読書の森

哀しきバレンタインデー 最終章



年が明けて初めて実沢の指導を受けた後、
靖は実沢に熱いココアを勧めた。

靖が作ったココアにはタップリのミルクと散薬が入っている。
その散薬は紗南の薬の袋に入っていた。
錠剤もあったが散薬の方が溶け易いと靖は思ったのである。
「先生、熱い飲み物で暖かくなって」
「おっ、気がきくね、靖君」

実沢は美味そうにココアを飲み干して家を出た。
駐車場は近くにある。
後30分位したら眠剤は効くとネットに載っていた。

靖は実沢だけが事故で傷つく様にと、暗く熱い思いで願った。



実沢は翌日家の近くの山道でスリップ事故を起こした。
被害は大した事は無いが、彼の息は止まっていた。

両親にA会から連絡が有って、靖は憑き物が落ちた様になった。
自分が悪事を働いたという事実が酷く重くのし掛かってきた。
復讐心に燃えていたのが嘘の様に罪の意識に苛まれた。

しかし、それにしてもおかしい。
靖の住む街から実沢の住む地域迄は1時間以上掛かる筈だ。
あの薬は遅く効いたのだろうか?

考え込む靖に隣の部屋から両親の声が聞こえた。
「先生、運転中に急性の心筋梗塞を起こしたんだって。丈夫に見えたけどね」
「近頃の様に天候不順だと、若い人も体調を崩し易いんだ」
「それにしても、呆気ないわね」
「不規則な生活してたのかね」
「あなた、こんな話、靖に聞かせちゃダメよ」

隣の声は急に静かになった。

靖は暫くぼうっとしていたが、もしやと思って実沢に渡した薬の名前を確認した。
検索すると、その薬は胃腸薬だった。
おそらく紗南は胃の具合が悪いと訴えて、処方されたものだろう。
靖はホッとした。
その様に、コロコロ気分が変わる情け無い自分にガッカリした。




靖は今柔らかな日差しを受けて目を細めていた。
心迄柔らかで穏やかに変わっていく様である。

希望の中学に入った時心に閃いた「ヤッタ!」は紗南にチョコレート貰った時と全然違うものだ。

世の中は「ヤッタ!」という思いで決して説明出来ない複雑なものだ。
実沢は悪い男だけと言えないし、紗南は可憐なお姫様だけと言えない。
何故どうしてそうなのか、靖には説明つかないが、単純に人を決めつける事は出来ない。
それをわずか12歳で知ってる自分を靖はふと哀しく感じた。

紗南も実沢もあんなに若くして死ぬ事はなかったのに。
何が有っても、自分は生きていこう。
それだけを願って、靖は舞い散る桜を見た。

読んでいただき心から感謝いたします。

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