まだまだ続く猛暑。
みなさんご機嫌いかがですか?
先週はアマルの部屋の気温は37℃になり
その暑さでぐったり・無気力状態でした。
アマルはお盆休みに仕事をして
今週(一週間遅れで)夏休みを取っています。
しかし、暑いですねぇ
食欲も減退気味です。
(性欲は不思議なことに減退しないです。
猛暑の街中でもセクシーなお姉さんには目は無意識に止まります。)
来週あたりから
一雨ごとに秋めいていくらしいですが
どうなんでしょう。
アマル家の菜園も
夏野菜(カボチャ・キュウリ・オクラ)の収穫もそろそろ終え
(ナス・トマトはまだまだ採れます。秋ナス・鳴門金時は9月10月に採取)
秋野菜(大根・葉菜類)の種播きに備え畑作り(元肥・畝作り・マルチ掛け)を
はじめました。
一連の作業を終えると全身土埃と汗でぐしょぐしょです。
こう暑いと甘くてよく冷えたスイカをかぶりつきたくなります。
でも、スイカってなんであんなに高くなったの?
アマルの子どもの頃(昭和の時代)は100円玉一つで今の大玉クラスのものを
よく買って帰ったものなんだけど...
平成の時代になって核家族化で小口・小玉サイズが売れ筋になった?
生産者の減少?
スーパーなんかで大玉一個2,700円だ、3,500円だなんての見ると「じぇッ、じぇッ」って感じです。
でもって1/8カット、1/6カットされたものがワンコイン(500円玉)以下のお手頃価格で並んでたりするんだけど
個人的にはあのラインはちょっと寂しさを感じるんだよね。(最近は慣れてきたけど)
少人数(1人~4人)の家庭なら(お母さんや)女性が持って帰れるサイズで
切り分けるのも楽ってのがあるけど...
アマルにはなんか(豊かな時代になったハズなのに)つましさ感が浮かんじゃう。
というのもこんな思い出があるからかも...
アマルの少年時代
(どことなく陽水の“少年時代”のイメージに重なるところがあるんだけど)
毎夏、アマル母の実家である石川県能登(旧鳳至郡)の山奥で夏休みを過ごすことが多く
日中は綺麗な川に飛び込みゴリを採ったりヤマメを採ったり
森へ行けば、カブトムシ・クワガタ・オニヤンマ・ギンヤンマ・クロアゲハほか昆虫採取し放題
(田んぼや池でマムシが泳ぐ姿もよく見かけました。)
海へ行けば、岩場でウニを採ったりと都会の子が味わえない夏を満喫していました。
前に話たかな?
田舎の伯父(アマル母の兄)は農林試験所の所長で
いろいろな作物の品種改良に取り組んでいて
(アマル母の実家は元名主だったことから近隣の山々に田畑をいっぱい持っていました)
そこかしこの畑にいろいろな作物が育てられていました。
そんな中にスイカ畑もあり、
アマルがスイカが好きというと
伯父は朝畑から大玉のスイカを2個採ってきて家の裏にある冷たい湧水のたまり池に浮かべ
昼どきに大玉を1/4サイズに切り分け
その切り口の真ん中を小スプーン(小さじ)の先端にほんの少しだけすくい取り味見をするのでした。
そして一言「あんま甘くねぇなッ!」ともらした後、
「あんま甘くねぇけど食べるか?」とアマルに訊くのでした。
伯父さんが手をつけていない1/4サイズにカットされたスイカが3つもアマルの前に差し出され
小学生だった(都会っ子の)アマルは超ビックリ!
「これ全部食べていいの?」
「ええよッ。あんま甘くねぇけどなッ」
「ほんとッ?」と言って食べたら十分甘くてぶっ飛んじゃった。
伯父さん贅沢すぎるよぉ...
「伯父さん、こんなんで甘くないっていったらどんなの食べてんの?」と思わず訊いたら
ハハハッと笑って、甲子園の高校野球ラジオ中継に耳をやるのでした。
伯父は無類の野球好きで、プロ野球も高校野球もテレビ中継を観ながら、ラジオ中継も同時に聴いて
臨場感を味わうのが大好きな人でした。
とうもろこし(田舎では南蛮キビと称してました)でも同じことがあって
アマルがとうもろこしが好きだと云うと
朝昼晩と甘い蒸しとうもろこし、焼きとうもろこしが大皿に俵積みで出されました。
(優しかったその伯父・伯母も今はとうに逝かれ、今では田舎の家屋・田畑の管理が
大変といとこから伝え聞きます)
後にアマル母から伯父の研究熱心さや作物作りの苦心を聞かされたことがあります。
仕事が農作物の品種改良(食味のより良いもの、対病性のより高いもの等々)をしていたようで
自分の畑でサツマイモは20種類以上、スイカも10種類以上試作を繰り返し研究してたそうです。
試作はそれだけだったわけではないでしょうけど。
毎年多くの農作物を作り試食していたため作物のどこを食べればその善し悪しが判断できたようで、
ほんとスイカなどは小さじの先端に果肉の一部をほんの少しすくって確かめるといったことだけで
判断してましたね。
でも広大な山林・田畑にいろいろな野菜・果物を作っていたことで(管理の目が行き届かず)
山奥にもかかわらずその野菜・果物を狙う泥棒も結構あったようです。
スイカやウリ、とうもろこしなどそろそろ収穫時期と目をつけておいたヤツがごっそり持って行かれたり
春先には竹林で一番柔らかくておいしい地上に芽を出す寸前(土が盛り上がった所)の若筍をごっそり
その竹林の一部に椎茸畑を作って肉厚の高級ドンコタイプの椎茸を育てていたのもごっそりやられたりと
ひどい目にもあっていたそうです。
そんなこんなの少年時代の贅沢な記憶故なのか...
スイカを1/8サイズで買って帰るなんて... みみっちい というか わびしいィ... というか。
てなことで、(ここ数年でうまい粉質のカボチャづくりのコツも会得できたので)
高騰したスイカに鑑み
来年は甘くて大きなスイカづくりに挑戦しはじめようかなと 思うのでした。
少年時代 この曲はアマル世代にも響きます。
みなさんご機嫌いかがですか?
先週はアマルの部屋の気温は37℃になり
その暑さでぐったり・無気力状態でした。
アマルはお盆休みに仕事をして
今週(一週間遅れで)夏休みを取っています。
しかし、暑いですねぇ
食欲も減退気味です。
(性欲は不思議なことに減退しないです。
猛暑の街中でもセクシーなお姉さんには目は無意識に止まります。)
来週あたりから
一雨ごとに秋めいていくらしいですが
どうなんでしょう。
アマル家の菜園も
夏野菜(カボチャ・キュウリ・オクラ)の収穫もそろそろ終え
(ナス・トマトはまだまだ採れます。秋ナス・鳴門金時は9月10月に採取)
秋野菜(大根・葉菜類)の種播きに備え畑作り(元肥・畝作り・マルチ掛け)を
はじめました。
一連の作業を終えると全身土埃と汗でぐしょぐしょです。
こう暑いと甘くてよく冷えたスイカをかぶりつきたくなります。
でも、スイカってなんであんなに高くなったの?
アマルの子どもの頃(昭和の時代)は100円玉一つで今の大玉クラスのものを
よく買って帰ったものなんだけど...
平成の時代になって核家族化で小口・小玉サイズが売れ筋になった?
生産者の減少?
スーパーなんかで大玉一個2,700円だ、3,500円だなんての見ると「じぇッ、じぇッ」って感じです。
でもって1/8カット、1/6カットされたものがワンコイン(500円玉)以下のお手頃価格で並んでたりするんだけど
個人的にはあのラインはちょっと寂しさを感じるんだよね。(最近は慣れてきたけど)
少人数(1人~4人)の家庭なら(お母さんや)女性が持って帰れるサイズで
切り分けるのも楽ってのがあるけど...
アマルにはなんか(豊かな時代になったハズなのに)つましさ感が浮かんじゃう。
というのもこんな思い出があるからかも...
アマルの少年時代
(どことなく陽水の“少年時代”のイメージに重なるところがあるんだけど)
毎夏、アマル母の実家である石川県能登(旧鳳至郡)の山奥で夏休みを過ごすことが多く
日中は綺麗な川に飛び込みゴリを採ったりヤマメを採ったり
森へ行けば、カブトムシ・クワガタ・オニヤンマ・ギンヤンマ・クロアゲハほか昆虫採取し放題
(田んぼや池でマムシが泳ぐ姿もよく見かけました。)
海へ行けば、岩場でウニを採ったりと都会の子が味わえない夏を満喫していました。
前に話たかな?
田舎の伯父(アマル母の兄)は農林試験所の所長で
いろいろな作物の品種改良に取り組んでいて
(アマル母の実家は元名主だったことから近隣の山々に田畑をいっぱい持っていました)
そこかしこの畑にいろいろな作物が育てられていました。
そんな中にスイカ畑もあり、
アマルがスイカが好きというと
伯父は朝畑から大玉のスイカを2個採ってきて家の裏にある冷たい湧水のたまり池に浮かべ
昼どきに大玉を1/4サイズに切り分け
その切り口の真ん中を小スプーン(小さじ)の先端にほんの少しだけすくい取り味見をするのでした。
そして一言「あんま甘くねぇなッ!」ともらした後、
「あんま甘くねぇけど食べるか?」とアマルに訊くのでした。
伯父さんが手をつけていない1/4サイズにカットされたスイカが3つもアマルの前に差し出され
小学生だった(都会っ子の)アマルは超ビックリ!
「これ全部食べていいの?」
「ええよッ。あんま甘くねぇけどなッ」
「ほんとッ?」と言って食べたら十分甘くてぶっ飛んじゃった。
伯父さん贅沢すぎるよぉ...
「伯父さん、こんなんで甘くないっていったらどんなの食べてんの?」と思わず訊いたら
ハハハッと笑って、甲子園の高校野球ラジオ中継に耳をやるのでした。
伯父は無類の野球好きで、プロ野球も高校野球もテレビ中継を観ながら、ラジオ中継も同時に聴いて
臨場感を味わうのが大好きな人でした。
とうもろこし(田舎では南蛮キビと称してました)でも同じことがあって
アマルがとうもろこしが好きだと云うと
朝昼晩と甘い蒸しとうもろこし、焼きとうもろこしが大皿に俵積みで出されました。
(優しかったその伯父・伯母も今はとうに逝かれ、今では田舎の家屋・田畑の管理が
大変といとこから伝え聞きます)
後にアマル母から伯父の研究熱心さや作物作りの苦心を聞かされたことがあります。
仕事が農作物の品種改良(食味のより良いもの、対病性のより高いもの等々)をしていたようで
自分の畑でサツマイモは20種類以上、スイカも10種類以上試作を繰り返し研究してたそうです。
試作はそれだけだったわけではないでしょうけど。
毎年多くの農作物を作り試食していたため作物のどこを食べればその善し悪しが判断できたようで、
ほんとスイカなどは小さじの先端に果肉の一部をほんの少しすくって確かめるといったことだけで
判断してましたね。
でも広大な山林・田畑にいろいろな野菜・果物を作っていたことで(管理の目が行き届かず)
山奥にもかかわらずその野菜・果物を狙う泥棒も結構あったようです。
スイカやウリ、とうもろこしなどそろそろ収穫時期と目をつけておいたヤツがごっそり持って行かれたり
春先には竹林で一番柔らかくておいしい地上に芽を出す寸前(土が盛り上がった所)の若筍をごっそり
その竹林の一部に椎茸畑を作って肉厚の高級ドンコタイプの椎茸を育てていたのもごっそりやられたりと
ひどい目にもあっていたそうです。
そんなこんなの少年時代の贅沢な記憶故なのか...
スイカを1/8サイズで買って帰るなんて... みみっちい というか わびしいィ... というか。
てなことで、(ここ数年でうまい粉質のカボチャづくりのコツも会得できたので)
高騰したスイカに鑑み
来年は甘くて大きなスイカづくりに挑戦しはじめようかなと 思うのでした。
少年時代 この曲はアマル世代にも響きます。
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