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昨日の夜中。
幼なじみ(♂)から、奥さんに「無事、男の子が産まれた!」という喜びのメール。
こちらも興奮して、「わあ、おめでとう!!
産後、Nちゃんお大事にね!」と返信して、じんわりしていたら。
仲良し(♀)から電話が。
・・・
留学中から現在まで、何くれとなく彼女がお世話になった方の、訃報でした。
ここしばらく、闘病生活が続き、海のこちら側で、彼女がいつも心配しているのを知っていました。
わたしに直接面識はなかったものの、そのお宅にお邪魔して奥様にもてなして頂いたことはあり、
あの穏やかなお家を思い出して、一瞬息が詰まりそうになりました。
電話のこちら側から、彼女に何もしてあげられない自分。
しばらくしゃくりあげた後、細やかな彼女は、気丈に「気を遣わせてごめんね」と言い、電話を切った。
・・・電話を切ったら、ぽつんとした気分になり、きっと彼女は、私以上にそんな気持ちを抱えているのだろうと思った。
出会いは喜びの中にあるから、その明るい光は、まばゆく、心を満たす。
周りにも、きらきらと伝播し、広がっていく。
別れは、・・・心のよりどころを失わせ、足元がふらつくような不安をよぶ。つらさは心の中にぎゅっとかたまり、黒い錘のようにとどまる。誰とも真には分かち合えない。
関係は、始めるから、終わりがある。
その苦さを何度も味わってきたけれど、死でもって終わってしまうことほど、自分を無力に感じることはない。
そして、そんな思いを味わったばかりの人間を潤す言葉なんて、ない。
でも、そんな言葉があればいいのにと思いました。
それは、別れた相手からしか、聞けないものかもしれないけれど。
「いっぱい泣いて、それからあったかいものを飲んで、寝るのよ。」
こうお願いするのが、精一杯。
(でも、守ってね?きっとMonsieurも、そうしないと悲しむよ。)
喜びを語り合う言葉は、あんなにあるのにね・・・。
幼なじみ(♂)から、奥さんに「無事、男の子が産まれた!」という喜びのメール。
こちらも興奮して、「わあ、おめでとう!!
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仲良し(♀)から電話が。
・・・
留学中から現在まで、何くれとなく彼女がお世話になった方の、訃報でした。
ここしばらく、闘病生活が続き、海のこちら側で、彼女がいつも心配しているのを知っていました。
わたしに直接面識はなかったものの、そのお宅にお邪魔して奥様にもてなして頂いたことはあり、
あの穏やかなお家を思い出して、一瞬息が詰まりそうになりました。
電話のこちら側から、彼女に何もしてあげられない自分。
しばらくしゃくりあげた後、細やかな彼女は、気丈に「気を遣わせてごめんね」と言い、電話を切った。
・・・電話を切ったら、ぽつんとした気分になり、きっと彼女は、私以上にそんな気持ちを抱えているのだろうと思った。
出会いは喜びの中にあるから、その明るい光は、まばゆく、心を満たす。
周りにも、きらきらと伝播し、広がっていく。
別れは、・・・心のよりどころを失わせ、足元がふらつくような不安をよぶ。つらさは心の中にぎゅっとかたまり、黒い錘のようにとどまる。誰とも真には分かち合えない。
関係は、始めるから、終わりがある。
その苦さを何度も味わってきたけれど、死でもって終わってしまうことほど、自分を無力に感じることはない。
そして、そんな思いを味わったばかりの人間を潤す言葉なんて、ない。
でも、そんな言葉があればいいのにと思いました。
それは、別れた相手からしか、聞けないものかもしれないけれど。
「いっぱい泣いて、それからあったかいものを飲んで、寝るのよ。」
こうお願いするのが、精一杯。
(でも、守ってね?きっとMonsieurも、そうしないと悲しむよ。)
喜びを語り合う言葉は、あんなにあるのにね・・・。
とても大きいと思います。
何かしてあげたい!と感じても、その悲しみの最中にいる人は
逆に言葉を必要とはしていない事が多いもの。
うんうんと言う相槌だったり、そっと背中に触れてくれる相手の手の温もり・・そう言うものを
無意識に求めているのかもしれません。
そして、友人はmiさんが、そんな風に感じる人だと分っている筈です。だから電話を掛けたのだと思います。
私は、人の命の始まりと終わりが渦巻く環境に身を置いて仕事をしています。「掛ける言葉がない」日々感じています。
人の痛みを感じ取り、もどかしく思う気持ちは 届いていると思います。言葉を超えて。
言葉で何かを語るより、物言わないままでも行動で気持ちを示すことが、悲しみに寄り添うことになるのなら、そうしてあげたい、と感じます。
日々そのようなことが重なるお仕事に就かれることの素晴らしさをあらためて思いました。
わたしの父も医師で、家であまり仕事のことを語りませんが、たまにぽつりと、ひとの心の重さを教えてくれることがあります。実感するのは、自分の身をもってしてではないとわからないものですが、そのような心構えで生きるひとたちに触れることで、自分のこころも鍛えて行きたいです。
その人が今まで占めていたその場所は、その人でしか埋められなくても、それでも残った人達は明日に歩いて行かなきゃならない。
残酷だとも思えるし、慈悲だとも思えます。
みんなが無頓着に生きてる毎日。
でもほんとはもの凄いことかもしれない。
そんな奇跡をあたりまえだと思わずに、大事に慈しんでいらっしゃるmiさん。
きっとお友達のかたもmiさんに話したことで、心の整理がついて、ほっとしたのではないでしょうか。
>誰かを亡くして、自分を支えてくれる存在がいかに大きかったかを知る。
>その人が今まで占めていたその場所は、その人でしか埋められなくても、それでも残った人達は明日に歩いて行かなきゃならない。
>
>残酷だとも思えるし、慈悲だとも思えます。
>
>みんなが無頓着に生きてる毎日。
>でもほんとはもの凄いことかもしれない。
うんうん。
こんな力に満ちた言葉を必要としているのは、他ならない当事者の友達だと思います。
ぜひ伝えてあげたいです。
(ね、●いじょ