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~出雲人 紅井藻花(akai-mocha・アカイモカ)の写真日記~

鉄道撮影に夢中になる訳その2

2009年11月23日 | 日記・エッセイ・コラム

 前回の「鉄道撮影に夢中になる訳」のタイトルで記事を入力したが、タイトルの趣旨に入る前段階の話で終わった。今回は少し本論に入りたいと思います。

 皆様にとって、電車(列車)とはどんな存在ですか?通勤・通学の足ですか?それとも動く金属でしょうか?

 私にとって、電車(列車)の存在は2つ挙げられます。ひとつは「おもちゃ」であり、もうひとつは「癒し」の道具であります。

 私が初めて電車を利用したのは小学校1年生のときである。地元の子ども会の旅行で、「畑電」を利用したのが初体験である。

 それまで家族でお出かけする際も、車の移動のみでした。車から見る風景の中に、時々映る列車の姿を見るたびに、次第にそれが不思議なものとして魅了していました。

 そして、小一まで電車はおもちゃと同等に見ていたかと思います。それは、子どものときに親戚から、鉄道のおもちゃをクリスマスのプレゼントでもらったことも由来するし、出雲大社には蒸気機関車が静態保存されており、固定された運転席のレバーを動かしては、「何がおきるのだろうか?」と想像したことを今でも覚えている。(現在は旧JR大社駅に静態保存されている)

 話は変わるが、島根県立古代歴史博物館には一畑電車の運転席が展示されており、実際に運転席に入って、ノッチとブレーキを触れて運転士気分が味わえます。

 かくして、私にとって列車とは乗り物よりも「おもちゃ」として、魅了するようになった。

 写真を始めたときは、初めは風景、特に空の景色を撮影することに凝っていましたが、サッカーの試合の際、選手の動きにあわせて撮影をしたことをきっかけに、「速い」ものに撮影する的が変わりました。

 様々に撮影したところ、最終的には電車になりました。EOSKISSXを買ってから、「流し撮り」等、様々な撮影の試みを始めて、プリントしてはいかにしてきれいに、またいかにインパクトな表現ができるのか模索する連続を継続しています。

 鉄道を撮影するに至るようになったのは、子どものときの体験したできことに由来するのであった。

 今日はここまでです。続きは次回に>>>

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