先日、暑い日差しの中を歩いてグッタリ帰宅したところ、珍しく不在連絡票が入ってました。
実は現住所は、お役所や郵便局などの他、心配してハガキをくださった数少ない友人にハガキで知らせてるだけなのです。
友人にも一応慣れた場所で療養の為という理由の転居にしてます。
尚、通販会社にも現住所を知らせてません。重い食料品(米や水)はネットで依頼しても、同じスマホで別のアドレス(アドレスは複数持てるから)や同じ電話番号(これだと連絡して来ない)だけを使います。
食料品の場合は宅配担当者もセキュリティに注意してるので助かります。
なのでこの不在連絡票がくる筈が無いのです。
この手の気持ち悪い出来事はかなり以前からございます。
2020年8月のblogにキューバ発信の電話についてはblogでお話しました。
ずっと以前から私の携帯番号を知る筈のない人物から不可思議な電話がかかった事が何回かあります。
最終的に、買い替えたばかりのパソコンが原因不明で作動不能となった時、ハッキングじゃないか?と考えました。
多分、自分の写真や住所、交友関係のわかるSNSが原因でしょう。
顔写真と住所と脚が悪い事を知ってる方から私を見分けるのは簡単かと思いますね。
偽情報、反体制や不倫の噂(今は一見分からない直ぐ切れる痴呆老人)、がSNSで流れたようです。
頼りになった従兄弟に、ネット被害について話しても理解してもらえない。つまり全然ネットご存知ない世代です。ただ私のメンタルを心配して向こうから盛んに連絡してもらった。理解してもらえないと躊躇するうちに突然亡くなったのです。
そんな話が重なり、何せ打ち明け話が出来る相手はネット関係ない時代の人ばかりです。
それから、親しい人に本当の事情を話せなくなりました。
母の介護と重なって辛かったです。
老老でかつ介護する側が身体障害者、障老介護ですね。ここでも私、脚の故障が心配だった。介護する側が歩けないと大変だしね。ところが介護業者側は、私が丈夫そうに見えるのか、面倒なのか、私の障害についての話は全然ありませんでした。それが母の死後直ぐにこちらの介護について勧めると言うのは何なのでしょうか?
母は私を離れるのは絶対イヤと言うのですから。介護施設は心が傷つくから嫌だと言う(私もそうなると思う。当時の母も私も関心があった文学や政治の話なんか出来ないし、お嬢様気質だし、周りの方と話が合わないどころかいじめられて傷つくと)。
一応会社では母はうまく合わせてます。私は幸いに同趣味の友人や同僚が多かった。
このような点に悩んだ結果、地方で顔が効きそうな親戚や友人保証人をお願いして、家賃の安めな住まいを見つけたかっただけなのです。
その場所が、面白味がなかろうと母と安全で平穏なな老後を送りたかった。
このような卒業証書や売買契約書を公表するのは、つまり本当である証明にすぎません。こんなビッコがそんな訳ない、その履歴なんて全然信用出来ないとあざ笑った人が何人かいたからです。
今の境涯では、自慢にもならないと思ってます。
それなりに私、時勢のタイミングを掴むのも(金利の上がり下がりや株でございます)上手だったし、働くのは苦では無いし、勤勉で真面目だったとは自惚れてますが。
二人とも世間一般の男女間の常識的な話にはダメ人間でしたね。浮世離れしてたのです。
ここから肝心ですが、
この後、成田空港からの不在連絡票を見ながら、担当の運送会社の営業の受付嬢に電話しました。
受付嬢はとっても滑舌の良い、しっかりした方です。きちんと人の話を言葉通りに受けてくださった。
私「現住所に移転後連絡したのは友人一人と役所、ネット業者は皆無です。移転後に宅配を頼んだ覚えはないです。
ひょっとしたら受け取った同時に料金が発生する詐欺かも知れませんので、荷物の依頼主さんを確認していただきたいです」
「そういう事ですか。はい承知しました」
受付嬢はパキパキと進めてくださってとても嬉しかったです。
その後連絡は入ってませんし、その営業所連絡する気持ちもないです。
ちなみにモニターの記録に残るその宅配担当者さんはとても真面目そうなお年寄りで怪しさの欠片もない。
配送業者は当たり前に真面目に仕事されてますから。
しかし、限りなく怪しい成田からの(多分空港便)荷物。届いてもないので中身も分からないけど、一体何だったのかな?
今後政治のお話を出すとすれば、、、
もっぱらロマンチックな夢物語の創作の添え物に致しますよ^_^ 過去の創作のようにね。もう年ですから事実と混同される恐れもないです。
と相変わらず作って食べる、つまんない生活を続けてます。
これは茹でたピーマンに肉味噌かけただけ。肉味噌は作り置き出来るので便利です。
追記:
私の母は2017年12月初め、ある介護施設でアルバイト職員の若い男性に首の骨を折られています。
迎えに行った時、見違える程奇妙な顔になって瀕死状況の母に驚愕しても、誰も何も教えてくれませんでした。(焼き場の職員が指摘して非難の目で見られてます。同行した葬儀社の方やケアマネはその後こちらが連絡しても音信不通になってしまった)
医者も気が付かないのか、見当違いの薬ばかり処方してくださいました。
安い施設だから、という事で引越しの間介護が出来ない為に母を預けた私がいけなかったのです。
そもそも噂に負けて移転をした事がボケを誘発してしまった。
それから年を越して2か月、懸命に介護しましたが、母の痛みや苦しみが原因不明のまま、本人の訴えが聞き入れられる事もないまま、92歳で母は他界しました。
火葬待ちでしばらく遺体と共に暮らしました。
母の遺体は小さくボロボロになって昔の可愛く綺麗な面影など全然残って無いのです。
死んでしまったら喧嘩ももう出来ない、あんなに憎たらしいと思った昔はもう帰ってこない、ただただ虚しい。母が92歳なら私はその年72歳になります。バカみたいですが、初めて自分が老人だとはっきり自覚しました。
尊厳死届けを会員費を自ら払って入会してた母ですが、お金さえ潤沢に有ればもっと豊かで優しい死を迎えられたかと後悔ばかりしてます。
母は戦争で自分の青春期の幸せを壊された為か、徹底的に戦争反対でした。
「お母さん一人が被害者でない。経験してませんが、皆すごく苦労した筈よ。恋愛から結婚なんて稀だったんでしょ!いつまでも夢追いかけないで下さい。
そんな過去の恋の事より、今後の幸せが大切じゃないの?」
「あなたは結婚と言う事をどう見てるの?」
「だから、つまり毎日ご飯作って家事に精だして、相手の人の子供を健康に育てる事と思う、、けど」
「はあ、(と母は10代の私をバカにしたいに見た)甘いわねえ。そんなもんじゃない(お母さん結婚してから苦労したんだから)」
「お母さんこそべったり私にくっついて、昔のモテた話ばかりして。
女としての私の幸せなんて全然考えてないでしょう」
「僻んでばかりいるから相手に嫌われるんだ」
「違うよ。私お母さんのように調子良くないもん。誰でも良いってもんじゃない(嘘、その時はこの家を出られるなら誰でも良いと思った)こんな家の事情を話せないから」
「エゴイスト!お母さんの事全然考えてない」
「お母さんこそエゴイスト!」
と情けない事に高校生の時から一人暮らしを経て又母を引き取って暮らして私が60代ごろ迄(つまり母が80代でボケ始める前迄)姉妹喧嘩みたいなバカな繰り返しでした。
死の直後は、ショックが強過ぎて、辛すぎて、逆に母の悪口ばかり言ってました。
多分母の最期については、残りの一生悔いる事になってしまいました。
表面に出さないようにしてます。
今一緒にいる人の身になって平穏な生活が送れるとしたらそれが一番です。
誰にとっても、共通の話題を持てる家族はかけがえのないものだと思います。
人は長く生きれば良いものでも無い、金だけ持ってれば良いものでもない、自分らしく生きられる健康寿命の方が大事だと思いますが、なかなか難しいですね。
と、今日も私は生きてます。何も知らない方には普通の常識的(?)な年寄りに見えるとはお思いますよ。
暑さのぶり返しがある地域の方、無理せずお元気でいらして下さい。