ニューヨーク/世界発~徒然草~

ニューヨーク在住の筆者(M)と世界中を飛び回る筆者(T)が綴る、自由気ままな日記帳

東北被災者支援チャリティーコンサート

2011年05月17日 | Weblog
アーティストが集まって義援金を募る、東北被災者支援チャリティーコンサート。
NY/NJ Artists Fund Rising for Japan
Location: Englewood Hospital Auditorium
Time: ‎5:30PM Saturday, May 21st

Band : Uzuhi
Classical Guitar solo : Billy Steimel
Band : Kiyomi and her friend
Singer : Kirby Assunto
Band : John Chang and his friend
Singer : Dae Wee Han
Band : Jesse Jino
Singer : Seong Choi
Flute and Piano : Jun Kubo and Hiromi Abe
Korean Traditional : TBA
Poetry reading: Mika Okano
Violin Solo : Zion Lee

Director : A-Key
Event Coordinator : Tsubasa Matsuda and Su Lee
Tech : Jinji Takano, Eddie Lee and Kota Mori

フィラデルフィア名物★チーズステーキ

2011年05月02日 | Weblog
今までで一番美味しい、チーズステーキを発見!Philly名物だけど、なんであんなに騒がれるのか、いつも理解に苦しんでいた。基本はしゃぶしゃぶ又は牛丼用の薄切り肉を炒めて、ホットドックパンに挟むだけ!? しかも、牛肉を食べない私には、なんの魅力もなかったのだ。
けれど、今回のトリップで、チーズステーキに対する考えが180度とまでは言わないが、大幅に変わった。

Dalessandro's Steak600 Wendover St
Roxborough
Philladelphia, PA 19128
http://dalessandros.com/

なんと嬉しいことに、メニューは牛肉だけでなく、鶏肉もオプションに。



今回は定番の牛肉と、私用に鶏肉バージョンを注文した。またマッシュルームと玉ねぎを追加。うちの大黒柱サンの希望で、牛肉バージョンには、ピザ(トマト)ソースも追加。


パンも普通のホットドックパンとは異なり、美味しいバゲット風パン。
食べやすいように半分に切ってあるのも嬉しい。



今まと違ったのは、単なる薄切り肉ではなく、更に細かく切り刻み、ほぼフレーク状になっていること。一瞬、見た目が挽肉のよう。うちの大黒柱さんによると、これが本場のチーズステーキだそうです。

住宅街の一角にあるこの店は、夕飯時に近所の人たちが現れ、狭い店内が大行列に。お店の外に並んでいるテーブルも、人で溢れていた。皆おいしそうに、ほおばっている。お値段もお財布に優しく、ボリューム満点。庶民の味方です。ちょっと大きすぎたので、半分はお持ち帰りにしました。



ちょっと残念なのが、フライドポテトとかがないこと。でも、向かいのお店も同じようなハンバーガー屋さんで、そこでフライドポテトを買えるとのこと。ウェイトレスさんのお勧めだそうです。

次回フィラデルフィア方面に行くときには、また足を運びたいと思っています。

アップル人口&中毒性

2011年04月21日 | Weblog
ダウンタウン(World Trade Center)から地下鉄に乗り込んだ。目の前には男女4人が座っている。私の横にも3人ばかりいる。左隣の人を除いて、皆Iphoneを手にしている。斜め向かいを見ると、やっぱり半数以上の人がIphoneを持っている。音楽を聴く人、映画を見ている人、メールやゲームをしている人。地下鉄の中でのすごし方は様々だが、どうやらIphoneは欠かせないアイテムのようだ。

まるで他人事みたいに書いている私自身も、Iphoneで音楽を聴きながら書いている。

どんなに不景気でも、IphoneならびにIpadの売り上げは想像以上に快調の様だ。新しいIphoneが今年9月ごろに出るとの噂を耳にしているが、Ipadの発表は年内中にはないであろうとの話。2世代目が今年の初めに出たばかりだから、年内というのは確かに早すぎるかもしれない。しかも、好調に売れているなら、慌てて次期モデルを売り出す必要もないんだろう。個人的には3世代目のIpadを心待ちにしている。

それにしても、IphoneならびにIpadの頑丈さには、惚れ惚れする。うちの急須ちゃんの乱暴な扱いにも負けず、しっかり頑張っている。やかん母のIpadもかなりツンツクされてたし、私の電話なんて。。。壊れないのが不思議なくらい。

そうそう、Drinkmalk.comが使えなくなったのが、残念。著作権に関わることと分かっているが、地下鉄での時間潰しに最適な読書サポートサイトだったのになあ。Matcukも充実してくれるといいんだけどな。

通話システムに止まらない、電話の粋を超えたスペシャルツール。仕事にプライベートに欠かせなくなっています。明日から3連休。すこし電話から離れ、急須ちゃんとの時間をたっぷり過ごすぞ!

東日本大震災から28日

2011年04月08日 | Weblog
あれから、もうじき1ヶ月が経とうとしている。依然として余震が続く日本。

まず今回の大震災による被害を受けられた皆様には、謹んでお見舞い申し上げます。
また被災地の一刻も早い復興を心よりお祈り申し上げます。

ニューヨーク在住福島県相馬市出身のお友達を通して、メディアではあまり取り上げられない被災地情報をお届けしたいと思います。現地に居る人にしか分からない真実を少しでも多くの人が知ることに、大きな意味があると信じています。

まずは、相馬市長・立谷秀清氏のメールマガジン(3月23日)を少しでも多くの方に読んで貰いたいと思います。地震・津波・原発爆発事故で相馬市民の混乱がピークだった時の様子はもとより、市長の苦悩が伝わってきます。避難所で配られたこの文章を読みながら、思わず涙を流す人もいたそうです。

相馬市ウェブサイトより

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メールマガジンNo.248(2011年3月24日号)
ろう城

まず今回の地震津波で亡くなられた多くの方々のご冥福を祈りたい。
相馬市の場合、地震の揺れが終わった直後に災害対策本部を召集し、津波からの避難呼びかけと誘導を指示した。海岸部の5027人の家屋が流出て瓦礫となったが、亡くなった方は約一割。多くの方を避難させた消防団の方々に、心から感謝と敬意とお詫びを申し上げなければならない。避難指示、あるいは誘導の業務により逃げ遅れ、殉職された団員が7人。この方々の尊い命と引き換えに守られた、多くの市民の生活と郷土の再建に死力を尽くすことが、私のせめてもの償いと思っている。

さて震災直後は情報収集と生存者の救出に全力をかけた。地震の倒壊による死者はわずかにひとり。その50分後に信じられない報告が対策本部に入ってくる。津波が6号バイパスを越えようとしているというのだ。私には想像もつかないことだったが、現実は原釜、磯部の集落が壊滅、尾浜、松川も高台以外は波にのみ込まれ、原形をとどめる家屋は無くなっていた。体中に心配と不安が走るなか、災害対策本部の次の仕事は生存者の保護と救出者の健康管理である。夕方の、沿岸部のすべてを飲みつくした海水の中で、孤立している被災者をひとりでも多く避難所に退避させ、暖を与え水と食事を摂ってもらうことに専念した一夜だった。

時間がたつにつれて、行方不明になっている親族や知人の報告が入ってきたが、対策本部の中では誰ひとり感情を表に出す者はいなかった。この非常事態に、市をあげて取り組まなくてはならないことを全員が分かっていた。被災の10時間後、4回目の対策会議で我われは、復興にむかって一歩ずつ進んでゆくことを誓い合いながら、今後の行動指針を短期的対応、中長期的対応に分けて策定した。明日になれば、災害の全容がわかるだろう、犠牲者の情報ももっと詳しくわかるだろう、しかしどのような事態であっても臆することなく、着実に計画を実行していくことを肝に銘じた。

二日目以降の避難所は、被災者とライフライン不通による一般避難民とで過密状態となったが、女性消防隊や自衛隊の応援による炊き出しや、早くも届いた支援物資で何とか最小限のことは出来たと思う。
家を無くされた方々の避難所生活から、アパートや仮設住宅での自立した生活に移行してもらうこと、災害現地をできるだけ整理すること、またそれまでの長期にわたる不自由な生活のなかでの健康管理や精神的なケアなど、中長期の計画に添ってチーム一丸となって歩み始めた。

ところが。

45キロ離れた遠くの双葉郡から、二度目の悪魔が襲ってくる。放射能の恐怖という不安心理である。広がる一方の原発事故は一日中の過敏報道とともに、周辺地域はもとより日本中を恐怖心に駆り立ててゆく。半径20キロの範囲が避難指示地域になったころから、相馬市にも遠くに逃げ出そうという気分が広がっていった。
同時に国内の物流業者が敏感に反応し、相馬地方やいわき市に入ることを避けるようになった。ガソリンのタンクローリーなどは郡山で止まってしまい、運転手をこちらから向けないと燃料も手に入らない。震災後わずかに開いていたコンビニやスーパーも商品が入って来ないため閉店である。ガソリンと物資が入らない日常生活の不便に加え、原発の放射能拡散の恐怖が相馬地方を襲ったのだ。

市民は終日テレビにかじりつき、解説者は得意げに危険性を説明する。たしかチェルノブイリでも30キロのはずだったが、45キロ離れて避難命令も出ていないはずの相馬市民の顔色がみるみる不安にあふれていく。
もしも放射能の数値が上がったら、その時避難したのでは遅いのではないか?国は、本当は健康被害が出るくらいの危機的状態なのに、国民を騒がせないために隠しているのではないか?ひょっとしたら今こそが逃げるべきタイミングなのではないか?現に米国は80キロまで避難させたではないか?
事実、屋内退避とされている南相馬市では大量脱出が始まった。ガソリンも食糧も医薬品も届かない陸の孤島にいたのでは、ヒロシマのように爆発してからでは遅いのだという恐怖が、まず南相馬市民を相馬市に向かわせた。相馬市の避難所に押し掛けてきたので、こちらでは新たに廃校となっていた相馬女子高を南相馬市民のための避難所とした。容量は1000人分。もちろん食糧の提供もこちらの義務となるが、我われより困っているのだと思ってひき受けることにした。災害対策本部には、一瞬顔をこわばらせるものがいたが異論は出なかった。

しかし、南相馬市民の不安や脱出願望を肌で感じた相馬市民にも危機感と焦りが生じてきた。早く逃げないと、放射能による障害をまともに受けるのではないかという不安が蔓延するようになってきたのだ。対策本部としては、国から避難命令が出る前に、自分たちで自主避難を決めることはあり得ない。この当たり前の立場を対策会議で確認して、三か所の避難所で演説してまわった。

我われはその後の対策会議で、復興に向けて着実に進む方針を、短期対応、中期対応、長期計画と分けて市内の実情に合わせて着実に進んでいくことを決めてきた。その過程で、もしも国から一時避難を指示されるなら、市民の健康や生命を案じて計画的な集団避難を実行しなければならないが、漠然とした不安にかられて復興計画を遅らせるとしたら、亡くなった人たちに済まない。だいいち、高齢者などの災害弱者にとって、相馬を離れた避難所生活が辛くないはずがない。だから、国から避難指示のない現段階で、市民とともにこの相馬市を離れるつもりは毛頭ない。

ところが、原発の放射能もれに対する国中の不安が、相馬への物流を決定的に止めてしまった。影響が特に厳しかったのが医薬品である。この点は供給会社のトップと話して、相馬がどうしても撤退できない理由を理解してもらった。彼らの理解を得て医薬品の供給は確保されたので、相馬の医療機関は留まることができる。しかし、問題はスーパーやコンビニで、生活用品や食料を調達できないことである。
市民にはご不自由をかけているが、ここで生活の不便さや原発の恐怖心に負けてしまったら、相馬地方は将来ともに復興が出来ないに違いない。昨日、行政組織の区長さんたちを集めて、相馬市はろう城生活に入ることの了解を得た。いつまでも続くはずもない原発騒ぎや物流の風評被害に負けたら、津波から被災集落住民の命を守って殉職した分団長や団員に申し訳がない。

最低、米と味噌と梅干しがあれば、生きてはいける。天明の飢饉はもっとひどかったはずだ。よってろう城をしながらここで頑張る。さいわい全国の市長たちが支援してくれるから、兵糧の心配はない。

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置き去りにされて痩せ細ったペットや家畜、倒壊・半壊した状態で放置された家、乗り捨てられた車やがれきの山。人ひとり歩いてないゴーストタウンのような街が映し出されると、ますます誰も近づかなくなっていく。そして、地元に残された人の生活が、どんどん苦しくなっていくのです。

其々の理由で、誰もが避難できるわけではない。
原発の恐怖に耐えながら、今日も地元に残り、生活を送っている人々が沢山いるのです。
今回の地震津波で多くの人々が命を失いました。震災からは助かったものの、絶望感にあふれて生きる力を失った人もいる。今生存を確認できた人々には、是非とも生き延びてもらいたい。でも、「頑張れ」とは軽々しくいえない。心に負った傷が、少しでも早く癒えることを祈っています。震災はもとより、無知から起こる差別。これも、心配のひとつです。

一日でも早く、皆に元気な笑顔が戻ってきますように。


陪審任務

2011年04月05日 | Weblog
米国市民の義務として、陪審任務というものがある。私も何度か手紙が来たことはあるが、市民権を持っていないので任務を逃れることがでる。今回うちの大黒柱さんが裁判所に出向くことになった。

映画やドラマでみる陪審裁判って、結構面白そうな気がするんだけど。。必ずしも興味深いケースになるとは限らない。しかも陪審選定の手続きが、かなーり長いのである。百人以上のひとが召喚状を受け、無料WIFIのある部屋に閉じ込められるところから始まる。そこから裁判に関わる弁護士たちが、ひとりずつインタビューをし、最終的に陪審員を選んでいく。陪審員になると、裁判の最初から最後まで、一日も欠かさず出頭しなくてはいけない。陪審員も普通の人間、もしかしたら病気や事故で任務を遂行できなくなるかもしれません。なので、予備の陪審員が2人、バックアップとして確保される。

陪審任務のために出勤できない場合、社員が10人以上の雇用者は一日あたり40ドルもしくは、通常通りの給与を払う義務がある。自営業の人や、日当たりの給与が40ドルに満たない人に対しては、40ドルもしくは差額を州が支払うことになっている。食費や交通費というものは、全く出ない。
やっと昨年11月にうちの大黒柱サンの仕事が決まって、まだまだお金のゆとりがない我が家。この数年まともな収入がなかったから、貯蓄なんてあるわけない。1日あたり40ドルの収入はキツイすぎる。これじゃ、住宅費(ローン)ならびに諸生活費をカバーすることは出来ない。裁判が数日で終わればいいけど、期間は分からない。うちの大黒柱サンの場合、陪審選定だけで2-3日かかってしまった。予定通りの時間に始まらないわ、途中の休憩も長いとかで、「タイム イズ マネー!」と叫びたくなる自分を押し殺しながら控え室にいた様子。市民としての義務を果たしたいと思う一方、勘弁してくれよ!という思いにかられるのは当然である。しかも、うちの大黒柱サンが働くのは、家族経営の小さな会社。入社して間もないので、今年は有休がほとんどない。6月過ぎたら2.5日くれるらしいけど、今日の時点ではゼロ。会社側も陪審任務を理解しているけれど、「何とか免れることはできないかな?」と、しつこいばかりに聞いてくる。陪審任務を理由にクビにすることはできないとはいえ。。。

陪審任務が原因で家のローンを払えなくなった人って、いないんだろうか?

DMV (Department of Motor Vehicle)

2011年03月28日 | Weblog
急遽、DMV (Department of Motor Vehicle)に代理で行くことになった。中古の車を購入したものの、登録が終わっていないのでナンバープレートがない。路上に出すことが出来ないまま、かれこれ5日が経った。その間、ガレージ代もかさむし、10日以内に登録しなくてはいけない義務もあるので、ヒヤヒヤ。そこで私が半日休暇を取って、マンハッタン・ミッドタウンにあるオフィスに行くことにした。混んでるし、なにかと評判が良くないのは分かっていたけれど、終わった足で会社に行くことを考えての上、ここのオフィスに決めた。書類を片手に朝から並ぶこと3時間。DMVに来て、不快にならずに帰ったことはない。

うちの大黒柱サンの署名が免許書上とその他の書類で不一致だとの理由で、受理されなかった。それは書類不備として仕方ないとしても、窓口のオバサンの不親切なこと。書類にサインしなおせというけど、書類によっては新しいものは手に入らない。売り手買い手の署名が要るので、うちの大黒柱さんのみがサインしなおすわけにはいかなくなる。しかも他州のお役所からの書類に関しては、原本が必要なので、更にややこしいことになる。具体的にどのようにサインし直すのか、どの書類をやり直すのかが知りたかった。2重線を引いて、イニシャルを書いて、その横に新しいサインをしても良いかなど。。(あり得ないとは思うけど。。)また、支払いに関して質問しても、また戻ってきてくださいの一点張り。

結局、インフォメーションのお兄さん2人に質問。彼らは、うちの大黒柱サンの署名に問題は無いと思うといい、スーパーバイザーに合わせてくれる事になった。結果からいけば、やっぱり受理できないとのこと。しかし、今度はサインしなおせとは言わない。

1.うちの大黒柱サン本人がDMVに来て申請
2.免許証のサインを書き換えた上で代理申請

上記のいずれかの方法になるとのこと。

さっきと話が違うじゃないの!!!

そうそう、しかも、DMVのクレジットカードシステムがダウンしているとかで、わざわざ現金を引き落としに走ったり。あれは、一体なんだったのだろうか。。。

あれから6日

2011年03月17日 | Weblog
3月11日ニューヨーク時間午前4時、電話の呼び出し音と共にベッドから飛び起きた。すぐにテレビCNNをつけると、今までに見たことのない、悲しい映像が目に飛び込んできた。大きな地震と津波に一気に飲み込まれた、東北の町々。映画のワンシーンであって欲しかった。今日で、その東北関東大震災から、6日が経ちました。被災地の皆さんはもとより、その他の地域に住む人々の生活に大きな支障をきたしている。東京や埼玉でも、棚のものが落ちて壊れたり、今までに経験したことのない大きな揺れを体験したと聞いています。余震も続き、実家の両親も1階のリビングで寝起きしているとのこと。また計画停電が実施され、友人宅もロウソク囲んでの食卓だとか。ガソリン、灯油に限らず、買占めが凄いとか。ガソリン待ち渋滞のために、道路が更に渋滞。物資の輸送にも影響しているんだろうな。

被災地出身のお友達は、昨日やっとご実家と連絡できるようになったとか。幸い、ご親族の安否が確認できたとのこと。回りがほとんど崩壊した状態の中、なんとか津波に流されずに済んだらしい。港付近にお住まいのご親戚は、命は取り留めたものの、あちこち複雑骨折する大怪我を負われました。病院には行ったものの、手術はもとより、なんの手当てもしてもらえず、寝たきりの状態にあるそうです。薬も人手も足りない状態にあるのです。

被災者の方々には申し訳ないが、大震災と津波の影響よりも、原発事故の影響が恐ろしい。あの小さな島国、日本国内には50以上の原発が存在するという。広島・長崎の悲劇を体験した日本なのに、危険と背中合わせに生きているのだ。他に選択はないのだろうか?

うちの急須ちゃんも、まだ1歳ちょっと。今の子供たち、そしてこれから生まれてくる子供たちの為に、少しでも安全な地球を残してあげたいと心から思います。

本当に歯痒い思いで、いまもNHKを見ています。
被災地の皆さん、日本に住む皆さんの惨状を見ながら、無力さを改めて痛感しています。

台所の必需品

2011年03月16日 | Weblog
出番の少なかったキッチンバサミ。実は、とっても便利なキッチンアイテムだったのですね。うちの急須ちゃんが離乳食になり、ほぼ完成食になってきた頃。いくら食べれる食材の幅が広がったとは言え、まるきり大人と同じものを食卓に出すわけにはいきません。当然、小さな口に合うように、小さめに切る必要があります。まな板の上で切ればいいのですが、特に汁物の具とかが面倒くさい。キッチンバサミだったら、お椀の中でチョキン、チョキンと切ることが可能。洗い物も少なくて済みます。そして、なんと言っても手軽です。しかも、我が家で使用中のキッチンバサミは、2つに分かれるタイプ。隅々まで楽々洗えるので、清潔に保つことができます。また、収納スペースも場所をとらないので、狭い我が家には最適。
小さなお子さまが好きな麺類も、ちょっと大きめのおかずも、なんでも手軽にチョキン、チョキン。離乳食に限らず、お年寄りのお食事の準備にもぴったり。

ちなみに、今朝の朝ごはんのメニューは以下のとおり。
白いご飯
お味噌汁(かぼちゃ、玉ねぎ、油揚げ)
煮物(鶏肉、大根、人参、里芋)
納豆

健康食品の納豆や豆腐は、急須ちゃんには欠かせない離乳食。ひきわり納豆だったので刻む必要はありませんでしたが、煮物やお味噌汁の具は、お椀の中でチョキン。お昼用のパスタも、これまたチョキン。

キッチンバサミがこんなに便利だとは。もう、これなしでは台所に立てません。
ちなみに、我が家のキッチンバサミはチェルシーマーケットで購入しました。

チェルシーマーケット&イータリー

2011年03月13日 | Weblog
美味しいもの好きな、やかんと鉄瓶(やかん母)親子。ファーマーズマーケットはもちろん、チェルシーマーケットや日本でもお馴染みのイータリーは、ニューヨークで欠かせないスポット。本場イタリアの味を楽しめるイータリーに対し、ローカルの味を楽しめるチェルシーマーケット。チェルシーマーケットにも直輸入のイタリア食材などがありますが、お目当てはDickson's Farmstandというお肉屋さん。ここのソーセージや、ハムは買う価値あり!ブラックペッパー入り生ソーセージは私のお気に入り。キャベツ、人参、ジャガイモ、月桂樹と一緒に煮込むだけで、素敵な一品が出来上がり。塩コショウの必要もないぐらい、しっかり味が出ています。香辛料を用いて燻製にした、子羊のパストラミも大好きです。おつまみやサンドイッチに大活躍。癖が少なく濃厚な柔らかブリーチーズをスライスして、パストラミと一緒に食べれば、正に絶品です。ニューヨークで有名なAmy’s Breadというパン屋さんも入っていますが、うちの近所のパン屋さんの方が美味しい気が。。。それから、このお肉屋さんの燻製ものも、スモークが利いていて、炒め物やスープにいれると良い味になります。その他、出来合いのものを売るレストランが多くあるので、マーケット内の椅子とテーブルを利用してお食事も可能。通路のあちらこちらに椅子やテーブルがあるので、子連れには嬉しい限りです。

イータリーのお目当ては、生パスタかな。チーズ、生ハム、ワイン、ジェラートなどを愉しみたい場所。でも、雰囲気はやっぱり大人向け。急須ちゃん連れには向かないようで、我が家はお買い物だけ済ませて、そそくさと家路に。イタリア人の知り合いが作ってくれた、手作りパスタソースと共に生パスタを試食。パスタで育ったうちの大黒柱サン曰く、美味しいパスタらしい。米食う人々のやかんとしては、あんまり有難さを感じない。(ごめんなさい)

個人的には庶民的なチェルシーマーケットのファンです。

はじめての高熱

2011年03月10日 | Weblog
生まれてから14ヶ月経った、うちの急須ちゃん。今回初めて、発熱してしまいました。単純に風邪がうつっただけなので、そんなには心配していませんでした。でも、小さな体で高熱と戦っているかと思うと、可哀想で。。。

体に触れただけで、高熱があることは明らか。でも、熱を測らないわけにはいきません。まずは赤ちゃん用救急箱から、体温計を2種類出してみることに。説明書を読んだり、育児書を開いてみたり、ネットで赤ちゃんの熱に関する事項を調べてみたり。いろいろお勉強してから、うちの大黒柱サンと一緒に、脇の下で体温を測ることにしました。

アメリカでは気温も体温も、全て温度は華氏で測ります。アメリカ生活が長くなった今、気温を華氏で言われても、なんとかイメージできるようになりました。でも、どうも体温に関してはピンっと来ない。頭の中で換算すればいいのだけど、どうも苦手。この寒いニューヨークで、気温が摂氏36-40度になることのほうが珍しい。だからというのは、言い訳にしか過ぎませんが。。。というわけで、私の頭の中は摂氏、うちの大黒柱サンは華氏。お互いに急須ちゃんの熱の具合を理解するまでに、一苦労。。。微熱なのか、高熱なのやら。103.4度と言われても、いまいち分からなかった。39.7度と分かって、ちょっと慌ててみたりした。
大丈夫とは思いつつ、103度を超えたらドクターに電話しよう!というウェブサイトを見たら動揺したり。でも、急患で行くほどでもないみたいだし。

本人はというと、体が火照っている以外は、いつもと変わらない様子。下痢、嘔吐もなく、食欲もある。熱と薬ののせいでダルイのかもしれないけれど、しっかり遊んでいました。

赤ちゃん用の解熱剤が効いている間はいいのですが、薬が切れてくると再熱。夜になると熱が上がる傾向にあるというので心配していたのですが、とくに異変、なし。結局ホワイトグレープ味のお薬を3回与えたところ、翌日には元気になってくれました。
ああ、良かった。

問題は、自分の喉が痛いこと。。。風邪がうつったのかな?
大きな石が喉につかかっている、そんな感じです。