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読書の森

現実を乗り越えていく響きー坂東玉三郎

今年五月京都へ行った時、南区の販売店で京都新聞を買いました。その後瀬戸物を包んでしまい込んでいた新聞を広げて、改めて読んだ記事。今読んでハッとします。
クシャクシャの写真で申し訳ないですが、blogに載せます。


文化欄で近況(五月)報告された坂東玉三郎、今や人間国宝の歌舞伎の女形最高峰に上った方。
伝説的存在になってしまったのが嘘みたい。
自分にとって玉三郎は嫋やかでみずみずしい若い日の彼の姿(グラビア誌で見た)ばかり浮かんでしまいます。
実際には、彼の円熟期、40代の舞台を観た事があります。
会社の部署で歌舞伎座見学の催しがあって、末席でありましたが初めて実物を観る事が出来ました。
その時の玉三郎の役どころは忘れてしまったけど、ぞっとする程の清艶な美しさで強烈な印象が残りました。
本物の役者さんは普段は目立たない形でいるが、いざ舞台に立つと凄い程存在感があるな、と感じました。

実は玉三郎は幼い頃に、軽い小児麻痺を患っていて矯正する為に日舞を習わされたそうです。その姿が目に止まって名門の養子となり歌舞伎界に入ったのですね。それで巧みに患足を庇った仕草をなさるのが何とも言えぬ色気になるらしい。
凄い役者さんです。


その玉三郎が久しぶりに舞台に立つと言う京都南座の6月の特別公演。過去になりました。
出し物が「壇ノ浦兜軍記 阿古屋」だったそうです。


源平の戦いの頃、勇猛果敢で名高い平家側の武将景清は戦に負けて逃走後、行方がようとして分からない。
源氏側は禍根を断つために彼の行方を探索し成敗せねばならない。
そこで景清の愛人の、阿古屋がお白洲に引き出された。阿古屋は勿論愛しい人の秘密を明かす事など絶対しない。
阿古屋は遊女であったが遊女としては最高位の傾城である。芸事全てを身につけている。

彼女は厳しい詮議にあっても、知らぬ存ぜぬの一点張り。
実際に景清に会う事も出来ず、何処にいるか逆に教えて欲しい程なのだから、知らぬと言うしかないのだが。

それでも阿古屋は何かを隠してると疑う詮議方は、阿古屋に楽曲を奏でる様に命じる。
その糸の乱れたところで虚偽を見破る算段だった。

が、阿古屋は琴、三味線、胡弓の演奏を通して景清との交情を物語る。
そこで彼女の偽りのない愛情を表現すると共に恋する人の生死の分からない切なさを表現していく。
実は彼女は景清の忘形見を胎内に宿しているのだった。それもこの楽曲の中で密かに表現している。
黙秘をしてる訳だから、表情を変える事も許されない為、非常に動きが少ない演技しか出来ない。
しかも人の心打つ演奏をせねばならない。

ただし、現実にそんな史実があったかは不明である、多分阿古屋とはフィクションの中で作られた女だと思う。

この難解な演技を玉三郎が再びどうこなすか?

「現実には有り得ない事を芝居の中の真実として見せる事で観客が魅せられる現実を超えたものを創りたい」それが玉三郎の思いです。
これぞ役者の「演じがい」なんだそうです。
一流の人が言う事は流石に真実だと思いました。

演技に限らず、芸術に携わる人々の共通な思いではないかと私は考えます。



さて最後の2枚は現実に帰り、最近作った料理です。

上がカニカマのチャーハン。
下はミートソースかけご飯です。
火が通りやすいものばかりです。
どちらもリーズナブルで手軽に出来ますよ^_^手前味噌。


読んでいただきありがとうございました。

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