今年の夏の甲子園・・・本当に大変だな~
色々な意見が出ている・・・東海大菅生VS大阪桐蔭・・・雨天コールド
1回戦屈指の好カードだっただけに残念な結末だが、
高野連とて運営には苦労している。
人それぞれ想いがあるが、まだ甲子園が開催されているだけ
我々コロナ中止世代を子に持つ親からすれば羨ましい次第だ。
本当に良く雨が降る・・・しかしそのお陰で仕事が終わり晩酌をしながら高校野球を見れるのも嬉しい事だ。
昨晩も、孫がやってきたので
作ってやった!
ウルトラマンカレー&タコちゃんウィンナー&味付け煮卵スパ乗せ・・・
ウルトラマンの顔が変や~と孫は大笑いしていたが
「じいじぃうまいうまい」と食べてくれていた。
昨晩の高松商業VS作新学院の戦い
高松商業の監督は、本当に試合巧者だ・・・オール香川県民で、軟式野球出身者が多い中
高校野球を知り尽くした戦いをする。
以前、オールスター福井(以下ASF)OB上中尾真季が山崎(現オリックス)を要して戦った明治神宮決勝戦。
現地で見ていたが、後半山崎君のフィルディングの悪さを徹底的に攻め
優勝していた。
プロ野球選手になれるような素質の選手は居ないが、固い高校野球球児を育成するタイプだな~
さて、今日はいよいよ福井県代表の敦賀気比が登場・・・4試合目だ。
今の情況を見ると、試合開始は相当遅くなる・・・ナイター試合は間違いない。
対戦は同じ北信越地区の日本文理高校。
卒団OBの今井士温君の出場もあるだろう。
一杯呑みながら観戦するか~
そして、長くなるがYAHOOニュースにASF卒団OBで現ASF監督、御簗氏の次男の記事がでかでかと掲載されていた。
以下引用
【甲子園の記憶】敦賀気比高・御簗龍己 福井工大でも続く地元からの日本一
兄の背中を追い
御簗が地元の少年野球クラブに入ったのは、幼稚園児からだった。「兄について行ったりして、試合には出られませんが、端っこの方で遊んでいました」 6歳上の兄、翔(バイタルネット)が高3になり、敦賀気比は夏5年ぶりの代表になった。「小6の時、兄の応援で初めて行きました」と第96回大会(2014年)を甲子園で観戦した。兄のチームは爆発的な攻撃力をみせ快進撃が続いた。準決勝の大阪桐蔭戦、6番打者の兄は初回に満塁本塁打を放つと、三回にも2打席連続本塁打を打ち込んだ。 乱打戦の末、優勝する相手に9-15で打ち負けたが、強烈な印象を残した。龍己はこの試合を甲子園で応援できなかったが、「打つと思ってなかったので、正直、びっくりしました。でも、自分が追いかけている背中は間違ってなかったと思いました」。敦賀気比は翌15年の選抜大会で北陸勢初優勝、名実ともに強豪校の仲間入りをした。
2年夏に甲子園へ
「兄が立った舞台なので、気比で同じユニホームを着て、甲子園という同じ道を通りたいという気持ちはすごかったですね」。18年、御簗が敦賀気比に進学した夏、チームは3年ぶりに甲子園へ戻ったが、1年生捕手はけがもありアルプス席からの応援だった。 2年夏の第101回大会で初めて甲子園の土を踏んだ。「スタンドから見るのと、中に入ってやるのは比べものにならないぐらい違いました。最初は緊張したんですが、その緊張感で自分のパフォーマンスが上がった気がしました」。最も覚えているのは1回戦の富島(宮崎)戦だ。「甲子園で最初の試合ということもありますし、チームとしてちゃんとヒットで打点を稼いだのは自分が最初だったので印象に残っています」 1点を勝ち越した五回1死二塁から8番に入っていた御簗は中前へチーム初の適時打を放った。小学生の頃からずっと捕手。「グラウンドの監督というか、一人だけ野手と向き合っているんで。堂々としたというか、そういうところが好きです。ピッチャーを引っ張れたというか、自分の思っているように配球とかリードができた」。この試合を5-1でものにすると、2回戦は國學院久我山(西東京)に19-3と大勝、3回戦は仙台育英(宮城)相手に3点を先行したが、3-4で逆転負けした。 メンバー18選手のうち、10選手が1、2年生だった。同期にはエース笠島尚樹(巨人育成選手)や中軸打者の長谷川信哉(西武育成選手)らがいた。「やっぱり、もう1回甲子園に行きたいという思いで練習していた。自分たちの代は、ピッチャーもバッターもそろっていたので、甲子園、全国制覇を狙えるチームだった」 新チームになり秋の県大会決勝は27-4で圧勝した。北信越大会の準々決勝で敗れ、選抜大会には選ばれなかったが最後の夏に懸けていた。しかし、コロナ禍で大会は中止になった。「(2年生で)ベスト16まで行ったので、そのチームを超えるためにずっと練習をしていた。正直、これからどうすればいいのか。どう野球に向き合い、どこに目標を置けばいいのか、そういう心情になりました」 甲子園は中止になったが、夏の福井県大会は開かれることになった。「先輩方が2年連続(夏の福井代表)という形でつないでくれたものを途切れさせないように、絶対、勝つという意志を持ってやりました」と気を抜くことなく優勝。福井工大福井との決勝では自ら本塁打も放って快勝した。チームが夏の福井大会で「3連覇」するのは初めてだった。
福井工大へは自宅から
プロ入りという大きな目標はあったが、大会がなくなったことでアピールする機会も減った。「大学進学はどこにするのか迷ったが、大学でもアピールしようと思ったら、全日本(大学野球選手権)や(明治)神宮大会に出ないといけない。福井工大が一番その舞台に近づけると思った。大学はすごくお金もかかる。親の負担も少しでも減らせるように」と地元の大学へ進むことに決めた。敦賀気比では寮に入っていたが、今は自宅から通っている。 春の北陸大学野球リーグは代打の出場からだったが、先輩捕手がけがしたこともあり、先発マスクをかぶるようになった。コロナ禍でリーグ戦は中止になったが、10大会連続の全日本大学野球選手権代表の座をつかんだ。大会前、下野博樹監督は1年生捕手を不安材料の一つに挙げていたが、期待の裏返しでもあった。
後輩たちへ託した思い
御簗は「試合前にLINEで『頑張れ』とか送ってきてくださった先輩方や同期がいた。試合中、ベンチからアドバイスをもらうなど支えられプレーに集中できた。神宮と東京ドームで試合するのは初めてでしたが、甲子園よりは緊張はしなかった」と振り返る。チームは快進撃が続いたが、決勝では慶應義塾大学に2-13と大敗した。「優勝したかったのですが、東京六大学とのレベルの差を感じました。大学に入り金属から木のバットに代わり、まだ、対応しきれていない。バッティングは少し不安ですけど、打てるキャッチャーになれるよう練習していきたい」 夏の選手権福井大会は、講義や練習の空き時間を使い、後輩の応援に行った。新チームは昨秋から北信越では負けなし。夏の福井大会も準決勝、決勝は零封勝ちだった。御簗は3大会連続10回目の夏の甲子園出場を見届け、「よう頑張った、おめでとう」とメンバーたちを祝福した。「去年まで自分が着ていたユニホーム。応援する立場になると、気比のユニホームを着て野球をするのがちょっと恋しい、寂しいという気持ちもある。まあ、そこは、後輩たちの晴れ舞台をしっかり応援したい。バッティングに関しては僕らの代より上、全国でも通用するチームだと思います」途切れさせなかった先輩たちから引き継いだ思いを、後輩たちへ託した。