの活躍時期はこの後が長いのです。
子供時代苦労を重ねて目立たず大層シャイだった清張さんは、功成り名を挙げた後の活躍が凄いです。
1976年〜84年世論調査で好きな作家の第一位に選ばれた(77、84を除く)頃、実社会に対して積極的にアプローチしています。
65歳の時、池田大作会長と宮本共産党委員長の極秘会談を自宅でセット(1974年)。
フランスで開かれた世界推理作家会議で講演(1987年)。これが78歳の時。
そして、1992年82歳で永眠する前年まで海外で活発な取材活動をしてます。
おそらく70代の清張さんは「晩節」を描く時、全く別の視点で描かれるでしょうね。
その頃の平均寿命は80代に近いです。
動きが取れないコロナ禍の中で言うにはトンチンカンな言葉かも知れませんが、
「晩節を汚す」のが見っともない時代から「晩節を目一杯全うする」時代に変化して欲しいです。