私のハンドルネームは
イタリア映画が好きな諸兄であればおわかりだろう
イタリア映画の巨匠フェデリコ・フェリーニ監督の「フェリーニのアマルコルド」からとっている。
「アマルコルド」とはフェリーニの故郷イタリア・リミニ地方の方言(今では死語)で“エム・エルコルド(私は覚えている)”がなまったもの。文字通りフェリーニの少年時代の特別な一年(春夏秋冬)をユーモラスかつノスタルジックに描いた映画である。
この映画には明快なストーリーラインはない(というより多くのフェリーニ作品にもストーリー性は少ない)。エピソードの羅列といっても良い。
映画をストーリーで観ることに慣れた今の人たちには馴染ないかもしれないし、自分の好きなエピソードがなければ受け入れられない映画だろう。
イタリアの田舎町にふわふわと白い綿毛がいっぱい飛んできて冬の終わりを告げるシーンから話ははじまる。すると、突然映画の中の登場人物がこちら(観客)に向かって話しかけてくる。
「この綿毛が舞い始めると、この街にも春がやってくるんだ」と...
郷愁と青春への愛情をひたすらフィルムに焼き付けたエピソードの数々。主人公の少年と悪ガキの友達。憧れの年上の女性。頑固なだけで世渡りの下手な父親。いつも怒ってばかりの母親。下品な叔父。個性的な学校の先生達。ちょっとさせ子の浮浪女。豊満で乳牛のような胸をもつタバコ屋の女などなど異様に濃いキャラクターが多く登場する。しかし「異性と下ネタ」という古来からの普遍的手法をベースに展開するエピソードの中にハッとするモノを紛れ込ます(フェリーニ作品の多くに使われている)。雪の中のクジャク、協会のステンドグラス、巨大な豪華客船、ファシストによる父親へのリンチなど。これがこの映画にリズムを与えている。
多感な時代の忘れられない映画となった。
AMARCORD
音楽はこれまた巨匠ニーノ・ロータ。このCDは「ゴッドファーザー」「ロミオとジュリエット」「太陽がいっぱい」「道」「ゴッドファーザーPARTⅡ」ほか映画ファンなら知らない人はいない永遠の名曲ばかりを集めた画期的アルバム。
ニーノ・ロータってどうしてこんなに切ない旋律を生みだせるんだろう?
イタリア映画が好きな諸兄であればおわかりだろう
イタリア映画の巨匠フェデリコ・フェリーニ監督の「フェリーニのアマルコルド」からとっている。
「アマルコルド」とはフェリーニの故郷イタリア・リミニ地方の方言(今では死語)で“エム・エルコルド(私は覚えている)”がなまったもの。文字通りフェリーニの少年時代の特別な一年(春夏秋冬)をユーモラスかつノスタルジックに描いた映画である。
この映画には明快なストーリーラインはない(というより多くのフェリーニ作品にもストーリー性は少ない)。エピソードの羅列といっても良い。
映画をストーリーで観ることに慣れた今の人たちには馴染ないかもしれないし、自分の好きなエピソードがなければ受け入れられない映画だろう。
イタリアの田舎町にふわふわと白い綿毛がいっぱい飛んできて冬の終わりを告げるシーンから話ははじまる。すると、突然映画の中の登場人物がこちら(観客)に向かって話しかけてくる。
「この綿毛が舞い始めると、この街にも春がやってくるんだ」と...
郷愁と青春への愛情をひたすらフィルムに焼き付けたエピソードの数々。主人公の少年と悪ガキの友達。憧れの年上の女性。頑固なだけで世渡りの下手な父親。いつも怒ってばかりの母親。下品な叔父。個性的な学校の先生達。ちょっとさせ子の浮浪女。豊満で乳牛のような胸をもつタバコ屋の女などなど異様に濃いキャラクターが多く登場する。しかし「異性と下ネタ」という古来からの普遍的手法をベースに展開するエピソードの中にハッとするモノを紛れ込ます(フェリーニ作品の多くに使われている)。雪の中のクジャク、協会のステンドグラス、巨大な豪華客船、ファシストによる父親へのリンチなど。これがこの映画にリズムを与えている。
多感な時代の忘れられない映画となった。
AMARCORD
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音楽はこれまた巨匠ニーノ・ロータ。このCDは「ゴッドファーザー」「ロミオとジュリエット」「太陽がいっぱい」「道」「ゴッドファーザーPARTⅡ」ほか映画ファンなら知らない人はいない永遠の名曲ばかりを集めた画期的アルバム。
ニーノ・ロータってどうしてこんなに切ない旋律を生みだせるんだろう?
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