京都『末富』当代、山口富蔵氏の講演。
北山の、表千家講堂にて。
“京都人講座”ともいえる趣のある、たいへん興味深いお話でした。
・お菓子と御菓子の違い
・おもちやはんとおまんやはんと菓子司の違い
・江戸好みの世界と、京好みの世界の違い
・御菓子の「銘」の重要性
・京都の「中心」と「田舎」
・御菓子において大切なもの
・御菓子の注文の仕方
・御菓子はどうやっていただくものか & お茶席での心得
・江戸と京の素材の違い
・お茶席での心得
・水屋での御菓子の扱い方
おおまかにこのようなテーマを、作り手の視点から渡り歩きながら、2時間。
最後には、『末富』当主みずからが、御菓子の代表格であるきんとんを壇上で実演くださいました。
それをこそ頂きたかったのですが、参加人数あまりに多くて、叶わず・・・。
きっと聴衆の目的はぴったり同じだったと思うのですが^^
『末富』さんは、京都の表千家、裏千家などのお茶会になくてはならない存在です。
裏千家お家元直々のお弟子さんであるお友達から、京都生活の最初に『塩芳軒』と共に重要処として教えて戴き、わたしも実際に仕事で使わせていただいたりしました。
細やかに注文を聞いてくださり、たいへん丁寧な菓子司という印象です。
なにより、美しく、おいしい。
しかし、一点一点丁寧に手作りするため、注文する側にも、マナーが求められます。ちょっと苦言、というか、ご当主の本音が混じりつつのお話でした。
以下、テーマごとのお話をまとめ記録しておきます。
・お菓子と御菓子の違い
かつて砂糖は薬屋が売っているものでした。『ぶす』という狂言もあります通り、昔は大変珍しい存在でした。
お菓子という存在、名称が生まれたのは明治時代から。
一方で、御菓子は公家が存在した時代から存在した古い歴史を持つもので、一般に「和菓子」と呼ばれるものです。和菓子を作る「菓子司」は、公家の存在した時代、その御用聞きとして役割を担い始めました。
今でも、茶会の御菓子を作るというのが、菓子司のいちばん大きな役割です。
小腹がすいたから、口寂しいから、と手に取るものをお菓子と呼ぶなら、御菓子は、もてなしの心を形にしたものです。かつて、遠来からの友を貴重な甘いものでもてなす貴族の文化でした。
・おもちやはんとおまんやはんと菓子司の違い
この3つは、違うものです。餅は餅屋、がおもちやはん。おまんやはんは、おやつをつくるところ。公家からの注文を受けて作られる京菓子と呼ばれるものが、菓子司のものです。
京で作るから京菓子なのか、というと、どうやら平安時代、砂糖は京都にしかなかったようです。京都でしか、甘い菓子は作れなかったのです。
・江戸好みの世界と、京好みの世界の違い
江戸のお菓子は、かつて塩味しかなかったと私は確信しております。
「伊勢の赤福」も、砂糖が外国から豊富に手に入るようになってから(※現在日本の砂糖はほとんどが輸入だそうです)、塩味から砂糖味に変わりました。
京の御菓子に塩は入っていませんが、東京の甘味には必ず塩が入っています。塩味の菓子しかなかった時代の名残ではないかと考えています。
また味のみならず、色彩感覚も江戸と京では大いに違います。
江戸では輪郭のはっきりした色と形、具象性・写実性が好まれます。浮世絵と錦絵の影響が大きいためと思います。現代の東京でも、原色や単純な色、細かく考えない色が好まれます。
一方、京では、「はんなり」という言葉の通り、色合いの調和が色であり、自然の風光をかたちにしたような、抽象性・象徴性が、美として好まれます。私は、空気の色が、京都と東京では違うと思っています。「霞たなびく」・・・この「霞」は、私の考えでは、京都にしかありません。ただ先日、「それは黄砂や」と人からたしなめられましたが。
御菓子の形を明確にしないことにより、その余白を愉しむ。御菓子の姿を山や風や花に「見立てる」という姿勢が茶の愉しみ方です。想像の余地を広く持たせるのです。この色彩感覚は、やまと絵や琳派の世界が元になっていると思います。かさねの色目など、衣装文化にも繋がっています。
実際に、たとえば、東京で売れる和菓子は、桜の季節なら、桜の花びらが具体的に型抜きされたものが人気です。京都の感覚では、その具象性は粋ではありません。丸描いてちょん、のようなおおらかな形のきんとんが、薄い桜色、というところから、桜の咲く景色を、各人、好きに想像して楽しむのです。
なぜなら、桜というのはいろいろある。吉野の桜、丸山の桜、嵐山の桜・・・、景色により全て異なる趣だから、「これが桜」とひとつに限定できないのです。
・御菓子の「銘」の重要性
このように、抽象的なかたちだからこそ、「銘」つまり御菓子には名前が重要です。
しかし、御茶会の直前に、水屋から、「この銘、何やったかいな!」と電話してくるのはやめてください。御菓子は、茶会の主が決めたテーマの重要な小道具です。同じ御菓子の名前が茶会ごとに変わってもよい、茶会の想像遊びを盛り上げるものが御菓子の名前なのですから、好きに名付けて下さってこちらは全然構わないのです。
むしろ、主の茶会の御用聞きをするのが菓子司です。テーマを伝えてくださることが、注文されるときに一番重要なこととなります。
銘をつけるとき私は、歳時記、万葉集、源氏物語、伊勢物語、古今集、新古今集、百人一首、西行、奥の細道、などを季節の辞典として、手元でいつも引いております。
・京都の「中心」と「田舎」
京都はなぜこのように口うるさく、同時に曖昧におおらかなものを好むのか。それは京都が狭いからです。どれくらい狭いかというと、「京のみやこ」は、北はここ北山、南は今出川(←?!)、西は堀川、東は東山までです。あとは田舎です。あちらで抗議してはりますが、本当です。
狭いから、心遣いが大事なのです。ある共通認識、約束の世界が、暗黙の了解で存在します。表でいい顔して裏で舌出してる、っていうのは日常のことです。今その話で笑ってはる方は、そういう目に人を遭わせながら、自身も痛い目に遭ってきた方やと、思います。
・御菓子において大切なもの
御菓子は季節感です。季節感とは何か?というと、期待感です。西洋でいうところの、Spring has come.ではありません。もう来てしまった春ではなく、これから来る春への期待感が御菓子になるのです。京の季節のうつろいゆくさま、それを御菓子の抽象的なかたちから読み取り、茶会で亭主に伝えるのが、大切なことです。
・御菓子の注文の仕方
「銘」の話と少し重複しますが、コンセプトを明確に伝え、自分の「想い」を菓子屋と共に作り上げてください。菓子屋任せにしないでください。菓子屋は、亭主と一緒に茶会の世界観を創るつもりでおります。
注文するときは、ものによっては多めが望ましいです。たとえば、黒糖のあんこなどは、少量の材料では作れないため、資源のむだを減らしたいと思います。人数や内容を事細かに伝え、相談を密にして頂きたいと思います。無茶をいわず、コミュニケーションを持つことで、こちらも最良最高のものを作る気概が湧きます。
趣向、目的、お客様の人数、時間、器の色、大きさ、深さもお知らせください。
また、突然連絡してきて、急な注文をして、さらに「届けてくれ」というのは常識にかないません。無茶な注文をするシーンでは、「すまんな、取りに行きますし」という一言・姿勢がお互いを気持ちよくするのではないでしょうか。
・御菓子はどうやっていただくものか & お茶席での心得
京の御菓子は、色彩豊かです。しかも天然色素しか使いません。緑などは特に珍しいものです。世界屈指と言われており、フランスの菓子職人も驚きます。唯一、「黒」という色が存在しないことが、意外かもしれませんので申しておきます。小豆のあの色も、黒ではありません。蘇芳色と呼ばれたりします。
香りもつけません。柚子やヨモギの天然素材の香りが残ることはあります。飲む御茶とぶつかるため、色素にお茶は使いません。
また「お取り寄せ」などが流行っていますが、疑問に思います。旬のものをしかるべき場所でだけ口にする、という季節感が大切だと考えておりますので、大がかりな配送をしたくありません。たくさん作ることを善しとしません。手作りの面白さ、ひとつずつ異なる面白さ、無作為の美学というものを大切に考えております。
そのような、無作為の美を、京では「茶がある」という言い方をしたりします。
そういう思いで一つ一つ作っておりますので、口にするときは、まず懐紙に取り上げて「美」を楽しんでください。特に、お干菓子は、良く眺めて、口に入れてください。自分なりの「絵」を思い描いて、御菓子の世界を味わってください。懐紙に包んでそのまま持って帰らはる人がいますが、一番失礼なことです。
また、一人ずつ異なる御菓子が渡った場合、「あんたの、どんな味」と分け合う人がいますが、これも見苦しいので、ご遠慮ください。
まんじゅうは、手で割って、あんこの色を鑑賞してから、口へ入れてください。あんこが大事です。
餅は、皮とあんがばらばらになりやすいので、楊枝と指をさりげなく使ってください。指で御菓子を押さえながら楊枝で切ります。
わらび餅などは、粉を皮につけてから、口に運んでください。
葛まんじゅうは特に皮と中身が外れやすいので、大きく切って口へ入れてください。
上用饅頭の場合、焼印の文様を味わうのも忘れてほしくないと思います。
・江戸と京の素材の違い
京独特の御菓子に「コナシ」があります。東京では、「ネリキリ」になりますが、ネリキリがさっくりしているのに比べ、コナシはむっちりしています。
・水屋での御菓子の扱い方
きんとんは、その日のうちに召し上がっていただくことが大前提ですが、遅い時間の御茶席の場合は、3時間くらいまえに霧吹きでしめらせるとツノの元気が失われません。冷蔵庫は使わないでください。「ひんやり」の温度の目安は、井戸水の温度です。
水屋当番さんがきんとんを扱う場合は、箸で斜め上から刺して運ぶと、崩れず運びやすいです。
器の大きさ・深さを事前に詳細にお知らせ頂くことで、こちらであらかじめ、積みやすく、取りやすくセットできます。
お話は以上で、あとはスライド、
そして実演できんとん(top画像のものに似ていました)を作ってくださいました。
講演のあとは、お茶とお菓子を頂いて帰宅しました。
末富の御菓子の秘密につきましては、最近本も出されたそうなので、ご参考まで。(↓画像クリックでamazonにとびます)
みやことイナカの境界線をバッサリきっぱりと限定なさったのには驚きましたし、
(せめて南は四条までくらいいいんではないかと感じるけれど・・・)
こんな職人気質のご当主が割とゴルフを趣味になさっているらしいことも新鮮でした。
あと、震災の時も、関東と関西はまったく違う国なんじゃないかと感じたのですが、やっぱり、違う国だとあらためて思いました。人間のメンタルが違う。
ところで現代では、憲法で「貴族」という存在が【禁止】されているそうです。(憲法第14条)
公家が存在しないのだから、茶道の家元を「公家」とみなしてお仕事を続けていることになりますが、その感覚が、わたしには意外な切り口でした。
いにしえを懐かしみ大切にする心が、こんな伝統の技を護っています。
北山の、表千家講堂にて。
“京都人講座”ともいえる趣のある、たいへん興味深いお話でした。
・お菓子と御菓子の違い
・おもちやはんとおまんやはんと菓子司の違い
・江戸好みの世界と、京好みの世界の違い
・御菓子の「銘」の重要性
・京都の「中心」と「田舎」
・御菓子において大切なもの
・御菓子の注文の仕方
・御菓子はどうやっていただくものか & お茶席での心得
・江戸と京の素材の違い
・お茶席での心得
・水屋での御菓子の扱い方
おおまかにこのようなテーマを、作り手の視点から渡り歩きながら、2時間。
最後には、『末富』当主みずからが、御菓子の代表格であるきんとんを壇上で実演くださいました。
それをこそ頂きたかったのですが、参加人数あまりに多くて、叶わず・・・。
きっと聴衆の目的はぴったり同じだったと思うのですが^^
『末富』さんは、京都の表千家、裏千家などのお茶会になくてはならない存在です。
裏千家お家元直々のお弟子さんであるお友達から、京都生活の最初に『塩芳軒』と共に重要処として教えて戴き、わたしも実際に仕事で使わせていただいたりしました。
細やかに注文を聞いてくださり、たいへん丁寧な菓子司という印象です。
なにより、美しく、おいしい。
しかし、一点一点丁寧に手作りするため、注文する側にも、マナーが求められます。ちょっと苦言、というか、ご当主の本音が混じりつつのお話でした。
以下、テーマごとのお話をまとめ記録しておきます。
・お菓子と御菓子の違い
かつて砂糖は薬屋が売っているものでした。『ぶす』という狂言もあります通り、昔は大変珍しい存在でした。
お菓子という存在、名称が生まれたのは明治時代から。
一方で、御菓子は公家が存在した時代から存在した古い歴史を持つもので、一般に「和菓子」と呼ばれるものです。和菓子を作る「菓子司」は、公家の存在した時代、その御用聞きとして役割を担い始めました。
今でも、茶会の御菓子を作るというのが、菓子司のいちばん大きな役割です。
小腹がすいたから、口寂しいから、と手に取るものをお菓子と呼ぶなら、御菓子は、もてなしの心を形にしたものです。かつて、遠来からの友を貴重な甘いものでもてなす貴族の文化でした。
・おもちやはんとおまんやはんと菓子司の違い
この3つは、違うものです。餅は餅屋、がおもちやはん。おまんやはんは、おやつをつくるところ。公家からの注文を受けて作られる京菓子と呼ばれるものが、菓子司のものです。
京で作るから京菓子なのか、というと、どうやら平安時代、砂糖は京都にしかなかったようです。京都でしか、甘い菓子は作れなかったのです。
・江戸好みの世界と、京好みの世界の違い
江戸のお菓子は、かつて塩味しかなかったと私は確信しております。
「伊勢の赤福」も、砂糖が外国から豊富に手に入るようになってから(※現在日本の砂糖はほとんどが輸入だそうです)、塩味から砂糖味に変わりました。
京の御菓子に塩は入っていませんが、東京の甘味には必ず塩が入っています。塩味の菓子しかなかった時代の名残ではないかと考えています。
また味のみならず、色彩感覚も江戸と京では大いに違います。
江戸では輪郭のはっきりした色と形、具象性・写実性が好まれます。浮世絵と錦絵の影響が大きいためと思います。現代の東京でも、原色や単純な色、細かく考えない色が好まれます。
一方、京では、「はんなり」という言葉の通り、色合いの調和が色であり、自然の風光をかたちにしたような、抽象性・象徴性が、美として好まれます。私は、空気の色が、京都と東京では違うと思っています。「霞たなびく」・・・この「霞」は、私の考えでは、京都にしかありません。ただ先日、「それは黄砂や」と人からたしなめられましたが。
御菓子の形を明確にしないことにより、その余白を愉しむ。御菓子の姿を山や風や花に「見立てる」という姿勢が茶の愉しみ方です。想像の余地を広く持たせるのです。この色彩感覚は、やまと絵や琳派の世界が元になっていると思います。かさねの色目など、衣装文化にも繋がっています。
実際に、たとえば、東京で売れる和菓子は、桜の季節なら、桜の花びらが具体的に型抜きされたものが人気です。京都の感覚では、その具象性は粋ではありません。丸描いてちょん、のようなおおらかな形のきんとんが、薄い桜色、というところから、桜の咲く景色を、各人、好きに想像して楽しむのです。
なぜなら、桜というのはいろいろある。吉野の桜、丸山の桜、嵐山の桜・・・、景色により全て異なる趣だから、「これが桜」とひとつに限定できないのです。
・御菓子の「銘」の重要性
このように、抽象的なかたちだからこそ、「銘」つまり御菓子には名前が重要です。
しかし、御茶会の直前に、水屋から、「この銘、何やったかいな!」と電話してくるのはやめてください。御菓子は、茶会の主が決めたテーマの重要な小道具です。同じ御菓子の名前が茶会ごとに変わってもよい、茶会の想像遊びを盛り上げるものが御菓子の名前なのですから、好きに名付けて下さってこちらは全然構わないのです。
むしろ、主の茶会の御用聞きをするのが菓子司です。テーマを伝えてくださることが、注文されるときに一番重要なこととなります。
銘をつけるとき私は、歳時記、万葉集、源氏物語、伊勢物語、古今集、新古今集、百人一首、西行、奥の細道、などを季節の辞典として、手元でいつも引いております。
・京都の「中心」と「田舎」
京都はなぜこのように口うるさく、同時に曖昧におおらかなものを好むのか。それは京都が狭いからです。どれくらい狭いかというと、「京のみやこ」は、北はここ北山、南は今出川(←?!)、西は堀川、東は東山までです。あとは田舎です。あちらで抗議してはりますが、本当です。
狭いから、心遣いが大事なのです。ある共通認識、約束の世界が、暗黙の了解で存在します。表でいい顔して裏で舌出してる、っていうのは日常のことです。今その話で笑ってはる方は、そういう目に人を遭わせながら、自身も痛い目に遭ってきた方やと、思います。
・御菓子において大切なもの
御菓子は季節感です。季節感とは何か?というと、期待感です。西洋でいうところの、Spring has come.ではありません。もう来てしまった春ではなく、これから来る春への期待感が御菓子になるのです。京の季節のうつろいゆくさま、それを御菓子の抽象的なかたちから読み取り、茶会で亭主に伝えるのが、大切なことです。
・御菓子の注文の仕方
「銘」の話と少し重複しますが、コンセプトを明確に伝え、自分の「想い」を菓子屋と共に作り上げてください。菓子屋任せにしないでください。菓子屋は、亭主と一緒に茶会の世界観を創るつもりでおります。
注文するときは、ものによっては多めが望ましいです。たとえば、黒糖のあんこなどは、少量の材料では作れないため、資源のむだを減らしたいと思います。人数や内容を事細かに伝え、相談を密にして頂きたいと思います。無茶をいわず、コミュニケーションを持つことで、こちらも最良最高のものを作る気概が湧きます。
趣向、目的、お客様の人数、時間、器の色、大きさ、深さもお知らせください。
また、突然連絡してきて、急な注文をして、さらに「届けてくれ」というのは常識にかないません。無茶な注文をするシーンでは、「すまんな、取りに行きますし」という一言・姿勢がお互いを気持ちよくするのではないでしょうか。
・御菓子はどうやっていただくものか & お茶席での心得
京の御菓子は、色彩豊かです。しかも天然色素しか使いません。緑などは特に珍しいものです。世界屈指と言われており、フランスの菓子職人も驚きます。唯一、「黒」という色が存在しないことが、意外かもしれませんので申しておきます。小豆のあの色も、黒ではありません。蘇芳色と呼ばれたりします。
香りもつけません。柚子やヨモギの天然素材の香りが残ることはあります。飲む御茶とぶつかるため、色素にお茶は使いません。
また「お取り寄せ」などが流行っていますが、疑問に思います。旬のものをしかるべき場所でだけ口にする、という季節感が大切だと考えておりますので、大がかりな配送をしたくありません。たくさん作ることを善しとしません。手作りの面白さ、ひとつずつ異なる面白さ、無作為の美学というものを大切に考えております。
そのような、無作為の美を、京では「茶がある」という言い方をしたりします。
そういう思いで一つ一つ作っておりますので、口にするときは、まず懐紙に取り上げて「美」を楽しんでください。特に、お干菓子は、良く眺めて、口に入れてください。自分なりの「絵」を思い描いて、御菓子の世界を味わってください。懐紙に包んでそのまま持って帰らはる人がいますが、一番失礼なことです。
また、一人ずつ異なる御菓子が渡った場合、「あんたの、どんな味」と分け合う人がいますが、これも見苦しいので、ご遠慮ください。
まんじゅうは、手で割って、あんこの色を鑑賞してから、口へ入れてください。あんこが大事です。
餅は、皮とあんがばらばらになりやすいので、楊枝と指をさりげなく使ってください。指で御菓子を押さえながら楊枝で切ります。
わらび餅などは、粉を皮につけてから、口に運んでください。
葛まんじゅうは特に皮と中身が外れやすいので、大きく切って口へ入れてください。
上用饅頭の場合、焼印の文様を味わうのも忘れてほしくないと思います。
・江戸と京の素材の違い
京独特の御菓子に「コナシ」があります。東京では、「ネリキリ」になりますが、ネリキリがさっくりしているのに比べ、コナシはむっちりしています。
・水屋での御菓子の扱い方
きんとんは、その日のうちに召し上がっていただくことが大前提ですが、遅い時間の御茶席の場合は、3時間くらいまえに霧吹きでしめらせるとツノの元気が失われません。冷蔵庫は使わないでください。「ひんやり」の温度の目安は、井戸水の温度です。
水屋当番さんがきんとんを扱う場合は、箸で斜め上から刺して運ぶと、崩れず運びやすいです。
器の大きさ・深さを事前に詳細にお知らせ頂くことで、こちらであらかじめ、積みやすく、取りやすくセットできます。
お話は以上で、あとはスライド、
そして実演できんとん(top画像のものに似ていました)を作ってくださいました。
講演のあとは、お茶とお菓子を頂いて帰宅しました。
末富の御菓子の秘密につきましては、最近本も出されたそうなので、ご参考まで。(↓画像クリックでamazonにとびます)
みやことイナカの境界線をバッサリきっぱりと限定なさったのには驚きましたし、
(せめて南は四条までくらいいいんではないかと感じるけれど・・・)
こんな職人気質のご当主が割とゴルフを趣味になさっているらしいことも新鮮でした。
あと、震災の時も、関東と関西はまったく違う国なんじゃないかと感じたのですが、やっぱり、違う国だとあらためて思いました。人間のメンタルが違う。
ところで現代では、憲法で「貴族」という存在が【禁止】されているそうです。(憲法第14条)
公家が存在しないのだから、茶道の家元を「公家」とみなしてお仕事を続けていることになりますが、その感覚が、わたしには意外な切り口でした。
いにしえを懐かしみ大切にする心が、こんな伝統の技を護っています。
京菓子の事、もう一度ゆっくり読み直してみますね~
ウチのお隣にお住まいの方がお茶の先生をしていらして、時々庭越しに「御菓子」を頂きます。お菓子をあまり食べない私ですが、御菓子はいいですね~(これでいいのですね、、)抹茶も大好きですが、好みの抹茶になかなか出会えません。
去年秋から息子が神戸に一人住まいを始めました。東京の学生ですが、研究室だけが、神戸に移転の為です。そのせいか、何かと最近は西の事も自然と知りたくなりました。
神戸と京都はまた違いますが、、でも東京・鎌倉とは違う世界なのです・・
違った文化を知り、深めて行く楽しさが伝わって来ます。
コメントに書き切れないのですが、、とっても勉強になりました。改めて読んでみますね。
これから、こちらのサイトで色々と学ばさせて頂きます。
ところで、先ほどロズレー・ド・ライの投稿をしていて、miさんの事を思い出しました。どんな風に育っているかしら?
1か月以上もこちらを開いておらず、お返事こんなに遅れましたこと、深くお詫び申し上げます。
ほんとうに失礼いたしました。
拙い講演録ですが、parelliさまの優雅な暮らしに少しでもお役に立てましたら嬉しいです。
神戸のご子息と会われるついでに、ぜひ京の御菓子やさんへも寄られてくださいませ。
きっと、お好みのはんなり優雅なかたちにたくさん出会われることと思います。そして、そのご感想がとても楽しみです。
また、薔薇の素敵な画像で今年もこころ潤わせてくださり、ありがとうございます!
mi