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河瀬直美監督作品の ' 07年の映画 『 殯の森 』 ( もがりのもり )
を、やっと、ついに!家で、見ました!!
河瀬直美監督が、映画『 萌の朱雀 』で、カンヌで、最年少で新人監督賞を、
受賞されたことを、ニュースで知って、はじめて、河瀬直美監督を、知りました。
映画『 萌の朱雀 』も、この『 殯の森 』も、前から、ずっと、「見たい!」
と思っていたのですが、やむを得ぬ事情で、映画館で、見ることを、断念し、
家で、DVDで、見ることができました。
【 ※ 以下の文に、この映画のネタばれが、
含まれています。ご注意を!! ※ 】
うだ しげきさん、尾野真千子さん、主演の、この映画『 殯の森 』を、
見終わって、感じたこと、それは…
この、二人の「生きてきた」人生と、自分の「生きてきた」人生とが、
シンクロするように、感じて、まるで、私が、この映画の中に、
入り込んでしまって、この主人公を、「生きてきた」ようになって、
どっと涙が、溢れてきて…
画面の前で、しばらく、うずくまって、動けないでいました…
ちょっと…言葉に…表せない感じですね…。
まだ、見終えたばかりで、この映画の印象が、まだ、強く、心の中に、
残っていて… 今、ちょっと、深呼吸しています
映画を、見終えて、こんなふうになったこと、今まで、いろんな映画を、
見てきましたが、この映画が、はじめて、ですね…。
そのくらい、私にとって、強い影響を、与えられた、作品です!!
「あやまんなくて、いいよ。 誰も、なんにも、わるくない」
「こうせな、あかん、てこと、ないから」
という言葉に、救われた気がしました。私も、誰かに、言ってほしいなあ…
「生きる」ということ、そして、
ずっとそばにいた、大事な人が、「亡くなる」ということ、
について、あらためて、考えさせられました。
これらのことは、私にとって、とても、身近なこと、なのです…。
この映画に、出てくる、「しげきさん」と「真千子さん」が、
私には、他人事に、思えないんですよね…。
しげきさんの抱えている「痛み」も、真千子さんの抱えている「痛み」も、
とても、よくわかります…
すみません。また、涙が溢れてきて、ちょっと…書くことができません
この映画『 殯の森 』は、できれば、映画館で、見るべき作品だと
思います(映画『 萌の朱雀 』も、そうですが)!!
そして、いろんな人に、見てもらいたい!と思う、映画です!!
最後に… 森の奥深くにあった、地の底に、その根を、深くおろしている
であろう、幾年もの長い間、風雨に耐え続けて、生きてきた、壮大な木が、
かつての姿とは、変わっても、今も、なお、力強く、そこにあって、
もの言わずとも、その姿だけで、見る者に、語りかけてくるようでした…
山々や、そこに、かかる、朝もやのような雲、森の中の木漏れ日、せせらぎの
流れ、など、日本の自然の姿が、とても美しくて、また、その自然の中でしか、
聴くことのできない、風の音、水の流れる音、雨の音、鳥の鳴き声、
静寂の無の音、などが、しぜんと、身と心を、癒してくれました
時に、厳しく、その姿を、変えていく、自然は、人の一生を、象徴しているか
のようでもありました…
「わたしら、生きてるのやろな…」
映画 『 殯の森 』 公式ホームページ
この映画を見て、思い出したこと、それは…
もう、ずっと昔に、亡くなった、私の大好きだった、おばあちゃんとの思い出、
です。
おばあちゃんに、「会いたい」と思いました。でも、私の子供たちのことを、
知ったら、きっと、ショックを受けるに違いない、と思うと、やっぱり、
「会うことができない」と思いました…
まだ、認知症になる前の、少し老いが進んできた、おばあちゃんを、
母が、田舎の家から、引き取り、しばらく、一緒に、暮らしました。
家から、少し離れた公園に、桜が、満開に咲いていて、どうしても、
おばあちゃんに、見せたくて、年老いた、おばあちゃんが、歩くには、
少し遠かったけれど、それでも、「見たい」とおばあちゃんが、言って、
私と手を、つないで、一緒に、がんばって歩いてくれて、やっとの思いで、
公園に、たどり着くことが、できました。
その、満開の桜を、見た時に、おばあちゃんが、
「やっぱり、連れてきてくれて、良かった。こんなに、きれいなところが
あったんだいなあ」と、嬉しそうに、桜を、眺めていた姿が、今でも、
浮かんできます
満開の桜と一緒に、おばあちゃんの写真を、たくさん、撮りました
「おばあちゃーん!笑ってー!!」と言うと、私が、おばあちゃんの、白髪の
まとめ髪に、桜の花を、飾ったのが、恥ずかしくて、はにかんだように、
笑顔を、見せてくれました
それから、ずっと、後になって、この時に撮った写真が、おばあちゃんの遺影に、
なりました…。たくさんの、おばあちゃんの写真の中から、おばあちゃんが、
笑顔だったのは、この時の写真、一枚だけ、でした…
おばあちゃんは、昔の人だったから、写真を撮る時に、「笑顔を作る」という
ことに、慣れていなかったのです…。
それに、おばあちゃんの人生は、私が知っている限りでは、
常に、苦難な道を、歩んできたために、その深いしわに、悲しみが、
刻まれているようでした…
読んでくれて、ありがとうです
それでは、また。。。
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