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最近とみに母が感情を激しくぶつけてくる。
機敏に働く人だったから、出来ない頭と身体がもどかしくて悔しくて私に当たるのだと思う。
母はずっと私を離さなかった。
私は以前まで「何故分からない」と応えのないポストに向かっていた。
しかし、認知症という何でも有りの状態の相手と最早喧嘩にはならない。
さりとて、攻撃が一晩中だと根を上げる。
どっか行って欲しくなる。
行けっこないから母を放り出したくなる。
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まるで暗いトンネルを明かりを持たずに歩いている様だ。
先は見えない。
「私はあなたの付属物だから何処までもついて行く」
これは前に母の言った言葉だ。
しんどかった。
ある高名な女流作家は「母親が抱きしめて離さない」という脅迫観念に襲われ、ノイローゼになったと言う。
私は昔おんぶお化けに一生取り憑かる恐怖に怯えて、狂った。
飛んで別世界に行きたいと叫んだのである。
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歳を取るのは有り難い事で、何事も有りの度胸を育ててくれた。
しかし、翼は傷ついてもう空が飛べない。
大空を飛べないなら、いっそ大海に船を出したい。
港の錨を離したい。
ドラが鳴り船は波に乗る。
波は泡立ち、風を呼ぶ。
風の中で叫びたい。
「待ってて下さい。そちら側に行くまで」
行く手の島に何があるかは知らない。
待つ人を知らない。
知らなくても構わない。
空も海も普遍の母性を秘めて、一人の私をしなやかに包み込む。
それだけで幸せだ。
猫の様に目を細める。