読書の森

祖母の思い 前編



私は両方の祖父母にとって初孫だった。
可愛がられたのはいいが、まだ若い祖父母の本音ばかり聞かされた。
飢えに苦しんだ戦時中、地主だった祖父母はかなり楽だった。
しかし、祖母から聞かされたのはの夫の悪口なのである。

父方の祖母、そねが初めて子育てしたのが私だった。
彼女は造り酒屋の奥様として裕福な時代を過ごした。
自分の子は全て女中任せにして芝居見物に行った。

家が没落してから、私の父親は転々と職業を変えた。
母も働いたが追いつかず、質屋通いが続く。
夫婦喧嘩が絶えなかった。
子どもの私はだんだん病気がちになった。
見かねた祖母は、強引に私を東京の伯母の許へ連れて子育てしたのだ。
かなりおかしな子育てで、「女は勉強なんかするとお嫁に行けない」と言うのが信条だった。

彼女は一切料理が出来ないので、伯母の工場の賄いを食べた。子どもが早く一杯食べる事は大変だった。
祖母は綺麗好きで、私の見なりにはずいぶん構ってくれた。
そして一通りすると「寝るほど楽が世にあろか。起きて働く浮世のバカ者」
と箱枕を当ててごろんと眠る。

隙を見て私は従姉妹から借りた雑誌をワクワクして読んだ。



ユニーク極まりない祖母たちだったが、全然タイプが違った。
母方、一枝は地味で外出を好まず、勉強家だった。
父方、そねは着道楽で芝居好きで、怠け者だった。
共通点は頗る人好きな祖父の女遊びを封じる為に嫁入りした点である。

夫より家柄が良くプライドの高い嫁は、夫の浮気にめちゃくちゃ悩んだらしい。
そのためか、ごく普通だった容貌に劣等感を持っていた。


実際することはして子どもは6人出来た。
しかし、二人とも「愛されなくて不幸だ」といつも愚痴ってた。

ただ、この二人ほど私の幸せな結婚を望んでくれた人はいない。
「花嫁姿を見てから死ぬよ」と言った
祖母の顔が忘れられない。

ただ、私自身は父方の祖父の性格にそっくりだと思う。
実行力も情けも過剰なのである。
祖父は私が3歳の時亡くなった。
私が来ると大喜びだったのをうっすら覚えている。

読んでいただき心から感謝です。ポツンと押してもらえばもっと感謝です❣️

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