70代主婦の糖尿病日記~付録として京都つれづれ~

高齢に達した70代主婦が糖尿病に!
悪戦苦闘の毎日を、京都四季折々と共に記します

年寄りは猫を飼うな!

2024-09-15 13:50:24 | 日記
残暑バテなのか
最近体がしんどい~~

頭が痛く 微熱があり 食欲が落ち なのに夜はぐっすり眠れない・・・

年寄りあるあるだなぁ

ところで
それ以上にもっとへこんだことがあって・・・

さる方から遺棄された猫をもらわないか
との申し出が・・・
実は私と夫はかねがね今度は黒猫を飼いたいなあ~
と思っていたところ
何と それが黒猫
私達は久しぶりにワクワクしていたけれど・・・・・・

息子夫婦 特にお嫁が怒り心頭に
何かあってその猫を押し付けられたらとても困ると

つまり私達老人はいつ死ぬのか
とか 施設に入るかも とかあるので
今更 ペットを飼うなんて 非常識 だと

ごもっとも・・・正論です

でも正論だけど・・・何か言い知れぬほどのもやもやが私を襲ってきて
「そんなに老人って何もできないの?
何かしたら迷惑をかけるかもしれないから? だまって家にこもっているだけにして」って・・・

ふいに泣きそうになった  悲しくて いや 猫が飼えないからじゃない
そんなに私達って迷惑させてる? 多分させている・・・ってお嫁は思っているんだって
「幽霊の正体見たり 枯れ尾花」なんだよね きっと


彼女の普段は優しい?言葉をまんま真に受けてた私って
バカねっ
ホントは余計者ってことじゃない!

今のところ 夫婦二人とも 介護等は必要ないけど・・・
でもいつかは・・・

そう思うと 情けなくて 老人はみんなこうなんだなぁ と
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米が無い!

2024-09-05 15:51:05 | 日記


昨日のスーパーどす
米が無い マジで無い
関東方面が「米が無い」と騒いでいる時 京都にはまだまだ米があった

でも主婦でもある私は、ちょっと多めに米を買っていた

そして最近は・・・・
お米はどこにもなく
今日行った別のスーパーでも2kgの袋が二つ

この辺りでは ゲキマズ と言われている某所の米だけが残っていた!!

京都人 は味にうるさいから まずいお米は どこにも無くなってても それだけは買わないみたい

それにしても・・・
本当にお米はスーパーに並ぶのだろうか・・・・
お米はやはり日本人には無くてはならぬものだから
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お受験について

2024-09-02 14:12:12 | 日記
台風10号はほ~んと人騒がせな台風どした
それに振り回された人たちは堪りませんわよ

私の友人のA子家族は、すだれを結わえたり、物をどけたり、と色々準備していたのですが・・・
あらららら 台風は結局来ず、いやまあそれはそれでいいんだけれど、
「せっかく準備していたのに」とぷんぷん
でもまあ、京都は何もなくてよかったですわん

ところで・・・
最近はことさら「お受験」の高まりが、特に首都圏では狂騒曲のように流行っているってSNSとかにも書かれていますね
特に「中受」すなわち中学受験が物凄くなっているようです

私は公立、国立、私立と通っていたことがあるし、小学校の受験をしたことがあるので、全く他所の話ではないです 
身につまされますぞ

実は私は中受には賛成ではないのです
今はもう二年生ぐらいから塾に通っている子供もいるそうですね
二年生と言うと、自分では何も決定できない弱い立場で、かつ自立などできるはずもない時代です
五年ぐらい経つと、周囲の友達やクラスメートたちが騒ぎ出して、自分もしなくちゃ、と焦るころでしょうか
というより、子供よりもその母親たちがそわそわするでしょうし
何より
「中学からあなたの行く道が決まるのよ!」という決めつけで、そう思い込まされるのが嫌だから
もしも隣に公立にいく子がいて、その子がぼんやりとして居たら、「おいらの勝ちだ」と思い込むとしたら、それは早計なのです
なぜなら、人生はいつも競争とか勝ち負けの連続で、中受だけで決まるほど安易ではないからねっ
だから負けたからって人生終わりではないし、勝ったからと言って他者より偉くなったわけじゃない

実は私は某国立大学付属小学校の受験を経験しています
幼稚園が終わっても、残されてあれやこれやと勉強?させられましたが、私自身は何をしているのかさっぱり分からず、どの小学校に行くのかも知らなかった
それでめでたく?通ったのですが・・・
残念ながらその小学校は私にとっては、ペケでした
学校に行くのが嫌でした 嫌々通っていたのですわ
周囲の子たちは公立に楽しそうに通っているというのに、私一人はそうではなく長い道のりを歩き、
帰宅後に遊ぶ友達も居らず・・・
だからかな? 本と音楽が友達みたいになってしまって
あ、私には兄弟姉妹も居なかったし

寂しかった~~

いじめもあったし、帰り道でワルに殴られたりした・・・
本来の成績も良くなかったし自分に自信がなくなって完全なる落ちこぼれ
でしたわよ

サイアクでした

まあ他の子供たちは知りませんけどね
自身の苦い思い出の一つ なんですよね

で中学は結局近くの公立に行きましたわ
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戦後79年&特攻とは?

2024-08-22 14:22:06 | 日記
暑い 暑い 暑いぃぃぃぃい

とにかく暑い京都なのであ~る

この暑さの中、終戦 ちゅうか まあ 敗戦 だわねこれは
まあ終戦記念日が来た
老婆である私でさえ、まだ産まれてない時のことだわ

実は、私は父母からよく戦争中の庶民や兵隊の話を直に聞いていたこと多数
なのでこの話は全て私の空想ではなく、父母の体験なのであるけれど・・・

父は学徒出陣して朝鮮→満州→中国本土→台湾→沖縄本土→宮古島
の戦地を転々としてきた
まあ大体一周してきたわけだわ ご苦労様 なのである
色々あったが何とか日本に戻ってきた
そして母と見合い結婚した

ところで
父は特攻隊機の修理担当だった それは台湾でのことで、もう戦争も終わり頃のこと
特攻機も余り活躍の場が亡くなった頃
その頃の機体はかなりボロボロで、修理してもしょうがないくらいで
「果たして飛ぶのか?」
「目的地にはたどり着けるのか?」と言うような状態だったらしい

勇ましく?出かけても、十中八九戻って来たらしい
つまりはもう特攻機を飛ばしても何しても、日本は「終わり」ということを察していたらしいのである
だから飛ぶ方も修理の方も、もうこれはどうしようもないよな~という厭世気分だった

ほどなくして父は沖縄戦線に飛ばされた

運よく??宮古島に行かされて、なのでおかげで生き残ったのであるけれども
目の前で、兵站船が米軍(多分B29)機にことごとく破壊され、食べ物もなく、仕方ないから
海水に海藻?などを入れて煮炊きし
「太平洋汁」などという自虐的な名をつけてすすっていた・・・
「もう日本は負けるよな」
「そうだな、こんなにペコペコでは・・・」
そういう会話をしていたらしい

論理的合理的な父には、もう日本が負けることは分かっていたようだ

一方母たちは、毎日ラジオのニュースを聞き、嘘のニュースを聞かされていたけれども
流れる曲はいつも「海ゆかば」という物悲しい曲となり
何だかうすうすと
「日本は負けないはずなのに・・・やっぱり負けるとやろか???」
とひそひそと囁いており、母の妹は、毎日かぼちゃしか食べれなくて わ~わ~ と泣いていたそうだ

これが偽らざる庶民の気持ちであった
なので
TVなのでの終戦の特集はバカバカしくて見ていられないのだ
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ベタだけどパリ・オリンピック

2024-08-04 15:55:47 | 日記
暑い暑い溶ける~
と言っている間にもう八月 そして・・・
パリ・オリンピック2024

ご多聞にももれず、毎日「オリンピック」をテレビで見ています
高齢者は家に居て、オリンピックでも見ておれ って感じでしょうか
でも段々とどのチャンネルもオリンピックだらけで、実は辟易しているのも確か
NHKは相変わらず、なぜか「オータニ」を入れてますが・・・

多分色々と事件なども起こっているのでしょうが・・・オリンピックに消されているんでしょうね

それはさておき・・・
実は私は今を去ること約50年前に、二回ほどフランスに旅行したことがあるんです
その時は、一年分の全額の給料をつぎ込みました
それだけ高かったんですから海外に行くというのは

でもその時からもパリはあんまり変わっていないって感じですね
相変わらずスリとか盗難とか多いじゃないですか
私はリュクサンブール公園に行って、余りにも犬の糞がおおいのでびっくりしたし
その頃から、セーヌ川は汚くて汚くて・・・

そそと歩くと怪しげなあんちゃんが近寄ってきて
「俺は飛行機の機長だ」な~んて嘘を堂々とつく
嘘に決まっているだろう、そのバカ面はっ

食事もそんなに美味しくなくて、バゲットにちょんちょんと何か入っているのが「サンドイッチ」ですって
う~ん、何というか有名人たちのパリ日記っていうのは、ほとんどがあれ半分は盛ってますから

どこかの店で買った服・・・日本に戻ったら結構な粗悪品でしたっけね
一度も着ずに捨てました

まああれですよ
日本人はもっとプライドを持っていていいんじゃないですか
50年前と変わらないんですから

とはいえ、楽しいこともありました
良い青春の思い出ですわ
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