認知症と向き合って

認知症の介護を終えて
18年間の介護生活を振り返って~

過ぎ去った日々

2009年10月08日 11時06分53秒 | Weblog

 

 

こちらの地域は台風が去りましたが

 

 

深夜に暴風だったようですが、やっぱり熟睡していたようで全くわかりませんでした 

 

 

これって、いいことだったのかなぁ~

 

 

東日本にお住まいの方は十分に気をつけてくださいネ  

 

 

今日は、過去を振り返ってみたいと思います

 

 

私のブログを最初から見ていただいている方もおられますが

 

 

父が平成10年に肺炎で亡くなり、3回忌が終わって一息ついた頃、兄が平成12年亡くなりました

 

母は、私より兄が可愛くて子供の頃からそれはわかるほど、溺愛していました

 

その兄が急死してから、母に変化が起きました

 

 

平成13年にレビー小体型認知症と鬱病 パーキンソン病など・・・・診断を受けました

 

 

家族、兄弟のない私にはこれから先、一人でどうしたらいいのか?

 

 

不安な日々を過ごしました

 

 

介護度1の診断でしたが、もう徘徊が始まっていました

 

 

平成13年・・・・夕暮れ症候群と言われている徘徊が始まりました

 

 

夕方になると家に帰りたい、家に帰りたい・・・・ここは家だと言い聞かせても違う

 

 

何度も言い聞かせても、違う・・・・・・ 5時過ぎになると荷物を紙袋につめて出て行く日々が続きました

 

 

引き止めても何を言い聞かせても無理で、夕方になると出て行く日々が続きました

 

 

当時、私は仕事をしていました、母のこれからのことを考えたら、どうしたらいいのか?

 

 

仕事を続けるには、母を施設に入れなければ続けることは出来ません

 

 

あの頃は、施設の数も少なく、申し込み順の入所待ちでした

 

 

どこの施設も300人待ちで、おおむね3~4年待ちと言われていました

 

 

認知症介護より身体介護を重視していた介護保険だったので、どんなに大変でも申し込みをして順番待ちをしていました

 

 

おかしな行動・言動など近所の人にはすぐにわかる状況で、いつの日か近所の人から、人に迷惑かけないうちに施設にいれなさいと・・・言われました

 

 

でも、施設は順番待ち・・・・仕事を続けるには施設に入れる

 

 

主治医の先生に相談しましたが、母は認知症よりも、鬱病がひどく(兄の死のショック)、精神病?のような状態でした

 

 

目が据わって、いつ自殺するかわからない状態で目が離せませんでした

 

 

特養はまず受け入れてくれないだろうと先生のお話でした

 

 

鬱病がひどいため精神病院に入院させるしか方法はありませんでした

 

 

軽度の認知症でどうして母を精神病院に入院させなければならないの?

 

 

順番待ちが来ても鬱病がひどかったら、特養も入所拒否されるとのことでした

 

 

社交的で面倒見のよい母は、近所の人たちとはとても仲良くしていましたが

 

 

少しずつ距離を置いていつの日か、全く相手にされなくなりました

 

 

私は、いろいろ考えた末、仕事を辞めました

 

 

介護をして8年以上の月日が過ぎましたが

 

 

夕暮れ症候群の徘徊、夜間の徘徊、早朝の徘徊・・・・ 

 

 

警察に保護されてパトカーで帰ってきた日々

 

 

私は、年末にインフルエンザで40度の熱を出して苦しんでいても、母には関係ない夜中の徘徊

 

 

徘徊がおさまったころ、トイレがわからなくなり、部屋の中で放尿をしたり

 

 

リハビリパンツをつけていても、脱いでしまって部屋を汚したり

 

 

便を手で触り爪の中までよごれてしまったり~

 

 

部屋の汚れニオイなど綺麗に取れるまで、掃除に頑張った日々

 

 

オムツをしている状態でなかった時は、深夜2時前後にはトイレに連れて行き、

 

 

朝目覚めるのが早い母に 5時頃もう一度、トイレに連れて行く

 

 

私の睡眠は1日2~3時間ほどでした

 

 

一人で介護をしている私には、精神的なストレスで何度も深夜に胃の痛みで苦しみもがいた日々など

 

 

精神的苦痛でもう介護に限界を感じた日々など

 

 

 母は兄が死んでから、毎日泣き続けていました

 

 

そんな母を見ていると、どうすることも出来ない辛い日々

 

 

もういいよ~ そんなに悲しまなくていいよ~ もう二人で死んでしまおう~

 

 

死んだら、楽になるしお兄ちゃんに会えるよ~死ぬことも考えました

 

 

でも、小心者の私には出来ませんでした

 

 

誰か助けてぇ~   もう一人誰かがいてくれたら・・・・いつも思うこと

 

 

昨年、2度のショートステイでの骨折・・・車椅子生活

 

 

最近の私のブログには、身体介護の大変さを日々書いています

 

 

母は40キロのやせ細った体でも、女一人で車椅子からベッドへ、ベッドから車椅子へ

 

 

どれだけ重くて大変な移動か

 

 

食事も全介助の毎日

 

 

簡単なようで、とても大変なことです、子供に食事をさせるような状況とは違います

 

 

 先の見えない介護の日々

 

 

介護に終わりが来たときそれは・・・・・  

 

 

時々、愚痴を言います

 

 

出来ることなら、介護から離れてしまいたい、誰かに母の介護をお願いしたい

 

 

自分の体が元気でない時、疲れたときには、思います

 

 

自宅で介護をされている人たちには、この悩みはよくおわかりだと思います

 

 

施設に入所されている親を毎日訪問して、いつまでも元気で大事にしたい!

 

 

自分の親だからいつまでも元気でいてほしい・・・・・当たり前だろう! 

 

 

 自宅で介護をされていない人に、私の気持ちがわかるのでしょうか?

 

 

時々、出る愚痴が母の介護を仕方なくしているように思えるのでしょうか?

 

 

そんな思いで介護をするなら、ずいぶん前に、精神病院にいれているでしょう!

 

 

私も母を施設に入所させていたら、毎日のように母を見舞って

 

 

今日一日、笑顔で元気に過ごしていましたと、毎日笑ってブログに書いているでしょう

 

 

最近のブログは身体介護の大変さの愚痴が多いかもしれません

 

 

ブログは私のストレス発散です

 

 

みんなの応援で頑張る事ができます

 

 

いつも感謝しています 

 

 

いつも応援ありがとうございます

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント (17)
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