石老山(702m) (つづき) 石老山は、登山以外にもう1つ楽しみがあります。登った後で、渡し船に乗って相模湖駅へ戻ることです。 「ゆら~り プカプカ 渡し舟」の看板があるところから、細い道を下っていきます。看板がなければ、多分乗り場を見つけられなかったでしょう。10分ほど下ると、湖岸の乗り場に出ました。 乗り場には、小さな浮き桟橋があり、「船着き場に係りの者がいない場合は、ドラム缶をたたいて対岸 . . . 本文を読む
岩手県の北上へ桜を見に行ってきました。 北上展勝地は北上川の沿岸にあり、1920年から植えられた桜はおよそ1万本もあるとのことです。 桜の見事さもさることながら、ここでは花見の時期だけ渡し船が運航されるのも特徴です。JR北上駅から7,8分ほど歩いた場所に臨時の乗り場があり、屋根の付いた船が、観客を対岸の展勝地へピストン輸送しています。船は45人乗りで、長い座席が向かい合って配置され、通勤電車の長 . . . 本文を読む
「県営森下渡船 大垣建設事務所」と掲げた小屋があります。葛木渡船の乗船場にあった小屋より小さく、長い間使われていない様子でした。「県営」とありますが、実際の運航は岐阜県から海津市に委託されています。 . . . 本文を読む
今度は、細い木の1枚板を歩いて船に乗り込みます。ライフジャケットを着てほしいとのことで、橙色のジャケットをダウンの上から着ます。そういえば、愛知県側の船はライフジャケットを積んでいませんでした。森下渡船に乗るには、事前に海津市役所へ連絡する必要があります。「完全予約制」の渡船へ乗る人はほとんどなく、私たちがこの年初めての乗客だということでした。1月に1回くらいは乗る人がいるのですかと聞いてみると、「ある月よりない月の方が多い」程度らしいです。地元住民の利用はないようです。 . . . 本文を読む
今日はもう1つ渡船に乗ります。岐阜県側の渡船(森下渡船)の人達が、私達を迎えに来てくれていました。葛木渡船に3時ごろ乗りますと伝えていたので、そろそろ着くかと思っていたとのことでした。迎えに来た人は2人ですが、船頭さんは1人で、もう1人は海津市役所の職員さんでした。3月で廃止される渡船の運航記録のためでしょうか、デジカメを持っています。 . . . 本文を読む
時刻表があるわけでもありませんから、時計の針も見ずに、「じゃ行くか」という雰囲気になり、おじさん達の後をつけて河原へ降りて行きます。二艘の小さな船がとまっていましたが、渡船用は1つだけで、もう1つは関係ない私有の船のようです。河原には、ここが乗り場だとかいう掲示はありません。おじさんは船の後ろを両手でしっかり押さえ、慎重に乗り込みます。 . . . 本文を読む
木曽川と長良川を隔てる中堤には、立派な松の木がたくさんそびえています。川沿いではなく、まるで海岸の防風林のようです。ここが海ではなく川の堤防なのが、不思議な感じがするほどです。とても寒いですが、風は強くありません。この渡船に乗ろうと思わなければ、この景色を眺めることも一生なかったでしょう。 . . . 本文を読む
「あがた」と「くつわ」のことをたずねてみました。「くつわ」はよくわからないが、「あがた」は米と砂糖を一緒に揚げて作るお菓子だと教えてもらいました。その食感は大変硬く、「若い人でも噛めない」ほどだそうです。この硬いお菓子が如何なるものか、テレビ局が取材に来ることもあるとのことです。 . . . 本文を読む
呉服屋を過ぎ、しばらく歩くと「南無千躰地蔵尊」があります。説明書きによると、「この千体仏は、廻国修行僧円空の最盛期である延宝年間の作である。」とのことです。調べると延宝年間は1673年から1681年までらしく、作られてから300年以上たっていることになります。「約五~七センチの円空独特の切れ味するどい小仏千八体が光背の形式に配置され圧巻である。」ともあります。しかし、数えると100体もなく、残りの900体はどこにあるのだろうと思います。 . . . 本文を読む
渡し船とは、川や港に船を架ける代わりに、船を往復させて人や物を運ぶものです。ですから、観光用ではなく、生活のための船です。数を減らしているものの、今でも日本には数十の渡し船があり、特に大阪市では8つもの航路が現役です。関東地方でも、浦賀や利根川などに渡し船があります。橋を歩く代わりに船に乗れるということに、とても面白さを感じます。 . . . 本文を読む