PEACEFUL

黙るのは美徳ではない。無知無関心がこの国を滅ぼす。

続き

2019-03-14 22:35:37 | 日記
多くの人が見逃しがちな盲点

菜保子さんのように、もっぱらコミュニケーション操作系のいじめ(物理的暴力ではなく、もっぱら言葉やしぐさによるいじめ)によって大きなダメージを受けた被害者について、多くの人が見逃しがちな盲点がある。

なぜ、敵であり、赤の他人である加害者グループに服従し、連れまわされ、<友だち家畜>のような状態にされてしまうのか。

ひどい暴力的な処遇が人間を無力化してしまうことは、よく知られている。

たとえば、殺されていく数千人のユダヤ人の列を監視するナチスの人員がほんの数人なのに、なぜ逃げずに従順に従うのだろうか。

東京都足立区で、女子校生が不良少年のグループに監禁され、輪姦され、なぶり殺された。遺体はコンクリート詰めにされて捨てられた。

有名な女子校生コンクリート詰め殺人事件で話題になったのは、逃げるチャンスがいくらでもあったのに、どうして女子校生は逃げようとしなかったのか、ということだ。マフィアやゲリラに誘拐されたり、捕虜になったりした人たちも、よく似た状態になる。

心理学者のフィリップ・ジンバルドーは大学の地下に模擬監獄をつくり、十数人ずつの健康な若者を、看守役と囚人役にわけて共同生活をさせた。すると、看守役は囚人役をいたぶって遊ぶ怪物になり、囚人役は精神に変調を起こし、無力化されてしまった。

このようなことは、もっぱら激しい暴力的圧迫のもとで生じ、通常の非暴力的な生活レベルでは生じるはずがない、と思われるかもしれない。

しかし、上で紹介した記事と菜保子さんの日記、そして多くのいじめ被害の記録をあわせ読むと、閉鎖空間に閉じこめ強制的にベタベタさせる学校では、悪口、しかと、嘲笑といったコミュニケーション操作系のいじめだけで、ナチ収容所、女子校生コンクリート詰め殺人、ゲリラやマフィアによる拉致誘拐、ジンバルドーの監獄実験と同形の、人間破壊が多かれ少なかれ生じうることがわかる。

この「多かれ」の局面で、さまざまな偶然がかさなり、菜保子さんのように死に追い詰められる犠牲者が一定数でてくる。

私たち、日本の中学校で3年間の集団生活をさせられた者は、多かれ少なかれ、菜保子さんと同じ形の、人間破壊を受けているのではないか。

わたしたちがまわりの空気を気にして、何か自分が滅ぼされてしまうような不安をおぼえるとき、その後遺症が出ているのではないか。

わたしたちは菜保子さんを「かわいそう」と言う前に、過度に集団化された学校生活のなかに埋められた過去の自分を抱きしめるべきではないだろうか。

そして痛みとともに、頭に埋められた洗脳チップを引き抜くべきではないだろうか。

私たちは、たまたま生き延びることができた菜保子さんではないだろうか。



(σ・ᴗ・ )σ






人格を壊して遊ぶ

2019-03-14 21:04:22 | 日記
人格を壊して遊ぶ…日本で「いじめ自殺」がなくならない根深い構造

(明治大学准教授 内藤朝雄氏 著)

《現代ビジネスより引用》


なぜ「いじめ自殺」が後を絶たないのか? 「教育」なら何でも許されていいのか? 大反響となった「いじめ自殺を隠蔽するとき、教育者が必ず口にする『異常な論理』」につづき、茨城県取手市・中3女子自殺事件の核心に迫る。

『いじめ殺す』とは何か?

茨城県取手市・中3女子自殺事件のように、子どもが自殺に追い込まれ、いじめ殺されてしまうのは、逃げられず対人距離を調節できない閉鎖環境の効果が大きく関与している。

このような有害作用から子どもたちを守るために、閉鎖空間に閉じこめ強制的にベタベタさせる現行学校制度を見直すことを、公論の主題にしならなければならないのではないか。

ここでは、中島菜保子さんが学校のグループ(教員が含まれる可能性もある)によっていじめ殺された経緯から、閉ざされた集団生活のなかで、加害者がどこまでも加害を続け、被害者が内側から破壊されるしくみを考える。そして、国や自治体の「閉鎖空間設定責任」という新しい考えを世に訴える。

いじめ殺すとは、「さんざん苦しめ悩まして殺す。苦しめ抜いて死なせる」(『日本国語大辞典』)の意である。

(中略)


『きもい』『うんこ』『クソやろー』

菜保子さんは、中3のクラス替え後、A子らのグループで行動するようになった。

進級直後の4月、「いやなクラスになった」と母にこぼしていた。

最初、素行の悪いA子と距離をとろうとしたが、「菜保子に無視された」と文句を言われ離脱できなかった。

そのうち、クラスメートの前で「きもい」「うんこ」「クソやろー」などと言われるようになった。

B子が4月まで交際していたA君のとなりに菜保子さんの席があり、二人が会話をすることがあった。それをB子が妬み、A子に伝えた。それから、いじめがさらにひどくなった。

A子が「行くよ」と命令すると、菜保子さんが「うん」と返事して、暗い顔でグループの後をついていく。A子が「早く来いよー、うんこー」と呼びつけていた。こういったことがしばしば目撃されていた。

女子トイレで菜保子さんだけが個室に入っていて、3人が外から「なんかくさくねえ?」「まだ出ちゃだめだよ!」などと言っていて、閉じこめられている様子だった。

グループは菜保子さんをトイレに連れて行き、授業に遅れるようにしむけた。しかも担任のT教諭の授業の前にことさら遅れていた。

たとえばA子は、トイレの前で「あんた、ちょっと持ってなよ」と教科書を持っているように命じ、菜保子さんが自分といっしょに授業に遅れていくようにしむけた。

このようなことが起きたとき、担任のT教諭は、A子らを叱らず、菜保子さんだけを生徒たちの面前で叱った。「前に来なさい。遅れた理由を言いなさい」などと言って、菜保子さんだけを叱るのだ。

同級生は、こういうことが5、6回あったと証言する。別の生徒は「中島さんを狙い撃ちにしている感じ」と証言する。

T教諭は生徒の好き嫌いが激しいことで有名な人物だった。A子はT教諭と良好な関係だった。

菜保子さんは部活動をしていなかった。理由は幼いころから続けているピアノのレッスンがあったためで、高校も東京都内の名門校への進学を希望し、それも叶えられそうな方向で進んでいた。

居残り授業に参加せずに菜保子さんが帰ろうとすると、T教諭は「ピアノばかりやっていても仕方がない」と怒った。母によると、三者面談の際、T教諭は「2学期の態度を見て志望校を一校に絞っていいかどうか、こちらで決めます」と言った。

T教諭について、ある同級生は「先生も中島さんに嫉妬している感じだった。A君と隣りあわせにした席替えで、B子さんが中島さんに嫉妬して激しくなったいじめだけど、それにT先生が加勢した感じ」と言う。

A君と菜保子さんの席を隣り合わせにしたのもT教諭だった。しかも席替えがあっても、A君と中島さんの席だけは不動で、こうした不自然な席替えが4回もあったという。

A子が菜保子さんを、離れていても「バンバン」と聞こえるほど叩いているのを、同級生が見ている。

10月には、菜保子さんは「くさや」と書かれたメモをノートに貼られたり、「くさや」と声をかけられたりするようになった。

机の上に落書きがはってあったのを見つけた菜保子さんが、暗い顔で消していたのを複数の同級生が見ている。

「くさい」「くさや」といった悪口は、ほぼ毎日続いた。

音楽室で行われていた合唱祭の練習のさいにも、C子が菜保子さんを別の生徒の前に引っ張っていき、「この子、くさくない?」と言った。

あるとき、ピアノを弾いている菜保子さんが、A子らのグループとは別のクラスメートと楽しく話していた。そのクラスメートが「なお、すごいよね」と言っていたら、A子とC子が面白くなさそうに「えっ?えっ?何が?」と言った。

体育祭のバスケットボールのチーム決めのとき、A子らが相談して、菜保子さんを外すように仕組んだグーパーじゃんけんをした。菜保子さんは下駄箱のところで泣いていた。

A子とC子が「壁ドンごっこ」をして教室のドアのガラスを割った。菜保子さんは関与していない。しかし、非常勤講師、学年主任、T教諭、教頭らに次々と叱られた。菜保子さんは「A子とC子が割ったのに…」と言って泣いていたという。

様子がおかしいので母がT教諭に電話をした。

T教諭は、母に次のように言った。

「菜保子さんではないが、お友達がガラスを割った。割ったこともよくないが、その後の態度が悪かった。逃げようとした。3人のうち2人が逃げようとした」
「こうなった(ガラスが割れた)ことは、元に戻さないといけないよね、と菜保子さんに言いました」
「菜保子さんは何と言ってますか」

母「泣いています。関係ない、知らないと言ってます」

T教諭「泣いているということは本人も反省しているということです」

その後菜保子さんは「明日二人(A子とC子)ににらまれる」「学校に行きたくない」と言い、首を吊って死んだ。


毎日が怖い…… 自分が嫌い

菜保子さんの自殺後、11月16日に両親がみつけた日記は次のようなものだった。

(中略)

「もうやだ…あんなに学校が楽しいって思ってたのに…たのしくない
気づかってばっかで自分がだせない。自分の性格もきらい。いやだ…
…がいなかったら、自殺してた。ありがとう。あと、ごめんね。本当に…なんか変わっちゃった。どうしたの?自分は何もしてないのに

ひどい…。傷つく。ストレスがたまる。
気分屋がきらいって…言ってたけど…
おまえもだよ  なんにも自覚してない
…には、めいわくかけてると思う
あまり うちといてもたのしくは…
ホッとしたい。
明日は、ぼっちにされるのかな?
それとも上手くすごせるかな?
不安。
…大丈夫。大丈夫って、自分に言いきかせても、目に涙があふれてくる
それを自分でごまかそうとしている。
いや…ごまかしている。
目は涙目だけど。
おねがい
…これ以上苦しめないで。
…苦しい、悲しい、さびしい」

「いやだ もう 学校きらい…3年のある日突然から。2年は、こんなことなかった」

「ピアノも 勉強も 友達も なにもかもが上手くいかない。だから死にたい」

「いじめられたくない。ぼっちはいやだ」

「(他の女子生徒の名前)お願いだから、耳打ちは、やめて おねがい。本当に」

「毎日が怖い。今日はうまくいくのかいかないのか。家に帰ってからも、そのことばかり考えて、疲れた。明日も(ひとり)ぼっち?それとも上手くいくのかなって…怖くてしかたがない。毎日、不安な夜を過ごしてる。疲れがピーク」

「友達が居なくなるのが怖い、本当にこわい」

「おねがい…私を一人にしないで。おねがいだから。今日みたいな日が毎日だったらどれだけ楽しいか。(複数の女子生徒の名前)…」

「…にもんくばっか言ってる。自分が嫌い。死にたいくらい」

報道を読むかぎりでは、加害者たちが行った一連の行動は、一回かぎりと考えれば、それほど大きなダメージを与えるようなものではないはずだ。

では、なぜ加害者が怪物になり、被害者は死ななければいけなかったのか。


世界でも珍しい、日本の学校教育

先進諸国の標準的な市民社会では、このようなことをする人物がいたとしても、一回だけいやな思いをした後で自由に距離を取ることができる。給料や学力認定を得るために義務となるのは、範囲が狭く限定された仕事や勉強だけだ。

それ以外の対人距離は、個人が魅力と幸福感にもとづいて自由に調節できる。だから、大きなダメージになることもなく、安心して生活することができる。

だが、日本の特殊な学級制度は、閉鎖空間に囲い込んで強制的にベタベタさせるよう、考え抜かれて設計されている。人間を個の人から群れの人へと内から変化させるのが、中学校の本当の目標である。

当然、兵営や刑務所のように、市民的な距離と個人主義が発生しにくいしくみになっている。逃げ場なく密着させて人を内側から変化させる爆縮レンズのような構造になっている

日本の中学校のように、勉強ではなく、ベタベタ群れさせることに主眼をおいた学校教育は、世界でもめずらしい。

日本の中学校のクラスは、共に生きることを無理強いするための生活学級だ。どんなに嫌なひとたちでも、耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍んで、共に生きなければならない。

学校は勉強するためにいくところだ、と感じている生徒はほとんどいない。生徒にとって学校は群れて生きなければならないところである。それを個人で拒むことは許されない。

一人でいること、あるいは一人でいることを<みんな>に見られることは、異常で恥ずかしい。それは、考えただけでも凍りつくような恐ろしいことだ。

このベタベタした<距離なし生活>を強いられる閉鎖空間で、悪意の行為がこれでもか、これでもかと繰りかえされると、通常の市民生活では考えられないような、けたはずれのダメージが生じる。これが被害者の身に起きたことである。


だから『人間壊し遊び』がはじまる

学校の磁場が、被害者の菜保子さんを突き落としていくさまを見てみよう。

最初「いやなクラスになった」とこぼした菜保子さん。群れずに一人でいることが実質的に不可能な中学校で、たまたまA子らのグループで行動するようになる。その後、素行の悪いA子と距離をとろうとしたが離脱できなかった。

それから、自殺に至るまでの数ヵ月の急展開が起こる。菜保子さんは、A子らのグループに囲い込まれ、引き回され、人間の人格を壊して遊ぶために飼育する<友だち家畜>の状態にさせられた。

これが通常の市民生活であれば、菜保子さんの身にふりかかったような不幸は、起きようがない。

たしかに、世界中どこでも、学校は多かれ少なかれ閉鎖的な空間である。だが、日本の中学校ほど程度が極端に「多かれ」でなければ、菜保子さんが亡くなることはなかったはずだ。

たとえば、世界で普通にみられる習熟別クラス編成で、授業ごとに次々とクラスを移動するのであれば、A子たちのグループが行ったような囲い込みと<人間壊し遊び>は、やろうと思ってもできない。

このような遊びの行動プランは、被害者を逃げないようにできる密閉空間を必要条件とする。<人間壊し遊び>は、開かれた市民の生活空間では非現実的であり、頭の中の選択肢から消える。その結果、やろうとも思わなくなる。



(σ・ᴗ・ )σ








イジメを苦に自殺

2019-03-14 15:59:15 | 日記


愛知県豊田市で小学6年生の女の子2人が自殺したとみられる現場に残されたメモに、いじめなどのトラブルをうかがわせる内容のほか、友人とみられるイニシャルが記されていたことが捜査関係者への取材で分かりました。一方、けんかをした友人と仲直りをしたというメモもあり、警察は、詳しいいきさつを調べています。

12日の夜、豊田市陣中町のマンションの敷地で、市内の同じ小学校に通う6年生の女の子2人が血を流して倒れているのが見つかり、搬送先の病院で死亡しました。

警察は飛び降り自殺を図ったとみています。

これまでの警察の調べで、現場には複数のメモが残されていましたが、その中に、いじめなどのトラブルをうかがわせる内容のほか、友人とみられるイニシャルが記されていたことが捜査関係者への取材で分かりました。

また、2人が通う小学校の校長に宛てて「これはいじめですか」などと問いかける記述もあったということです。

一方、けんかをした友人と仲直りをしたという内容のメモもあったということで、警察は、内容を慎重に分析するとともに、詳しいいきさつを調べています。
2人とも「いじめられたことはない」と回答

2人の女の子が通っていた小学校では、いじめを早期に把握しようと、独自に2種類の記名式アンケートを作り、全校児童を対象にどちらかをほぼ毎月、実施していました。

2種類のうち1つのアンケートには、最近、いじめられたことがあるかを尋ねる項目があり、「はい」か「いいえ」のどちらかを選んで回答するようになっています。

また、もう1種類のアンケートは、いじめを受けたことがある場合、その時期に加えて、「たたかれた」とか、「無視された」、「メールなどで嫌がらせされた」といった選択肢の中から選ぶ形式になっています。

市の教育委員会によりますと、2人が6年生になった去年4月以降、今月までに合わせて10回実施された2種類のアンケートを確認したところ、2人とも、すべてのアンケートで「いじめられたことはない」と回答していたということです。

(NHKニュース)



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イジメの件数は年々増えている。

ここで言う『件数』とは認知件数のこと。

つまり、『わかってるのはコレだけです』という意味。

発生件数はもっとあるという事。

いったいどれだけあるか把握出来ないってこと。

だから、ちゃんとした数字を表す資料もなかなか探せない。
資料によって数字もマチマチ (o´Д`)=з


とりあえず、あちこちから拾った数だけあげてみると……


イジメの認知件数 2017年 41万4378件

2017年 児童・生徒の自殺者数 346人

2016年 児童・生徒の自殺者数 346人

うち、イジメが原因となるのは10人

あとは、進路問題が1番多く、次いで家庭内不和(親子関係)。

そして、それ以外に『不明』というのが140人。


『不明』ってなんだ?

これこそ、いじめを苦にした自殺の可能性があるのでは?


イジメが原因としてカウントされるのは、『遺書』がある時だけだそうだ。

だから、遺書を残さずに死んで行った子供たちは、イジメがあった事実が確認できなかったか……

もしくは、イジメを隠蔽されたか……


イジメの調査の対象も、主に担任などの先生方だろう。

そして、生徒達へのアンケート。


過去の事例に担任の先生などからイジメを受けていた例もある。

そして、クラス全員がいじめに加担した、もしくは見て見ぬふりをしたという例もあった。

こういう場合、正確な情報を得るのは無理なのでは?


そして、コレはかなり胡散臭い調査結果だ。
↓↓↓



都道府県別イジメの認知件数

平成25年度のものだが、新しいのが見つからなかったのでコレで見てみると……

1番多いのが京都府で28,118件
1番少ないのが福島で258件

福島は東日本大震災で人々が県外へ移動した事を考えると、少ない数字に違和感はない。

が、

次に少ない佐賀県の238件はじめ、香川、鳥取などは、1位の京都府とおよそ27,800件の差がある。


ぇ━(*´・д・)━!!!


うっそ〜


京都府は極悪人の地域か?

違うだろ。



これは、イジメの定義が、都道府県によって差があるのか……

もしくは、イジメ問題に積極的に取り組んでるかいないかの差なのか……

それとも、単に、正直に答えてるかそうでないか……


この数字だけでは何もわからないし、何も解決しない。



イジメを苦に自殺したというニュースが流れるたんびに、学校の対応、教育委員会の対応、警察の対応が問題になる。

いつもだ!

全然進歩しない。

いつも同じこと言ってる!

『いじめを把握してなかった』

『ただいま調査中』

『加害生徒の人権があるので……』



そして、


『イジメはなかったと思われる。』


遺書が出てこなければ、イジメを認めない。

そんな事ばかりもう何年も続けている。



虐待にしろ、イジメにしろ、国が、自治体が、学校が…と、アレコレ取り組んでるようだが、減る気配は無く痛ましい事件は続く。


『空回りしてないか?』

『守るべきものを間違ってないか?』


子供たちのために本気で取り組んで、それでも止まないならそれは、解決のための手段が間違ってるのかもしれない。


自分を守るため、学校に行かないという手段も認めるべきなのでは。


…… ということで、次は、イジメに関する研究を続けてる方のお話……




続く……









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