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読書の森

護国寺から早稲田へ その2

急に冷えてまいりました。寒暖差が激しいので気をつけて過ごしてまいりましょう。

それにしても、何だか昔の秋を思わせる首都圏の天候です。
昨日も昼から冷えてすっきりと高い空にぽっかり浮かぶ雲、昭和中期の11月の気候を彷彿とさせて若くなったみたい。張り切って歩いてたけど、よく考えなくても私は若くないのでございます。

実は全く行き当たりばったりの遠出の中身が盛りだくさん過ぎて、今朝は頭の中も身体もヘロヘロになってましてた。昨日頑張って偉そうにしてた自分が恥ずかしくて、遅起きして布団の中で縮こまってました。

取り敢えず毛布を日向干ししまして、昨日の残り物と冷凍焼きおにぎりを温め、お昼に食べました。




一段落ついて、昨日の行程をおさらいしてみます。
昔の江戸切り絵図と今の地図。
昔の武家屋敷で今は文字通り文教地区です。
思い起こすと私が生まれて初めて下宿した場所の近くです。

実は護国寺近くは綺羅星の如く学校が並ぶ所でした。ポン女、跡見(下宿の友達が通ってました)、早稲田、筑波大附属小中高、お茶大、東邦、etc.つまり、日本全国でも珍しい若い子の多い町だった❣️
そして、谷根千にも近いのですよ。

今の文京区の若い人が行く食堂のようです。洒落てました。


同じ通り(音羽通り)に、「えびす介護老人施設」がございます。なんだか至れり尽せりなの。

スルーしてひたすら歩きます。
目白坂辺りで江戸川公園、そして神田川に遭遇。

江戸川公園傍の石碑と像。
実はここが、井の頭恩賜公園の池(水源)と結びついていた。

井の頭から引かれた水が玉川上水、そこをさらに引いて、上水(上屋敷の)と余水(下水など)に分けた地点が関口。今の町名です。

目白台から早稲田に至る場所です。


実は自分史と江戸の歴史が交錯したところでありました。

一休橋を渡って鶴巻町(下宿してた頃買い物した町)に出ます。さらに大学へ歩いて行こうと頑張ったが、なんと反対方向に向かってしまっていた。

ガックときますがバスで上野公園に向かう事にして、、、気がつくとこのバスは早稲田ー上野松坂屋間を行く経路だったのです。
「そうだ!200円損するだけなら引き返そう!」
途中下車して引き返します。
本当の事言うとボケを疑われそうで、しかもお腹の減った私は、ツンツンした顔をしてます。

ドジな私は千石近いバス停で降ります。
そこで見つけた木の香も新しい本屋さん❣️
さすが、若い人のいる町です。




一般の書店じゃ見かけない、この地ならではのレイアウトです。素敵です。



旅の本や



空や星や月の本。



夢があるなと感じました。ただしお客様は学生でなく年配の人が殆どでお店の方は若かったのです。
ここら辺を戦略的に「売れる」形に出来るかが大変ですね。

それにしても、ここから早稲田に行くバスの中は二極化(?)してました。
年寄りと可愛い学生です。
バスの動きはスムーズだけどのんびりしてるし、私はホントの時間旅行をした気になってきました。

さて、ここから前日に戻って明日ネットで早稲田大学構内に参ります。


読んでいただき心から感謝です。ポツンと押してもらえばもっと感謝です❣️

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