見出し画像

読書の森

いつかの街角

幼い時から移転が多くて、一人暮らしをしてからも、止せば良いのに引越してばかりいる私です。引っ越しが好きと言う訳でないけど、知らない土地を彷徨うのは未だに好き(みたい)です^^困ったもんです。

知らない土地を喜んで歩いていると、介護施設の車から声かけられてしまった。それも一度ならず二度三度!「ウロウロするの大好き」などと言ったら「途中で迷子にでもなったら迷惑だから即やめてくれ」と言われそうで、お尋ね者みたいに逃げ出したのです。
客観視すれば、脚が悪い婆がおぼつかない感じでいるということ、心配してくださってる訳です。

酷暑も一段落した今、バテた身体と頭で深く反省してます。年齢にふさわしくバテ目の方が無難みたい。

久しぶりの涼風がレースのカーテン越しにゴロゴロしてる私に届いて、、。

「秋風に 吹かれて浮かぶ 街の色」(駄作)
という事で、本日は好きだった街の景色を紹介しますね。




両親も私もこよなく愛した街が自由が丘でございます❣️
家がセレブ、では全然無いですが、たまたま父の仕事の客先が大田区、世田谷区、横浜にあったのですね。

東横線沿線で一番親しんだ街角がここです。驚くべき事に、駅前は初めて私がこの街を訪れた時(昭和30年初め)と殆ど変わりありません。

この街は又、長く離れていた父と再会して父と二人だけで歩いた唯一の街であります。
古い洋画を観た後、喫茶店で父はコーヒー私はソーダ水を飲んで、その後今も変わらない場所にある本屋で少女雑誌を買ってもらいました。
私が本を選んでいる時、不意に父が姿を消して、もう永遠に会えないような錯覚を起こした事がありました。
街は一瞬セピア色になってずっと以前にこんな風景を観た気がしたのです。
所用を果たして直ぐに父は本屋に戻ってきました。
その後しばらくして私は両親と暮らせる事になりました。



10歳前後の私がセピア色の思い出と言うのもおかしな話です。

ただセピア色した思い出の街は実在してます。
それが神戸元町です。

父の姉(父や蒲田のおばたちとは腹違いの)たちは神戸に嫁いで、若き日の父もそこで住んでました。
幼児期の私も両親と共に何度か訪れ伯母たちの家に泊まった事があります。

岐阜や名古屋に比べて異国のような街でエキゾチックな雰囲気で満ちてました。

この街が父は大好きでここで仕事を持ちたかったのです。
その夢は一生叶いませんでしたが。

大阪はどことも違う独特の味を持った街ですね。
失礼ながら、about な点が多くてそこがとても良いと言う人と嫌いという人と分かれるところです。

横浜山手は神戸に似て、神戸とは異なります。
神戸の方が昔ながらの人情の枷が強いけど、横浜はおそらく一番枷の無いところかも知れません。
クールであります。

人生の最後近くに大いなる無駄遣いをして(引っ越しにかかる諸々の費用の)、それでもとても面白うはございました。
移転で迷惑をかけた友人や親戚や業者の方々ごめんなさいね(と言っても殆どの方がかなり高齢だしこのblogの存在を知らない筈です)。

なんだか、今わの際の言葉みたいになってしまいましたが、お陰様で未だ大丈夫みたいですよ^_^
今後は年齢に相応しく大人しくしてようと決心した、死ぬまでは生きるつもり(当たり前)の婆でございます。



おまけ
鰹節をかけ過ぎてしまいましたが、肉の入らないゴーヤチャンプルーです。

ゴーヤは種を取り薄切りでサッと茹でて冷凍しておきます。
解凍後胡麻油で炒めて、豆腐と卵を加え、仕上げにお好みの調味料をかけるだけ、それに鰹節をかけました。
ゴーヤは冷凍すると苦味が少なくて食べやすいです。


読んでいただき心から感謝です。ポツンと押してもらえばもっと感謝です❣️

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

※ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「エッセイ」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事