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読書の森

面影橋

ロマンチックな響きのある面影橋(おもかげ橋)は、神田川にかかる何という事もないコンクリートの橋です。

早稲田学生街を通り抜け、都電通りの面影橋駅近くを探せば直ぐ見つかります。新宿区早稲田からこの橋を渡れば向こうは豊島区、昔の下宿先からも近い、懐かしい所であります。

ここは江戸時代には武家屋敷が並ぶ閑静な場所で、今もその面影が残ってます。

ここが、旗本の馬術訓練場だった江戸時代の高田馬場。
馬場としてより堀部安兵衛の仇討ちがあった場所として有名です。

そしてこれがその地にかかる姿見の橋の図。面影橋の別名と言われますが、面影橋の側にかかっていたという説もあります。どちらにしても江戸の盛りの情緒ある橋に違いありません。

当時の地図。将軍に近い井伊家や松平家に近い格式ある屋敷が並んでいたのですね。

これが今の図です。

どちらの地図にしても、この町は格式高いものはあります。ロマンスとは遠い印象です。
ただそれより以前、江戸の都がつくられる前には、面影橋の名前にふさわしい物語が(実話らしい)伝わっているのです。


戦国時代、お戸姫という見目麗しい姫がいました。その姿に恋焦がれた武士が彼女を両親の下から攫って拉致してしまいました。
それを救った夫婦の側で暮らす内、近所の武家の妻となります。穏やかで幸せな日々は束の間、横恋慕した男に夫が惨殺されてしまう。姫は怒りのあまり隙を見て夫の刀で男を刺し殺したのです。

そして己の美しい黒髪をブッツリ切り、橋の上から川に変わり果てた姿を映して「自分の姿形など幸せの妨げになるばかりだった」と嘆きながら川に身を投げたと言います。そこから橋の名を「姿見の橋」、「面影橋」と称したそうです。



次は時代が降って江戸の都を開いた最初の人、太田道灌とその地の乙女との話です。
この辺りは1500年代には山吹の里と称され、山吹の花は季節には鮮やかな美しい色で辺りを染めてくれたとか。
道灌がこの地を訪れた時、俄か雨に遭ってしまいました。そこで偶然通り合わせた民家の娘に「蓑を貸してくれぬか(雨を防ぐ為)」と頼みます。
そこで、娘は当惑しながら、山吹の枝をついと切り取って渡したのでした。
一見依頼とは関係無い娘のさりげない行為には
「七重八重 花は咲けども 山吹の
実の(みの)一つだに 無きぞ哀しき」
の古歌の意味が込められていたのです。

咄嗟の返事は無粋な道灌に通じなかった。
彼としては雨を避ける蓑を欲しいと頼んだ筈が、風流な趣味を押し付けられたと感じたらしいのです。
実は、娘のうちは貧しくて文字通り雨を凌ぐ(実の)蓑が無かったのです。ありのままに伝えるのが恥ずかし過ぎて婉曲に示しただけ。

お互いに真意が伝わらぬ思いがあります。
そして、糸のように降り続く雨の中。
寂しげに見送る可憐な乙女と、憮然として立ち去る凛々しく高貴な武士、雨粒を受け一層鮮やかに咲く山吹の花々。
絵になる光景でございます。

無味乾燥に思えるコンクリートの街も、古(いにしえ)の情景を思い浮かべると、色付きの街になるかも知れません。



読んでいただきありがとうございました。

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