(つづき)
津島神社から船着場までタクシーに乗りました。運転手さんは何十年も津島に住んでいますが、渡し船に乗ったことは一度もないし、「渡し船に乗りたい」という客を運んだこともないらしいです。が、少し地図を見ただけで、迷うことなく船着場まで走らせてくれました。昔は津島駅から船着場近くまでバスで行くことができましたが、廃止されたとのこと。
「あがた」と「くつわ」のことをたずねてみました。「くつわ」はよくわからないが、「あがた」は米と砂糖を一緒に揚げて作るお菓子だと教えてもらいました。その食感は大変硬く、「若い人でも噛めない」ほどだそうです。この硬いお菓子が如何なるものか、テレビ局が取材に来ることもあるとのことです。
他に、この辺りでは蓮根の栽培も盛んで、その話を聞きながら畑の横を通り過ぎます。蓮根畑なら、私の地元近くの土浦市にたくさんあるので、これが蓮根畑だというのがよく分かります。
10分弱で船着場へほど近い場所に着きました。
木曽川の堤防に立つと、木曽川の向こうにもう1つ川があります。長良川です。ここは愛知県で、木曽川を越えてもまだ愛知、その先の長良川を越えると、岐阜県です。
この地点では、2つの大河は昔一緒に流れていましたが、明治時代に分流工事を行って、中堤により完全に分けられました。葛木渡船はこの時に開設されたものです。
(つづく)
木曽川と長良川の分流工事は、明治になってからお抱え技師のヨハネス・デ・レーケの指導の下に行われましたが、それ以前。江戸時代にも行われています。
それを宝暦治水と呼んでいます。
薩摩藩から家老の平田ゆきえを筆頭に美濃まで来て、工事を行いました。
毎年5月25日に治水神社で慰霊と感謝の祭りが行われます。今では、薄くなりましたが、西濃地方の人は薩摩藩に対し、感謝の念を持っていました。