主人公は極めて人の良い(?)元武士だったご隠居の爺さんですが、剣を取らせるとめっぽう強い方、悪い輩をバッタバッタと懲らしめる。この落差が面白かったです。
一緒に写ってる方は後妻さんでなんと40歳年下!爺様はこの可愛いらしい妻にメロメロ、弱いらしいです。
つまりかかあ天下だったらしい。
実は1700年代の江戸や大阪の町、特に町民の女性の人口は男性に比べて非常に低くって、実質的に「かかあ天下」だったそうですよ。
日本全体から見ればそうではないらしい。江戸時代の二大都市だけ女性が少ないのは何故でしょうか? ちなみに享保の時江戸の町方の男性31万2880人程度、女性が17万480人程度でした。
理由は「参勤交代」にあります。
国家統制(大名が幕府を凌ぐ力を持たぬ)の為に、幕府は諸大名に「参勤交代」を義務化しました。
大名は家来を引き連れて江戸に一年おきに滞在しなければなりません。
その人質(!?)として正室と嫡子は江戸に絶対滞在しなければならないのです。
男女双方にとってひっどい話です。
結果的に当時の政治の中心地江戸と商業の中心地大阪の武士や大商人が増加して、女性は少ない割合になります。
おまけに幕府は関所において出女(江戸から地方に行く女性)を厳しく詮議します。
身分を隠した大名の奥方が江戸を出ちゃうと人質がなくなる(?)という理由もあったらしい。
国許を出て妻子や許婚と離れた一般の家来の生理を癒す場所として、岡場所(遊郭など)に武士が集まる。
ですが一般の女性は増えない訳。そこで町方どころか旗本などでも再婚の口がある女性は結構いたとか。
時代は下がって、明治末から大正期に青鞜社を起こし、「女性の自我の解放」を叫んで有名だった平塚らいちょうのお話です。
上の写真は彼女と恋人(後の夫で5歳下の画家)
が伊豆へ行った時のもの。
これを見て当時の見識者は「けしくりからん」と怒ったそうです。
何故なら彼女は良い家のお嬢様で親が決めた相手がいたそうで、当時の常識では不良娘だったからです。
多くの反対を押し切ってめでたく結婚した(とは言え法律上は他人で、共棲みして二人の子を持つ)二人。
多くの反対を押し切ってめでたく結婚した(とは言え法律上は他人で、共棲みして二人の子を持つ)二人。
やっぱり姉さん女房に見えるけど幸せそうです❣️
ところが、夫自身が望むと望まざるにかかわらず、画家として鳴かず飛ばずの人で(?)収入は極めて少なかったのです。
結果妻らいちょうは実家から生活費を出してもらったり、望まぬ原稿を書いて生活費を稼いでたらしいです(図書館で読んだ本に出てました)。
上の写真は結婚44周年を迎えたご夫婦です。全然年の差は感じないけど、そう言う目で見るせいか、らいちょうさん「疲れたわー」と言う顔に見えてしまいます。
「かかあ天下」って結構奥さんにとって大変かもよ。
「横暴で亭主関白」に見える夫を持ってた方が同情をかう気が致します。
これはどちらも持ってない婆の僻が目です^_^