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読書の森

『生きていて』後書き

最愛の人の身代わりになって命をおとす、これは鎌倉将軍だった頼家に見せかける為、面を被り敵に殺されたかつらという女性を描く『修善寺物語』にも載ってます。
今どき受け入れ難い純愛でしょう。二人が無事助かる道を先に考えるのが筋であります。

が、大災害に遭ったり、戦火に追われたりする中で、愛する我が子を護る為に命を落とす母の話を戦後しばらくは聞きました。

例えば、昔極寒の満州で病に倒れた親が、子供のいない親切な村人に子を預けた話。その後、飢えと寒さの為に親は惨めに亡くなったと言います。

この場合我が子だから自分の命を犠牲にできるので他人となると話は別と思います。


純愛じゃなく殉愛。国の為に命を落とす美学(?)が囃された時代もありました。
太平洋戦争中の神風特攻隊みたいなものですね。
封建時代の名残があった時代、忠臣愛国の士や熱烈な貞女(夫の為に身を削って極貧を耐える妻)などが、もてはやされた事もありました。

先の敗戦後、価値の大転換があって、人の意識が180度変わりました。
先ず己の立場大事にしないと他人を公平に見れない、という考え方でしょうね。

ただし、人の世に生きている限りたった独りで生きている事は出来ない、例えば電気水道ガスが自分で引ける訳もないし、野垂れ死など自由にさせる訳もない(極端ですが)。
それより何より、自分を産んだ親がいる以上その関わりを捨てて生活するのは無理があります。人は社会的動物ですから。

そして、普通の人である以上、愛という感情を捨て去る事は出来ません。
恋愛、家族愛、郷土愛、仕事への愛、自分の置かれた場所への愛、様々です。
普通、一番純粋に語れるのは親子の愛でしょうね。

複雑な家庭環境を持った私。
一人っ子で、子育て経験の無い保護者が複数います。
それも保護者それぞれが「愛」について悩んでいる家庭でした。
親の破産、親の離婚、他人の子の養育、学歴容姿のコンプレックス、つまり自分は愛されていないという悩みを持つ女性(ここまで父方)、婚家の破産、姑のイジメ、経済破綻、我が子の障害、結婚前まで皆に愛されていたのに今はいびられ憎まれてる悩みを持った女性(これは母)に囲まれ、それぞれ真逆の感情を私に伝えるのです。

私の周りの友人は、たとえ収入や学歴が低くても、世間の一般的な価値観を持つ親兄弟に囲まれた家庭とは別のそれぞれの価値観を受け入れる必要がありました。

その為、私は標準的な「普通の家庭」への憧れが非常に強かったのです。
幸い学校の勉強が好きで「ビッコ」と言われようが、家が貧かろうがめげずに普通の子と一緒に頑張れました。
時代と情けのある友人に恵まれたのでしょうね。
もう一つが読書という別世界のお陰があったのでしょう❣️

ただし、いつか普通の家庭に入り健康な子供を育てるという望みが支えていたから頑張れたのだ、と思います。
もしそういう家庭に入った時は、恩人(?)である夫や最愛の子の為犠牲になっても構わない、と本気で思ってました。

世の中は上手くいかないもので、自らの不行き届きもあって、一番の望みは消えてしまったけど、
無償の「愛」に対する憧れは未だあります。それも自らがその対象に愛を注げる事ですね。ただし、多分相手に迷惑だと思いますがね。







読んでいただき心から感謝です。ポツンと押してもらえばもっと感謝です❣️

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