辺りは一年前と全然変わってないので、スイスイ行けます。
チラッと見える大隈講堂。
第二学生会館です。
上がほぼ現在の早稲田大学校内図です。校舎の配置は昔と殆ど変わりませんよ。
ただ、今は汚い立て看板なんてありません!
会津八一記念館(図書館)の前に佇む背筋のピシッとした和服姿の卒業生。
そうして母校は今日も無事暮れていきます。
チラッと見える大隈講堂。
第二学生会館です。
1945年末早稲田大学は来年度からの学費値上げと当時建築中の第二学館を学校側で管理する事を公表しました。
血気盛んな学生たちは、学校経営側の財政事情など知らんけど、「不平等じゃー!学生の自治権を守れー!」と立ち上がってしまった。当時1年の終わりだった私達同期が、あれよあれよと言う間にデモに参加する子が周りで増えるし、試験はボイコット、授業なんて全部休校。校庭狭しとデモ学生は肩組み合ってXXXと叫び、アジビラが飛び交い、立て看板がいっぱいあり過ぎて由緒ある建物を隠しちゃった(茶化してるみたいでごめんなさい)。
早大闘争です。結果的に学校側の主張はそのまま通ったのですが、学長(立派な方で値上げの責任者ではない)以下は辞任しました。
ただし、その後何年か著名な大学で学生運動の火は燃え盛ったのであります。
フォークソングが歌われ、グループサウンズも活躍した。つまり「僕の」じゃない「僕らの」青春の時代でありました。
その第二学館(今は文学部敷地にもっと近代的な学生会館あります)は全然そんな事知らぬ気に澄まして?建ってます。
うたた無常の感を強くします。
上がほぼ現在の早稲田大学校内図です。校舎の配置は昔と殆ど変わりませんよ。
(所沢、戸山、西早稲田は別です)
ただ、今は汚い立て看板なんてありません!
今どきに相応しい看板やポスターが目につきました。
一年前には考えられなかったな惹句が見える。
「もったいない」とか節約志向の強い言葉、北京大学と早稲田大学の比較、異文化交流の促進。
まさに時代の激変を意識します。
あまり注目されてませんが、かっての学長高田早苗の銅像です。全然お変わりないです。この方、今も残る早大の学帽、学服、校旗のデザインを決めた方、政治的力も強い方だった。
あまり注目されてませんが、かっての学長高田早苗の銅像です。全然お変わりないです。この方、今も残る早大の学帽、学服、校旗のデザインを決めた方、政治的力も強い方だった。
早大闘争を起こしたり、熱く激しい議論を展開したり、早稲田大学は一見革新系と見えますが、実は大隈重信、高田早苗、etc.早稲田大学出身の政治家の方は殆ど保守系なんですよ。
会津八一記念館(図書館)の前に佇む背筋のピシッとした和服姿の卒業生。
そうして母校は今日も無事暮れていきます。
婆の母校への偏愛は一生続くのでしょうが、又いつ会えるか(母校にですよ)、分かりません。母校とお別れする時は目に涙(ウソです)。
郷土愛、母校愛、は殆ど純な感情です。
人は、今住む場所、今側にいる家族、近い人々よりも、遠く離れた故郷や懐かしい友人が夢のように価値あるものと思えるかも知れません。
ただ、それは思い出だからこそ、とっても素敵なのかも知れません。
、、、それでも愛してる場所がある事は幸せな事みたいです。