読書の森

李香蘭




李香蘭として一世を風靡した山口淑子は1920年(大正9年)に生まれ、2014年(平成26年)に亡くなりました。

この人ほど波乱万丈の生涯を送った女性は滅多にいないと思います。
美貌と才知と歌の上手さと国際性と、何よりも溢れるような情熱に惹かれて、私は何回かブログに取り上げては削除してしまいました。

彼女の生涯に絡むエピソードが時局柄過激すぎるのではないかと危惧したからです。

しかし、今、この写真集の説明を書く事に問題があると思えません。
私の好きな李香蘭の生涯を是非お伝えしたいです。


李香蘭14歳の時、親中派だった父と。
幼い頃から並外れた美貌で音楽や語学の才能に優れて、中国人の富豪に請われて義理の姻戚関係を結びました。
この時、李香蘭と名付けられたのです。


当時の国際情勢は緊迫の度を強め、李香蘭は幼馴染の白系ロシア人リューバと別れねばなりませんでした。

そして、李香蘭は日中の国策映画会社で美貌の中国人歌手として売り出されるのです。
あくまでも、日満親善という名目を彼女は信じ切っていました。

上の写真は、売れっ子大スターとなった李香蘭と中国の当時のトップスターです。

李香蘭は人気が高まってもそれに溺れることはありませんでした。
次第に中国人とも日本人ともつかない自分の立場に疑問を持つようになります。



往年の人気俳優長谷川一夫と「熱砂の誓い」で、中国人留学生として彼女は出演します。
幹部を除いて、皆李香蘭を人気の中国人美人女優と信じ切っていたのです。

敗戦後、彼女は罪人として上海の収容所に入れられます。
中国人だと信じ込まれていたために、祖国を裏切った漢奸(かんかん)として、銃殺刑に遭うという噂が立ちました。
あわや死刑かという寸前、かっての親友リューバが山口淑子としての戸籍を入手して届けてくれたのです。

無罪となって引き上げ船に乗船した時、疑われるのを逃れてトイレに隠れたそうです。
やっと上海の港を出る時に流れたラジオ放送が、彼女自身が歌った「夜来香」だったそうです。
ドラマチック過ぎますね。

上の写真は、1946年4月引き上げ船が博多に上陸したとき、取り調べを受けたCIC係員と写したものです。



帰国後、国際女優として活躍した彼女は、二度の結婚をしています。
最初の結婚は、国際的な彫刻家イサムノグチ氏です。
周りに騒がれ過ぎたためでしょうか、5年後に離婚。

その後外交官大鷹弘氏と結婚、外交官夫人として得意の語学で活躍しました。




1969年より、フジテレビのワイドショー「3時のあなた」の共同司会者として、お茶の間のテレビに出演します。
この頃、リアルタイムで彼女を観てますが、「非常に情熱的でかつ全然人気者ぶらない人だ」という印象がありました。

彼女の激動の人生など「戦争中はよくある事」とサラッと言うような感じです。
印象深く残ってます。

上の写真は石原慎太郎元都知事とのツーショット。


彼女はそこで終わる人ではありませんでした。
1974年より、国会議員として三選を果たしました。

ペラペラと流ちょうな演説をするタイプと言うよりも、情の人、行動力の人と言った方がふさわしいと思います。

国際親善として得意の語学を活かし、中国、ソ連、、アメリカ、中東の首脳と対話しました。
一方、動物が大好きで、動物愛護も訴えています。

彼女の幼い頃からの夢が「国際親善の架け橋」なのですから、その夢を叶えた晩年だった訳ですね。





読んでいただき心から感謝いたします。

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

※ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「書評」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事