読書の森

アガサクリスティ『象は忘れない』



この作品は、アガサクリスティ82歳の作品である。
私が、クリスティの晩年の作品に着目している理由は老年になっても衰えぬ創作力の秘密とは何かが知りたかったからだ。
分かったのは彼女にとって、書き続ける事が日常生活の一部だったという事だ。
作品を作る事は家事をするように当たり前になっている。

クリスティの作品の中の重要な主役の一人は名探偵ポアロだ。
しかし、この作品のポアロは様変わりしている。
歳を重ねて、自己顕示欲の強かった探偵ポアロはもはや過去の名声や評価を殆ど気にしていない。
飄々とした爺さんになっている。
その他大勢の中の一員と見える事に満足しているのである。

そしてもう一つの特徴は、現在から過去に遡り、その因果関係を求める形だ。
その人の若かった頃の罪深き体験は、現在のその人の足かせになっている場合は多い。

さて、『象は忘れない』では、美しい娘の両親が十数年前に謎の死を遂げた原因を探る形になっている。

「だが、それは 事実あったことですか? 父親が母親を殺した、あるいは母親が父親を殺したというのは?」

未解決のまま、心無い噂だけが残る事件を背負いながら娘は明るく美しく育った。
その娘が自分の息子と結婚する事になり、慌てた母親が名付け親の女流推理作家の許に駆け付けたのである。

女流作家は老齢で記憶力の衰えをとみに感じている。
それでも気力を絞って、事件の謎を解いていく。



クリスティが本当に描きたかったのは、娘への不憫さとか、仲の良かった夫婦の秘密とか、勿論あるが、それだけではない。
老作家と老探偵ポアロが真実を追求していくプロセスではないだろうか。
もやもやした不安や困惑の糸をほどき、解決に至る推理が快感をもたらすからである。

この快感が、老年になってもクリスティが創作力の衰えなかった最大の原因だと思う。
「カタルシスとは、恐怖や不安や苦痛から解放に向かう時、その間に紙一重の壁を突き抜けて起きる結果かもしれない(植草甚一)」

推理小説を読んで、いつも浮かぶのは「次はどの手で行こう」と思案する作家のいたずらっぽい顔である。
多分、最初から謎の解決が浮かぶ訳ではないのだろう。
それとも解決方法が先に見つかり、そこから謎を導くのかも知れない。

当たり前だが、小説家は白紙に息を吹き込んでいくのが仕事だ。
客観的評価を得る前に、作家は書く自体に世界を作る喜びを得ているのだろう。

クリスティが最期まで書き続けた謎が解けたようである。
勿論私は読者に過ぎないが、彼女に勇気をもらった気になる。



読んでいただき心から感謝です。ポツンと押してもらえばもっと感謝です❣️

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