無事、葬儀を終えました。

2014-03-24 13:54:45 | Weblog
18日夜、逝ってしまったアマル父の葬儀がやっと終わりました。

喪主をアマル母、施主をアマルと
22日(土)通夜、23日(日)葬儀・告別式とバタバタの2日間でした。

アマルも五十路を過ぎるとこれまでいろいろな葬儀のお手伝いなどをしてきたので
家族の葬儀でも特段慌てることはなかったのだけど

やはり施主ともなるとうちわだけの家族葬といえども親族・知人・父の親しい教え子へ(限定)の連絡と
菩提寺の僧侶の手配(下田から千葉への出張・宿泊・戒名ほか)打ち合わせ、
役場への出頭(死亡届→火葬許可証取得)、会葬お礼・通夜ぶるまい・精進落とし手配、
斎場が遠方のため親族の宿泊手配ほか結構大変。

葬儀社の人がいろいろ首尾よく手配してもらえると思っていたんだけど
意外と自分でやらなくてはならないことも多いのを実感。(その分、葬儀後の各種確認連絡が入った際に
即答できるのでよいところも)


一昨年から宗教法人や仏教の勉強(宗旨・戒名・読経の特徴ほか)もしていたので
菩提寺の僧侶(副住職に出張いただき)とのやりとりもスムーズに運びました。


このブログではアマルの父のことは暗くなるのでカキコしなかったんだけど
父の晩年は約6年にわたる認知症(アルツハイマー型)との戦いでした。

いろいろなことがありました。
2年前の元旦1月1日の捜索願い(無断外出・徘徊と言っていいのか?)街中で転倒額を切り
救急車で病院へ担ぎこまれ救急隊員より自宅に連絡が入り大騒動。
2年前の9月40℃の発熱で救急車で大学病院へ搬送。2週間完全看護状態。それ以降
車椅子を使う生活になる。
11月リハビリ専門病院へ転院2ヶ月リハビル治療(12月アマル実家同居)。
昨年正月より自宅療養(家族看護・介護)スタート。
週4回のデイサービス(入浴付)、2月より訪問診療スタート。
10月深夜39℃発熱するも24時間対応医師に連絡つかず問題に。
12月発熱・日曜日(日中)にも24時間緊急看護サービスで連絡がつかず問題に etc.

いろいろなことを経験しました。
病気のこと、薬のこと。病院のこと。介護福祉士、医師、看護師、理学療法士、作業療法士、
言語聴覚士のこと。在宅医療(訪問診療・往診、訪問看護、訪問歯科(衛生)指導、
訪問リハビリテーションほか)のこと。
介護保険各種適用サービス(デイサービス、介護サービス、電動ベッド・車椅子・入浴備品ほか)のこと等々



長い介護生活が終わり
昨晩と今朝も、アマル父(主)がいなくなった電動ベッドを眺め
ちょっと感傷的になりました。

心にどこかポカンと大きな穴が開いてしまったような寂しさを感じました。

(子供の頃はあまりに口うるさくスパルタ&暴力をふるう・横暴な父で「早く死ね!」とまで
本気で念じたこともあったんだけど...ネ)



さぁ~て、今後はいろいろな手続きが大変だッ。

大きなのは相続だけど。

少しずつ進めていきます。





ありがとう、父さん。

なんか母さんはアマル家(下田)の墓には入りたくないんだって。
どうする?

自然葬がいいらしいよ。

海は(泳げないから)イヤで、(死んで骨になったら溺れること考えなくていいのに)
花の咲く、桜の咲くような綺麗な山に散骨してほしいんだって。

(死んでまで狭い墓の中で舅・姑・夫とさらに窮屈な思いをしたくないんだって

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