Belle Epoque

美しい空間と、美しい時間

愛されるメールの書き方。

2011-01-30 | vie... kurashi
周りの女性たちにはメールの絶妙に上手な方が数々います。
かねてからの友人たちはもちろん、他には夫の友人の奥様だったり、仕事を通じて知り合った方だったり。
ふだん頻繁に交流があるわけではなくてたまにご連絡を下さる、ということを通してことさらに感じるのだけど、概して印象が良い方は、そのタイミングが実にイイ。内容も簡潔ですっきり。
気負わせないお気遣いに触れると、嬉しく、感心してしまいます。

古来より手紙は重要な交流ツールでした。手紙の才覚で、人生の大きなことが決まっていった。
現代でも、いろんなバリエーションを採りつつもそれは健在で、
相手の心に届く、
・的確なタイミング
・的確な内容
・的確な字数
・的確な文章 が組み合わさったe-mailや手紙は、小さいようで大きなことの決め手となっていると思います。

文法が正しいとか、難しい言葉が使えるとか、そういう並以上の「言語の技術」はこの際全然関係なく、むしろ、そういうところに自信がある人は肝心なところを外してしまったりします。
自分の正しさを証明しようとしているメールも、痛々しいものがあります。相手目線が欠けているから。
空気を読めているか、相手を尊重しているか、がメールを差し上げるときお互いにとって有益な結果となる、大前提です。

その人の仕事が素晴らしいから、あたまがいいから、人に愛されるわけではない。
他人をいかに「その人が望むように」気にかけているか が、人付き合い上手なのだと思います。

「その人が望むように」というのが実は最大のポイントで、求められていない親切はお節介とよばれ、せっかくの善意が「独り善がり」のレッテルを貼られてしまい、報われないばかりか迷惑がられたりして、つらいことになってしまいます。

また楽観姿勢もポイント。個人的にですが、久々の便りで「寒いですがかぜをひかないように」などといわれるのは実は苦手です。
「先日のかぜの具合は、その後だいじょうぶですか」なら、嬉しいけれど。
微妙なところですが、まだひいてもいないかぜ(と、それにまつわる不便さ)を先手うって匂わせるのは、不吉な感じがします。もしかして、元気にがんばるぞ!と張り切っているときかもしれない時に、なってもいない病気の心配をされると、いい気持ちにはならない・・・
ご機嫌伺いの書面には、明るい印象の文字だけを載せるほうが、温かい光を感じさせます。


季節折々に、お元気ですか、と、ほとんど「意味のない」(ここも大事)、軽やかに簡素な連絡がふいにくる。
その爽やかなタイミングが毎回嬉しい不意打ちだったら、素晴らしい。

御礼の類はもちろん、年末年始・季節の変わり目、の、季節の便りのタイミング以外にさらにプラスして、そうした義務感の漂わない挨拶をする女性たちは、満ち足りた幸せな暮らしをしているように思います。
「そんなの、めんどくさ」ともし思うなら、周りも、その人を「めんどくさ」く思うことがあるはずです。幸せは、他人へ尽くした分が返ってくるものだから。わたしのように、「やりたくても、うまくタイミングを計れない」ぶきっちょさんもいると思いますが。
日々のそのゆとりが幸せのお裾分けとなって他人へ渡るのか、
他人へ幸せを届けるから、自分へも幸せが返ってくるのか。
おそらくその両方のところで、幸福な循環が行なわれているのだろうと思います。

と、そんな女性たちから菫の小さな花束のようなご連絡を頂くたびに、勝手な想像までしてしまうわたしです。



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