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大好きな、地元の J リーグチーム、大宮アルディージャの、
斉藤 雅人 ( さいとう まさと ) 選手が、
2009シーズン限りで、引退されることになりました。
そして、2010シーズンより、 U - 12 コーチへ、就任されることになりました。
埼玉県出身の、 MF 15番 斎藤 雅人 選手は、埼玉県民なら、誰もが憧れる、
名門校、武南高校のご出身で、駒沢大学を卒業されて、
1998年に、まだ、 JFL だった、大宮アルディージャへ、入団されました。
翌年の1999年に、 J2 に昇格し、その7年後の、2005年に、念願の J1 昇格を果たし、
2009年に、引退されるまでの、12年間にわたり、ご活躍されました !
斎藤選手、素晴らしいプレーを、見せてくれて、
長い間、本当に、ありがとうございました !!
川本 梅花 さんは、 『 サッカー批評 』 ( 双葉社 )、 『 フットボリスタ 』 ( ソル ・ メディア )、
WEB サイト 「 スポーツナビ 」などで、執筆をされている、新進サッカーライターです。
著書に、 『 大宮アルディージャの反逆 』 ( 出版芸術社 ) があります。
長年にわたり、大宮アルディージャを、見つめ続けてきた、
サッカーライター、川本 梅花 さんによる、
2009シーズンを、最後に、大宮アルディージャを、そして、サッカー選手を、引退される、
斎藤 雅人 選手について、素晴らしい記事が、書かれてあります
川本梅花 のブログ版 「 フットボールのアフォリズム 」 斎藤雅人の引退に寄せて(1)~(3)
わたしは、大宮アルディージャが、まだ、 J2 だった頃、まだ、改装される前の、
大宮公園サッカー場 ( 現 ・ NACK5スタジアム ) と呼ばれていた、
あの、懐かしい、サッカー場で、まだ、赤ちゃんだった、おちびたちを、おぶって、
大宮アルディージャの試合を、見に行ったのが、最初でした。
当時の大宮公園サッカー場は、ゴール裏は、芝生で ( バックスタンドも?? )、
メインスタンドのみ、席がありました。 確か … ^ ^;
当時は、数えるほどしかいなかった、応援団の方々が、ゴール裏で、一生懸命、応援していました。
わたしは、赤ちゃんが、泣かないように、必死で、あやしていて、応援どころか、観戦も、ままならないでいました。
ガラガラのメインスタンドの、前のほうに、座って、観戦していた人たちが、とても、うらやましかったです。
それでも、時々、ちらっとですが、生の試合を、見ることができて、とても、うれしかったですね ~ !
大宮公園サッカー場は、わたしが子供の頃から、ずっと、憧れていた場所でした。
「 いつか、きっと、あの中に、入って、サッカーの試合が、見たいなあ 」
大宮公園に来て、遊んだあとには、必ず、閉ざされていた、サッカー場へ、行って、
幼い心に、そう思って、しばらく、眺めていました。
それから、月日が経ち、わたしの夢が、叶ったのです!
憧れていた、サッカー場に、ホームチームができて、試合を、生で見ることができて、
ものすごい、うれしかったですね。
ガラガラのメインスタンドの、いちばん上の隅っこで、赤ちゃんを、おんぶしながら、
しぜんと、涙が、溢れていました … 。
そして、大宮アルディージャの応援グッズ T シャツを、親子で着て、 ナクスタへ、
応援しに行くようになりました。
テレビを、地デジに、買い替えてから、テレ玉 ( テレビ埼玉 ) が、見られるようになり、
先日、大宮アルディージャの番組、 「 Ole!アルディージャ 」 を、はじめて見ました!
斎藤 雅人 選手の特集番組が、放送されていました。
斎藤選手の今までの名場面集を、見ていて … 感動して、涙が、止まりませんでした。
「 まさ さいとう ~! まさ さいとう ~! ( くり返しです ) 」 という、
斎藤選手の応援歌を、何度も、大声で、歌いました。声が、枯れるまで ・ ・ ・
あの感動は、いつまでも、わたしの心に、残っていくことでしょう
大宮アルディージャ タオルマフラーです。
06シーズンに、完封勝ちしたときのチケットを、お守りのように、だいじに、
応援しに行くときは、必ず、パースケースに入れて、もっていっています(^-^)
ナクスタのカテ3は、屋根がないので、レインコートは、応援に行くときの、必需品です。
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読んでくださり、ありがとうございます
それでは、また。。。