マスコミなど日本人は(だけではないのだが)「幼少期はこういった子だった」とか」思春期はこうだった」とか10年や20年前の事を持ち出してきてその人物像を知ろうとするが、そんな昔の話などなんの裏づけにもならないのは報道する側がよく分かっている事だろう。
「十年一昔」という言葉があり、まして多感期を経た場合はそんな昔の話はあまり意味を持たず、それこそ外部からの情報や経験値が人格形成されていくのは人としての常だ。
まあもちろん全く関係の無い話とは言わないが、そんな昔の話をせずともむしろ一般社会に出てから以降の経験値がその人の「ヒトとなり」を物語るのは皆さんもご承知の通りだと思う。
一番重要なのは「社会に出てから学生時代とのギャップ」なんだと感じるね。
正直、私も一般社会にでた時に感じたギャップにはかなりのショックを受けた。
「社会では常に100点満点でなければならない」ワケで「満点取れて一人前」という考え方を自分に定着させるまでが大変だった。
だから今の若い子たちの考え方は基本的に「学生感覚」だと思う。
しかし、この「満点一人前」が定着してしまえば意外と何事もクリアできてしまうのだが定着させるまでが大変だ。
「間違ったゆとり教育」という言葉はあまり使いたくないのだが、これが身についてしまうと「逃げ腰人間」になってしまう。
いや、ゆとり教育は「個人の得意や興味がある分野を伸ばす」ことに関しては素晴らしい教育だと思うが、「何でもかんでも自分のやりたいし放題」という考え方になってしまうとただの自己チュー人間製造機になりかねない。
また、やりたくない事はやらない主義だから誰かが必ずフォローしないと物事が成立しなくなるワケだ。
もちろん事を起こせば必ずカネがかかったり期間が生じたりするワケで、そういった事には無関心を装う。
その割を食うのは周りの人達であったり会社であったり、はたまた社会であったりするワケだ。
最近の犯罪もこういった事が根っこになっていると感じるね。
人生には何度かギャップを受けたりカルチャーショックを感じたりする箇所があるワケだが、まずは若い子たちが一番感じるであろう「初めて社会に出た時」の心構えを教える必要はあるだろう。
それが家庭なのか学校なのかは有識者に任せるとしても近くの大人たちは自分の経験値からくるアドバイスは必要だとオジサンは感じるね。
長々と取り止めのない話にお付き合いいただきありがとうございました(笑)
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