ありえないくらいの雪で、福井は交通マヒが続いているが、
それでも、朝5:30に鬼嫁に叩き起こされ、車の雪かきを命ぜられた。
おまけに、次女を福井駅まで送らせられる羽目になった。
さて、僕自身は、中学までの野球経験しかなく(と言っても経験などは恥ずかしくて言えないが)野球界とは無縁の人間だった。
しかし、祖父が高校野球ファンであり、幼少の頃はいつもテレビで甲子園を見ては、福井商業が負けると
「俺は福井商業に入って甲子園に出てやる」といつも壁当てをしていた覚えがある・・・
その夢は到底叶うことなく、おっさんになった訳だが、
高校野球だけは好きで好きで仕方なかったし、福井商業の大ファンでもあった。
福井商業が甲子園に行けば甲子園に応援に行く事を忘れなかったが
その内、敦賀気比高校と言うのが出現してきた・・・
しかし、福井商業のファンだった事から、アンチ敦賀気比で居た事も事実だが、
その内、内藤投手率いる敦賀気比が甲子園で躍進する姿を見て、これは福井県の野球チームでは無い・・・強い
と感じるようになった。
それまでの福井商業は、守備からリズムを作り、小技を生かして得点を重ねるチームだが、とにかく強打のイメージは無かった。
しかし、敦賀気比は、投手力と強打で勝ち進む・・・言わば都会の野球のように感じ出したのだ。
その後、三上投手率いる敦賀気比を見て、更に興奮した覚えがある・・・
しかし、どのチームが出ても応援したし、甲子園には応援に行ってきた。
そんな内に、兄弟で死ぬまでには甲子園で野球をやりたいな・・・と考え出し、甲子園球場を丸一日借り切ることが出来た。
まぁ見るも無残な野球チームを結成して、甲子園初となるインチキ試合を(ファーボールも無し)したものだ・・・
そして、その翌年、又もや甲子園から連絡が入り、借り切ることに・・・
そんな時に、京都の寮の近くの居酒屋で、現チーム監督がひとりで飲んでいると、隣のおっさんがえらく野球の話をしている・・・
意気投合して話をしていると、そのおっさんは東出時代の敦賀気比の4番バッター東哲平(現敦賀気比高校監督)のオヤジだったのだ。
その後、現チーム監督から突然「今日京都で人にあうから来い」と言われ、向かった居酒屋であったのが、東哲平監督だった。
その時、東監督はオールスター福井の監督をしており、色々と話を聞き、オールスター福井の運営状態が困難な事を聞き、援助する事になったのだ。
そして、2回目の甲子園で我々おっさんチームとオールスター福井は対戦・・・
その時のオールスター福井の投手が現オリックスの山田投手だ。
あれから、10年の歳月が過ぎ、オールスター福井をお手伝いさせてもらい
小林繁さんとも知り合え、現楽天の酒井コーチとも知り合え
たくさんの甲子園出場選手を見贈った・・・
死ぬまでに福井県に優勝旗を持って帰るまでは頑張ろう・・・としてきたが
そんな大きな夢も、平沼君たちが叶えてくれた・・・
ちょっと早過ぎたが、嬉しい事だ。
次は、春夏連覇をするチームに卒団選手が居る事を目標として頑張ろう・・・
本当に野球で知り合えた縁に感謝をしたいものだ。
只、いい縁ばかりでも無かった・・・いやな事もいいこと以上に多く
心悩まされた日々が殆どだった。
しかし、何を言っても、卒団生の頑張りが唯一の励みになることは間違いないだろう。